ミジンコはツボカビがお好き?
この記事が読売新聞に掲載されました。
カエルツボカビ症の日本初報告
ツボカビは日本にいるのか!?

プランクトンに寄生するツボカビ
ツボカビは湖沼の植物プランクトンの個体群動態に与える生物要因として古くから認識されてきました。1940年代から60年代の間、イギリスのグループが膨大な種類のツボカビを分類、同定しました。80年代に入ると、ツボカビの培養が可能となり、オランダで実験が行われ、水温や光などの環境要因がツボカビと植物プランクトンの関係にどのように影響するのかも明らかになりました。その後、いったんツボカビ研究は息をひそめます。しかし、21世紀に入った今、分子生物学や生理学、分析化学など多くの分野の発展に伴い、これまで困難であった種の同定や観察、活性測定などが容易になりつつあります。これらの技術革新をツボカビ研究に取り入れない手はありません。当研究室ではオランダ・スイス・ドイツの研究者達とFUN@all(Fungal)グループを結成し、ツボカビと植物プランクトンがいかに攻防を繰り返しているのか(共進化)、ツボカビが食物網の中でどのような役割を果たしているのか、といった未解明だった問題に取り組んでいます。
<弱ったときに感染する?>
人間は体が弱った時に風邪を引きやすくなります。プランクトンも同様と考えられていましたが、必ずしもそうでないことが明らかとなりました。例えば、植物プランクトンは、水温が低い、光が弱いといった条件下では弱りますが、ツボカビもその条件下では成長しにくいため、感染しないのです。ツボカビ症が蔓延するのは、寄主(植物プランクトン)がある一定以上存在し(> 10 cells/ml)、適度な水温(7-20?C)と光強度(10-250 µmol photons/m2/s)の条件であることが珪藻(Asterionella)-ツボカビ(Rhizophydium)の系でわかりました。例えば、冬の寒さが長く続くと、春になってもツボカビは休眠状態のままで、珪藻はツボカビに感染せずに大増殖します。一方、暖冬だとツボカビは珪藻と同時期に成長・増殖し、90%以上もの珪藻細胞がツボカビに感染し死亡するのです。そう考えると、地球温暖化に伴って春の水温が上昇するならば、ツボカビ症は今後さらに蔓延するかもしれません。
<ツボカビから身を守る方法>
寒い冬にツボカビ感染症が起こらない、というならば、寒いところに「逃げる」というのは、珪藻がツボカビから身を守る1つの戦略かもしれません。実際、温度成層する湖では、夏でも深いところでは水温は4?Cなので、珪藻は沈むことで深く冷たい層に達し、ツボカビの寄生から逃れられる、とも言われています。しかし、珪藻は、冬の湖水循環によって再び光のあたる表水層へ浮かびあがることのできるまでは、湖底で寝て待っていなければなりません。
植物プランクトンがツボカビから逃げずに身を守る方法もあります。ツボカビに寄生された細胞があえて早死にすること(Hypersensitivity response)で、ツボカビの増殖を抑え、他の細胞が寄生されるチャンスを抑える、という自殺行為も知られています。ツボカビを殺す抗菌物質 (おそらく不飽和アルデヒド)を、植物プランクトン細胞が放出している可能性も示唆されています。また、植物プランクトンの中にはツボカビに耐性をもつ株が存在することも明らかになってきました。ツボカビ耐性株が増えると、その耐性株を攻撃できるツボカビ株が進化し、さらに植物プランクトンは新しい耐性株を進化させる、といった軍拡競争(共進化)が起こっているのです。その攻防の中で、なるべく多くの遺伝型をもつこと、つまり遺伝的多様性を高めることが、ツボカビなど寄生者の存在下で個体群を維持する機構となりうるのです。
ツボカビを食べる生物の存在も見逃せません。捕食者がツボカビを食べる時、寄主ごと丸呑みする場合と、ツボカビ単独(遊走子)として水中を泳いでいるときに食べる場合とが考えられます。前者の場合、寄主も捕食されるので、捕食者がいることで寄主の個体数は減少するでしょう。しかし、もしも寄生された寄主が捕食されやすく、捕食された後にツボカビは消化されて死滅するならば、ツボカビ症の蔓延は捕食者の存在下で抑えられ、ツボカビと捕食者のダブルパンチによる個体数の減少は軽減されるかもしれません。ツボカビ遊走子のみが捕食される場合、寄主の個体数は変わらずに水中のツボカビ胞子数のみが減少するため、感染症は抑えられる可能性が高くなります。遊走子はその大きさ(直径2-5マイクロメートル)と形(球形+鞭毛1本)からミジンコによく食べられることが、私たちの研究により明らかになりました。ミジンコに食べられない大型の植物プランクトン種にツボカビが寄生した場合、ミジンコはツボカビのみを減らすため、寄主である大型植物プランクトンをツボカビ症から守ることが出来るのです。

<食物網におけるツボカビの位置づけ>
ミジンコがツボカビを食べる、という事が生態系にどのような影響をもたらすのでしょうか。ミジンコに食べられない大型の植物プランクトンは湖底に沈んでいくと考えられてきました。しかし、大型植物プランクトンがツボカビに寄生された場合、湖に沈む前にツボカビに細胞質が吸い取られ、そのツボカビがミジンコに食べられるため、大型植物プランクトンの沈降量は減少し、ミジンコは増加します。つまり、ツボカビは利用されない大型植物プランクトンを遊走子体として小型化しミジンコに運ぶという物質流を駆動しているのです。このツボカビを介した新しい物質経路を菌類学(Mycology)と私の名前(Maiko)とかけて、Mycoloopと名付けました。
富栄養化が進行し、湖沼ではアオコ現象や淡水赤潮のように、大型の植物プランクトンが大発生する現象がしばしば見られます。大型植物プランクトンが大発生すると、動物プランクトンや魚は餌不足となり(時として酸素不足にもなり)、湖底への沈降量が増加するため底層の嫌気化が進むと懸念されています。しかし、 Mycoloopが存在するならば、大型の植物プランクトンは迷惑ものではなく、湖の食物網を支える重要な存在になり得るかもしれません。
さらに、ツボカビはミジンコにとって良い餌であることも私たちの研究によって明らかになりました。ツボカビ自体にミジンコの成長に不可欠な栄養素である不飽和脂肪酸やコレステロールが多く含まれているのです。コレステロールは人間にとってはあまり良いイメージはないですが、ミジンコにとっては美味しい栄養素なのです。

プランクトンからカエルへのメッセージ
プランクトンに寄生するツボカビの研究例をもとに、野外のツボカビ個体数の測定方法や食物網構造を考慮にいれたツボカビの動態予測を応用すれば、これらの問いに答える切り口となるかもしれません。プランクトンに寄生するツボカビの遊走子の水中密度は、諏訪湖で1ミリリッターあたり103胞子程度、実験室培養から推定すると107胞子にもなります。カエル一匹が死ぬのにツボカビ遊走子が100胞子あれば十分との報告があります。日本のカエルが生息する田んぼや池にどれくらいツボカビ遊走子が存在するのかは解っていませんが、田んぼは湖に比べて栄養分も豊富なので、もしかしたら湖よりもずっと大量にツボカビが存在するかもしれません。しかし、その遊走子がカエルに寄生する種類なのかは、DNAプローブや培養実験によって調べていく必要があります。
田んぼや池にもツボカビ遊走子を食べるミジンコはいます。もしもミジンコが大量にいるならば、カエルツボカビ症は抑えられるかもしれません。また、ツボカビ症に感染したカエルが、感染後すぐにヘビや鳥、たぬきなどの捕食者に食べられ消化された場合、ツボカビの次世代は水中に放出されることなく死滅し、ツボカビ症の蔓延は食い止められるかもしれません。逆に、もしもツボカビが消化されずに捕食者の消化管の中でも生き残り、糞を介してより広範囲に広がっていくのだとしたら、恐ろしいことになるでしょう。
しかし、最も恐ろしい蔓延方法は、今回の問題を引き起こした「人間」によるカエルツボカビ症の伝搬です。人間の移動やペットの輸出入の際の検疫を厳しくする事に加えて、泥のついた靴やペットを洗浄した際の水の捨て方なども考える必要があります。人間はまた、運搬だけでなく、地球温暖化の促進やオゾン層の破壊によっても、間接的にカエルツボカビ症の蔓延に寄与しています。地球温暖化による水温上昇そのものがツボカビの成長を促します。さらに温暖化によって池の水分が蒸発し水位が下がることによって紫外線放射量が増加し、両生類の皮膚細胞が破壊され、ツボカビに寄生されやすくなることもあるそうです。カエルツボカビ症に対応していくためには、カエルだけでなく他の生物も含めた生態系レベルで、日本だけでなく世界・地球レベルで、問題を様々な角度から眺め分析する必要があるでしょう。
生命圏環境科学科 鏡味麻衣子
この記事が読売新聞(4月29日)に掲載されました!