プレスリリース 発行No.1454 令和7年3月1日
~ 記憶の維持や回復を支える治療戦略への展開に期待 ~
研究グループは、長年の神経科学の謎であった記憶が長期化するメカニズムについて、細胞骨格セプチン3(注1)を介した長期記憶のしくみを解明することに成功しました。今後、高齢者の認知機能低下の予防や治療戦略の糸口になることが期待できます。
本研究成果は、2025年2月28日に米国の学術誌「Cell Reports」のオンライン版で公開されました。
発表者名
深澤 有吾(福井大学医学系部門 教授)
有馬(吉田) 史子(東京慈恵会医科大学総合医科学研究センター 非常勤研究員)
奥野 浩行(鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 教授)
石井 雄一郎(研究当時:東京大学大学院医学系研究科 特任助教)
高雄 啓三(富山大学学術研究部医学系 教授)
今野 幸太郎(北海道大学大学院医学研究院 助教)
藤島 和人(大阪医科薬科大学医学部 助教)
上田 洋司(藤田医科大学医科学研究センター 講師)
日置 寛之(順天堂大学大学院医学研究科 教授)
土田 邦博(藤田医科大学医科学研究センター 教授)
佐藤 良勝(名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 特任准教授)
見學 美根子(京都大学高等研究院 教授)
渡辺 雅彦(北海道大学大学院医学研究院 特任教授)
渡部 文子(東京慈恵会医科大学総合医科学研究センター 教授)
真鍋 俊也(東京大学医科学研究所 教授)
宮川 剛(藤田医科大学医科学研究センター 教授)
井ノ口 馨(富山大学大学院 教授)
尾藤 晴彦(東京大学大学院医学系研究科 教授)
木下 専(名古屋大学大学院理学研究科 教授)
発表のポイント
- 脳に記憶を長期化させる強い刺激が入ると、記憶素子である樹状突起スパイン(以下スパイン)において、細胞骨格セプチン3を介して滑面小胞体(注2)が移動することを見いだしました。
- 細胞骨格セプチン3欠損マウスでは、滑面小胞体を含むスパインの数が低下しており、短期記憶は正常である一方で、長期記憶が障害されることを明らかにしました。
- 細胞骨格セプチン3を介した長期記憶のしくみの解明から、記憶の維持や回復を支えるための新しい治療戦略への展開が期待されます。
発表内容
研究グループは、スパイン基部に特徴的な発現を示す細胞骨格セプチンの研究に長年従事してきました。本研究では、スパインと樹状突起の境界部分に存在するタンパク質、すなわち細胞骨格セプチンが、特定のスパインの可塑的な変化を持続させるために働く可能性を想定し、生きたラットの海馬に後期長期増強を誘発させる技術と脳に発現する細胞骨格セプチンの9種類のサブユニットの免疫組織染色を組み合わせることで、後期長期増強が誘発されると細胞骨格セプチン3のみがスパイン内で免疫反応性を増加させることを見いだしました。そこで、細胞骨格セプチン3欠損マウスの脳を電子顕微鏡で観察したところ、スパインの体積やシナプス後肥厚、シナプス数は正常であり、一見するとシナプス構造には変化が認められませんでした。しかし、シナプス構造の変化を丹念に調べたところ、欠損マウスのニューロンでは、スパインの中にあるオルガネラの一種でありCa2+の供給源である滑面小胞体を保持するスパインの割合が半分程度低下していることを見いだしました。このことは、滑面小胞体のスパインへの侵入に細胞骨格セプチン3が強く関わっていることを示しています。加えて、生きたラットの海馬に後期長期増強を誘発させると滑面小胞体を含有するスパインの割合が増大することを見いだしました。
そこでラットのニューロンを培養して化学的な誘導や単一スパインへの光刺激によるグルタミン酸を放出させる技術により、シナプスの神経伝達効率の増加が長時間維持されるような強い刺激を加え、ライブイメージングで観察を行ったところ、刺激後にスパインに滑面小胞体が侵入して、この状態が少なくとも5時間は持続することがわかりました。また、滑面小胞体のスパインへの侵入はSEPT3とモータータンパク質である活性型となったミオシンVa(MYO5A)(注4)の会合によることも示しました。
スパイン内の滑面小胞体はCa2+濃度の上昇を増幅させることが示唆されています。そこで単一スパインのCa2+イメージングにより、滑面小胞体を含有したスパイン内と滑面小胞体を含有しないスパイン内のCa2+応答を比較観察したところ、滑面小胞体を含有したスパイン内ではCa2+応答が増幅していることを発見しました。また、化学的な誘導でシナプスの神経伝達効率が長時間持続するような強い刺激を加え、5時間後のスパインを観察したところ、細胞骨格セプチン3を欠乏したニューロンでは、滑面小胞体を含有したスパイン数の増加が生じず、結果的にCa2+応答やシナプス活動が増幅したスパインの割合が減少していることを見いだしました(図1)。
さらに、ニューロンのCa2+応答をライブイメージングすることで、刺激後に滑面小胞体を含有したスパイン数の増加が生じない細胞骨格セプチン3を欠乏したニューロンでは、長時間持続するような強い刺激を加えても、刺激から5時間後までニューロンの自発的な応答の増幅が持続しないことがわかりました。加えて、細胞骨格セプチン3欠損マウスと健常マウスの行動を空間弁別試験や新規物体認識試験(注5)で比較して空間や物体の認識に対する記憶力を解析したところ、細胞骨格セプチン3マウスでは短期記憶は正常である一方で、長期記憶が低下することが明らかとなりました。
本成果は長年の神経科学の謎であった、記憶が長期化する細胞メカニズムの基盤を初めて明らかにしました。本研究は、加齢に伴うもの忘れや認知症の原因をより深く理解する手がかりとなり、治療法や予防法の開発につながる可能性があります。さらに、記憶の維持や回復を支える新しい戦略が生まれることが期待されます。
発表雑誌
「Cell Reports」(2025年2月28日)
論文タイトル
Septin 3 regulates memory and L-LTP-dependent extension of endoplasmic reticulum into spines
著者
Natsumi Ageta-Ishihara*, Yugo Fukazawa, Fumiko Arima-Yoshida, Hiroyuki Okuno, Yuichiro Ishii, Keizo Takao, Kohtarou Konno, Kazuto Fujishima, Hiroshi Ageta, Hiroyuki Hioki, Kunihiro Tsuchida, Yoshikatsu Sato, Mineko Kengaku, Masahiko Watanabe, Ayako M. Watabe, Toshiya Manabe, Tsuyoshi Miyakawa, Kaoru Inokuchi, Haruhiko Bito, and Makoto Kinoshita* (*責任著者)
DOI番号
10.1016/j.celrep.2025.115352
論文URL
https://doi.org/10.1016/j.celrep.2025.115352
用語解説
細胞骨格セプチンを構成するセプチンファミリーに属するGTP(グアノシン三リン酸)結合タンパク質です。
セプチンは、細胞分裂や細胞の形状維持など、多様な細胞機能に関与しています。特にセプチン3はこれまでの研究で神経細胞において顕著に発現しており、セプチン3の異常は神経疾患の発症と関連する可能性が示唆されていました。
(注2)滑面小胞体
真核細胞内に存在するオルガネラである小胞体の一部で、リボソームが付着していないため滑らかな外観を持っています。特に脂質の合成、細胞内カルシウムの貯蔵・調節などにおいて重要な役割を果たします。たとえば、筋細胞ではCa2+の放出と再取り込みを通じて筋収縮が制御されています。
(注3)シナプス後肥厚
シナプスは、ニューロン同士が情報を伝達する接続部位であり、主にシナプス前部とシナプス後部にわかれます。シナプス後部には、神経伝達物質(例えばグルタミン酸など)を受け取るための受容体や、それを支えるタンパク質が集まる構造があり、シナプス後肥厚と呼ばれます。
(注4)ミオシンVa(MYO5A)
細胞内でオルガネラや小胞を輸送するモータータンパク質の一種です。
アクチンフィラメント上を二足歩行のように移動し、細胞内の物質輸送を担います。MYO5Aは、不活性状態では尾部が自身のモーター領域(頭部)と相互作用しますが、活性化状態では構造が開き、頭部がアクチンフィラメントと相互作用できる状態になります。
(注5)空間弁別試験や新規物体認識試験
動物は新しい空間や物体に興味を示す習性があります。この習性を利用し、最初に見せた空間や物体を、新しい空間や物体に置き換えたときの反応を観察します。記憶が正常なら新しい空間や物体に興味を示し、記憶障害があると違いを認識できません。短期記憶は最初に見せた空間や物体と次に空間や物体を見せるまでの時間を数分から数時間に設定して解析を実施します。長期記憶は1日後に解析します。
添付資料

スパインに強い刺激が入るとセプチン3を介して滑面小胞体がスパイン内に侵入する。この時、セプチン3は活性型MYO5Aと会合する。滑面小胞体はCa2+の供給源であることから、スパインの中でCa2+応答が増幅され、スパイン内の活動が高く維持される。
お問い合わせ先
【研究に関するお問い合わせ】
東邦大学理学部生物分子科学科
准教授 上田(石原) 奈津実
〒274-8510 千葉県船橋市三山2-2-1
TEL/FAX: 047-472-5022
E-mail: natsumi.ageta-ishihara[@]sci.toho-u.ac.jp
URL: https://www.lab.toho-u.ac.jp/sci/biomol/mbb/index.html
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