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プレスリリース 発行No.919 平成30年10月5日

東邦大学理学部

“退屈な10億年”は飢えと酸欠の時代だった
~ 地質記録と理論モデルの融合から得られた太古の地球像 ~

 東邦大学理学部生命圏環境科学科の尾﨑和海講師と東京大学大学院理学系研究科の田近英一教授およびジョージア工科大学の日米合同研究チームは、“退屈な10億年(Boring Billion)”と呼ばれている、約18億年前から8億年前の時代の海洋環境が、著しく栄養に枯渇しており光合成による酸素(O2)生成が抑制されていたことを、地質記録と理論モデルを融合することで明らかにしました 。

発表概要

 いまから約18億年前から8億年前の時代は、“退屈な10億年(Boring Billion)”と呼ばれています。その前後の時代には全球凍結現象(注1)や酸素濃度上昇現象(注2)といった大規模な環境変動の記録が残されているのに対して、この時代は特筆すべき大きな環境変動が認められず、生命進化の観点からも大きな進展がみられないためです。当時の地球環境を特徴づけるもう一つの重要な側面は、大気中の遊離酸素(O2)濃度が現在の数%以下と非常に低濃度であり、海洋内部も無酸素条件にあったと考えられることです。そのような貧/無酸素な地球環境が障壁となって、真核生物の多様化や放散およびそれに続く後生動物の出現が生じなかった可能性が指摘されています。しかしながら、なぜ当時の地球環境がO2に乏しかったのか、その原因については未解明でした。

 今回、東邦大学理学部生命圏環境科学科の尾﨑和海講師と東京大学大学院理学系研究科の田近英一教授およびジョージア工科大学の日米合同研究チームは、当時の海洋環境が著しく栄養に枯渇しており光合成によるO2生成が現在の25%程度に抑制されていたことを、地質記録と理論モデルの融合によって初めて明らかにしました。本研究成果は、当時の大気O2濃度が低かったことについて合理的な説明を与えるものです。また、本研究で得られた、「生元素循環の停滞」という新しい知見は、当時の海洋化学環境や気候形成についても新たな制約条件を課すものであり、地球環境と生命の共進化の理解に近づく重要な成果です。

 本研究成果は、Geobiology誌の電子版に10月3日に掲載されました。

発表者名

尾﨑 和海 (東邦大学理学部生命圏環境科学科 講師)
田近 英一 (東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻 教授)

発表のポイント

  • 原生代(注3)中期の“退屈な10億年”の海洋では、栄養に枯渇し光合成が著しく抑制されていたことを明らかにした。
  • 当時の生元素循環が停滞していたという新しい知見は、当時の大気O2濃度が低かったことに合理的な説明を与えるだけでなく、様々な地質記録について理論的説明を与えるものである。
  • 今後、栄養の枯渇が引き起こされた原因を究明することで、環境と生命の共進化を理解するための重要な足がかりとなることが期待される。
 

発表内容

 地球の大気組成(本研究では酸素O2とメタンCH4に注目します)は、気候状態や水圏の化学状態を通じて生命進化に大きな影響を及ぼす一方、生命活動によって大きな影響を受けてきました。そのため、大気進化の解明は、「なぜ地球は生命の星であり続けてきたのか」という根源的な問いに直結する重要な研究課題です。この視点で地球史を眺めた時、“退屈な10億年”と呼ばれる原生代(注3)中期の時代(およそ18億年前から8億年前)は、真核生物(注4)の進化やその後の動物の出現に重要な意味を持つ時代であると考えられます(図1)。この時代は、気候が安定で、生命進化の顕著な進展が認められない時代として知られていますが、なぜそうだったのかは謎に包まれています。また、最近の地球化学的データに基づけば、当時の大気中O2濃度は現在の数%程度以下に保たれていたと推定されています。しかし、地球大気はなぜ10億年間にもわたって貧酸素条件にあったのか、その後いかにして現在のような富酸素大気へと進化したのか、ということは未解明の重要課題として残されていました。
 地質学的時間スケールでの大気組成は、生物活動や化学反応を伴う物質循環によって規定されています(図2)。大気組成の維持機構や動態にまで迫るためには、それらを規定する物質循環を含めた定量的アプローチが本質的に重要です。今回、私たちは地球表層圏でのO2とCH4の量とその分布を規定する生元素(炭素、窒素、リン、硫黄)の循環を包括的に記述した理論モデルと、近年得られるようになった地球化学的データに基づく制約条件を組み合わせることで、原生代中期の物質循環を明らかにすることを目的とした研究を行いました。研究で用いた数値モデルは、大気-海洋—堆積場中での生元素循環に関わる生物地球化学プロセスを詳細に考慮した数値モデル“CANOPS(カノープス)”です。CANOPSは本研究グループによって開発され、貧酸素条件下における生物地球化学循環を扱うことが可能で、効率的な計算手法によって迅速な算術処理が行える物質循環モデルとして高い独自性と優位性を誇る世界最先端のモデルです。本研究では、地球表層環境を決定する重要な大気成分であるO2とCH4を規定する物質循環を組み込み、さらなる高度化を図りました。CANOPSモデルは、迅速に多数の数値実験が可能であり、地質記録を制約条件とした統計的手法(モンテカルロシミュレーション 注5)が適用可能です。これにより、モデルが含むパラメータや地質記録の不確定性も含め、地質時代の物質循環についての統計的な描像を得ることが可能です。
 本研究では、地質記録から制約された大気中O2濃度や海洋化学組成(硫酸イオンSO42-濃度)に対する制約条件を課して、モデルパラメータの不確定性も評価する包括的な数値実験を2万回以上行い、統計的な制約を行いました。その結果、当時の海洋は、生物活動にとって極めて重要な栄養素であるリン酸塩の濃度が、現在のわずか数%程度と著しく枯渇しており(図3)、その結果、海洋表層における生物生産(光合成活動)も同程度に著しく抑制されていたことが明らかとなりました。さらに、地質学的時間スケールでのO2生成も現在の25%程度しかなかったものと見積もられました(図4、5)。このことは、当時の地球環境が貧酸素条件にあった理由は、海洋が貧栄養環境で生物生産が抑制されていたことが主な原因であったことを示しています。すなわち、“退屈な10億年”は、飢えによる酸欠の時代であったといえるのです。
 本研究で得られた抑制された生物生産という描像は、これまで得られている原生代中期の様々な地質記録に理論的説明を与えることができる点でも重要です。たとえば、最近の地球化学的データによれば、原生代中期の海洋内部においては、貧酸素環境で生じやすい硫酸還元によって発生する硫化水素H2Sを含む水塊はごく限られた海域にしか形成されていなかったと推測されています。本研究によれば、これは低生物生産であったことによって硫化水素を生成するプロセスである硫酸還元自体が制限されていたことの帰結として自然に説明できます。さらに、本研究で推定された炭素と硫黄の物質循環は、これまでに得られている炭素と硫黄の安定同位体比記録とも整合的です。
 加えて、本研究の成果は当時の物質循環についての従来の学説に対しても新しい知見を与えます。たとえば、本研究により、当時の生物生産を維持するのに必要な窒素固定(注6)率は、現在よりもかなり低かった(~20%程度)ということが明らかになりました。これまで、原生代中期の貧酸素な海洋環境中では脱窒(注7)による窒素不足によって生物生産が抑制されていた可能性がしばしば議論されてきましたが、本研究成果はそうした従来の学説に疑問を投げかけるものです。また、原生代中期の温暖気候を説明するにあたり、しばしばメタンの重要性が指摘されてきましたが、本研究によれば、当時のメタン濃度は現在と同程度であり気候形成にそれほど重要な役割を担っていなかったことが示されました。
 太古の地球表層環境の研究は、これまで主として地質学的・地球化学的データに基づいて進展してきましたが、本研究により、大気組成及びそれを規定する物質循環の定量的な制約には地質記録を制約条件とした数値モデルを用いた融合的アプローチがきわめて有効であることが示されました。
 その一方で、残された課題もあります。たとえば、なぜ当時の海洋が著しくリンに枯渇していたのかについては、様々な可能性は考えられるものの、本研究のモデルからは具体的なプロセスを絞り込むことはできません。また、10億年もの期間にわたって気候が安定化していた理由についても、今後の重要な研究課題です。こうした課題に対しても、本研究の融合的アプローチをさらに発展させることで、地球表層環境の進化と生命進化の関係についての定量的理解に近づけることが期待されます。

発表雑誌

    雑誌名
    Geobiology
    論文タイトル
    A sluggish mid-Proterozoic biosphere and its effect on Earth’s redox balance
    著者
    Kazumi Ozaki*, Christopher T. Reinhard, Eiichi Tajika
    DOI番号
    10.1111/gbi.12317

用語解説

(注1)全球凍結現象
地球全体が凍りついたとされる現象を指す。約23億~22億年前、7.3億~7億年前、6.7~6.3億年前の少なくとも3回生じたことが分かっている。スノーボールアース現象とも呼ばれる。

(注2)酸素濃度上昇現象
地球表層環境中の酸素(O2)濃度が大きく上昇したとされる現象を指す。古原生代の大酸化イベント(約25~20億年前)や、約7~5億年前の新原生代酸化イベントなどが知られている。

(注3)原生代
地質時代区分の一つで、25億年前から5.4億年前までの時代。ここでは、原生代の中でもとくに18億年前から8億年前の“退屈な10億年”と呼ばれる時代に着目する。

(注4)真核生物
生物を分ける3つのドメインのうちの一つであり、原生生物、菌類、植物、動物が含まれる。細胞内に細胞核を持ち、そこに遺伝物質(DNA)のほとんどが存在する。このほかミトコンドリアや葉緑体などの細胞小器官をもつ。

(注5)モンテカルロシミュレーション
乱数を用いたパラメータの値により、多数回の数値シミュレーションを行う手法のこと。今回は、2万通り以上のパラメータ値のランダムな組み合わせで数値シミュレーションを行い、地質記録に基づく制約条件を満たす結果を抽出して統計的な検討を行った。

(注6)窒素固定
窒素分子N2をアンモニアなどの生物が利用できる形態に変換する代謝過程のこと。シアノバクテリアなど限られた生物だけが能力を持つ。

(注7)脱窒
窒素化合物を分子状窒素N2に変換する代謝過程を指す。微生物によって嫌気的条件で行われる。硝酸や亜硝酸呼吸によるものや嫌気的アンモニア酸化(アナモックス)反応が知られているが、本研究では硝酸態窒素が分子状窒素に変換される過程に注目している。

添付資料

図1.生命(上)、大気中O2濃度(中)、気候(下)の進化シナリオ

黄色でハイライトされた時代は、本研究で対象とした“退屈な10億年”を指す。この時代の前後には全球凍結イベント(注1)や酸素濃度上昇イベント(注2)といった著しい環境変動が記録されているが、この時代においては気候が比較的安定に保たれていたとされる。また、真核生物と動物の出現は、“退屈な10億年”のそれぞれ前(約20億年前)と後(約6億年前)に生じた。
図2.地質学的時間スケールでの地球表層環境中のO2収支

地質学的時間スケールでの地球表層環境中のO2量は、O2生成(有機物や黄鉄鉱の埋没と水素の宇宙空間への散逸)と消費(有機物や黄鉄鉱の酸化的風化と火成活動に伴って流入する還元ガスの酸化)の収支で決まっている。ここでは光合成はあらわには入ってこないことに注意。それは、酸素発生型光合成により生成された有機物が完全に酸化分解してしまえば正味でのO2生成はゼロになるためである。酸化分解を免れた有機物の埋没が正味のO2生成となる。嫌気環境での有機物分解で発生する硫化水素が鉄と反応し黄鉄鉱として埋没するプロセスも、正味のO2生成プロセスである。このほか宇宙空間への水素散逸や還元物質の酸化が地質学的時間スケールでのO2消費プロセスである。当時のO2濃度が低かった原因として考えられる説明は、(1) O2生成が抑制されていた、もしくは(2) O2消費が卓越していた、のいずれかであると考えられる。本研究で地質記録による制約と物質循環についての理論モデルを組み合わせることで、O2生成が著しく抑制されていたことが明らかとなった。
図3.推定された当時のリン酸塩濃度分布(a)と現在海洋の観測データ(b)

(a)本研究により推定された海洋中リン濃度の分布。 (b)現在の海洋中でのリン酸塩濃度分布。(a)、(b)ともに色が濃いほどデータ数が多いことを意味している。原生代中期のリン酸塩濃度は、現在の濃度に比べ一桁以上低い濃度であったことが分かる。
図4.理論モデルから推定された有機炭素と黄鉄鉱の埋没率の統計分布

モデルパラメータの不確定性を考慮して、様々なパラメータ値の組み合わせで2万通り以上の計算を行い、そのうち地質記録による制約条件(海洋の硫酸イオン濃度)を満たしたものだけを抽出したもの(n = 621)。(a)当時の有機炭素埋没率の推定結果の統計分布。現在の20~30%程度だったと推定される。(b)当時の黄鉄鉱の埋没率の推定結果の統計的分布。現在とほぼ同じかわずかに小さい程度であったと推定される。有機炭素と黄鉄鉱の埋没は地質学的時間スケールでのO2生成プロセスであるため、これらの結果は当時のO2生成が小さかったことを意味する。
図5.理論モデルから推定された物質循環(左)と大気中メタン濃度(右)

“O2生成率”は有機物と黄鉄鉱の堆積場への埋没率を合計したものを指す。“新生産”は、海洋有光層から深層への有機物沈降フラックス(輸出生産)を示す。海洋中リン濃度は現在のわずか数%しかなく(図3も参照)、新生産およびO2生成率も現在の10~30%程度に抑制されていたことが分かる。生物生産の抑制により、海洋内部でのメタン生成率も低いため、大気中のメタン濃度は1~10 ppmv程度であったと推定された。これは、当時の温暖な気候形成に対しメタン以外の温室効果ガスが重要であったことを示す。PALは現在値である。
以上

お問い合わせ先

【本発表資料のお問い合わせ先】
東邦大学理学部生命圏環境科学科 講師 尾﨑 和海(おざき かずみ)

〒274-8510 船橋市三山2-2-1
TEL:047-472-5299
E-mail: kazumi.ozaki[@]sci.toho-u.ac.jp ※E-mailはアドレスの[@]を@に替えてお送り下さい。

東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻 教授 田近 英一(たぢか えいいち)
TEL:03-5841-4516
E-mail:tajika[@]eps.s.u-tokyo.ac.jp   ※E-mailはアドレスの[@]を@に替えてお送り下さい。

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