理学部生物学科

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酵素の複数形って何? 【2008年8月】

 近年、「生物学的多様性 (biological deversity)」が叫ばれていますが、ここでは「分子」の多様性の話を、“酵素”を例にとってふれてみます。

酵素-アイソザイムとは

 ヒトをはじめ動物の生体をつくる組織や器官は、さまざまな機能をもった細胞の集合体であり、細胞内では多様な生体分子の合成と分解が繰り返されながら常に動的な平衡が保たれています。この様な生体分子の化学変化 (代謝)が滞りなく進行する為には酵素の存在が不可欠であり、酵素なしに生命を語ることはできません。そこで、生体内のこれら代謝に関与する酵素についてもう少し目を凝らして眺めてみましょう。そこには不思議なことに同じ名前の酵素でありながら、存在する場所(臓器や細胞など)や働く時期(発生・成長の段階)によって、その姿・形(分子型)が少しずつ異なる酵素の存在(いわゆる、同じ名称の酵素でありながら性質が少しずつ異なる酵素)が知られています。これらの酵素はあたかも酵素分子が“複数形”をなして生物体内に存在し、機能している様に受けとれます。
 この様な一連の酵素をアイソザイム(izozyme)と称し、「同一の個体内に存在し、同一の化学反応を触媒する酵素でありながら、複数の異なった分子型(物理化学的・酵素学的諸特性が相違)で存在する酵素」と表現できます。

解糖系の酵素を例に

 日頃、私達が行っているテーマの1つに、「アイソザイムに関する生物学的研究」があります。ここではその1例として、乳酸脱水素酵素〔嫌気的解糖系の最終段階の反応 (ピルビン酸?乳酸)を触媒する酵素でLDと略します〕をとり上げてみましょう。いま、高等脊椎動物の体液(血液など)や組織内に存在するLDを適当な分離手段(クロマトグラフィーなど)で分画後、LDの活性染色法を用いて調べてみますと、5つの分子型を異にするアイソザイムが観察されます。現在、これら5つの兄弟酵素〔名称 (苗字)が同じで性質が少し異なることからこの様に呼んでみます〕は、生物体内で下図に示す様に形づくられると考えられています。
解糖系の酵素を例に
すなわち、2種類の遺伝子(異なる染色体上に存在するLD-AとLD-B遺伝子)からそれぞれ別途に作られた2種類のサブユニット(AとBサブユニット)が無作為に4個ずつ結合〔4量体分子:B4(LD1)、B3A(LD2)、B2A2(LD3)、BA3(LD4)、A4(LD5)〕したものです。これら5種類のアイソザイムは同じ反応を触媒するのですが、それぞれ僅かずつ性質が違っていて、どの分子種(サブユニット組成)の割合が多いかによって代謝機能に微妙な変化を与えています。

 この様に重合体(オリゴマー)を作る性質のある酵素の場合、異なる遺伝子によってコードされたサブユニット間でハイブリッド(混成)分子を形成すると、生体内で実際に機能するアイソザイム(タンパク質)の数を遺伝子の数よりも多くする(遺伝子:2個→5種類の酵素)ことができる特徴があります。その上、少しずつ性質の異なる酵素が形成される為、ハイブリッド型アイソザイムが関与する代謝は複雑な制御系をもつ組織の代謝系として、はなはだ合理的と言えます。しかし、この様な不思議な特性をもったアイソザイム分子が“なぜ、生物体内に存在し機能する様になったのか”の問いかけに対しては、次の様に考えられています。すなわち、ある一つの酵素機能を担ったいわゆる“酵素の原型”が生まれた後、酵素機能の本質に関わる部分は高度の保存されながら、主に組織での機能特性を担う領域に構造的変化を蓄積しながら派生してきたと考えられます。もちろん、この様な機能分化は遺伝子の変化(遺伝子重複、変異、組み換えなど)を通して、細胞や器官の代謝系と密接に関わりながら分子進化を遂げたことと無関係ではありません。

成長段階での分子型の変換

 生物が成長する過程で生物体内で繰り広げられているアイソザイム分子の巧妙な姿・形の変化(分子型の変換)について見てみましょう。
次の図はマウスの精巣を各成長段階ごとにとり出し、そのホモジネート液(組織をすりつぶした上清液)をアガロース〔天草 (海藻の一種) から取り出した成分の1つ〕〕ゲル電気泳動法で分離した結果です。既に述べた様に、LDは5つの多分子型酵素として観察されますが、マウスの精巣内では成長に伴い微妙に分子型を変換していることが分かります(構成するサブユニットを巧妙に“調合”している)。すなわち、胎児期(胎齢19日)の精巣では4型や5型アイソザイム (LD-A遺伝子によって作られたサブユニットが主体)が優位に発現していますが、生まれた時は1型や2型アイソザイム (LD-B遺伝子によって作られたサブユニットが主体) が優位な分子組成に変化してきます。これは生体にとって合理的な特性の変化と考えられています。すなわち、胎児期に存在するLDは嫌気的解糖系に依存し、エネルギー(ATP)産生効率があまり良くありませんが、高濃度の基質(ピルビン酸や乳酸)に対して幅広く働く特性をもっています。一方、成長期にはエネルギー産生効率の高い(低濃度のピルビン酸で十分作動し、乳酸が生成され難く、ピルビン酸がTCA回路に入るのに好都合) LDアイソザイムが優位となり、成長期の活発化した体内代謝にうまく適合してくると考えられます。
 さらに分離された結果をもう少し眺めてみますと、生後2週齢のアイソザイム像には胎児期から存在した5つのLDアイソザイムに加えて、最も陽極側に同じ触媒活性をもつLD分子でありながら、精巣組織に特異なLD〔通常、精母細胞の分化が始まるとLD-AやB遺伝子以外に別種のLDアイソザイム (LDXと呼称) を合成する第3の遺伝子 (LD-C遺伝子) が活性化〕が出現してきます。ヒトでも思春期以降の男性の精巣組織内にその存在が確認できます。奇妙なことにこのLD分子は、他の5つのLD分子とは性質が異なります。特に熱に対する安定性(耐熱性)が著しく高く、65℃(お風呂の温度は約45℃位?)に30分程度孵置しても酵素の活性は殆ど失われません。この様な臓器特異的に発現するアイソザイムは、生物の長い進化の歴史の過程でその必然性から生みだされてきたものと推測されます(下図)。
成長段階での分子型の変換
また、この様な現象は精巣以外の組織にも観察され、心筋組織においても成長過程で著しい分子型の変換が観察されます。 
この様に、あたかも複数形をなして存在するアイソザイム分子が「どの様にして生物体内で役割分担をしているのか?」については、現在までのところ十分な解答が得られておりませんが、最近、関係する遺伝子の発現や調節の仕組みの一部が本学大学院生の努力によって少しずつ明らかにされつつあります。

 いずれにしても、生物体内では外から眺めているだけでは分からない精巧かつ巧妙な変化が起こっていることが分かります。今回示した様に、各種代謝に関与する酵素についても体内の生理的な環境変化に応じてその姿・形(分子型)をダイナミックに変換させているのです。まだまだ、未知の事柄の多い領域ですが、今後の研究の進展によって興味ある現象が説き明かされるものと期待されます。

(生理化学研究室:今井利夫)

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