1946年1月、本館の寒さ

今週は寒い日が続いていますね。冬の寒さはまさに今がピークというところでしょうか。ちょうど77年前の1946年1月、長野と福島に疎開していた帝国女子医学薬学専門学校の医学科の学生たちが東京に戻ってきました。

1945年4月に大森キャンパス周辺は空襲をうけており、どうにか焼け残った本館(現・医学部本館)の1棟のみで学校を再開することとなりました。それ以前は学科ごとに建物が分かれていましたが、戦後の一時は午前と午後の2部制で本館ひとつのみで全ての学科の授業が行われていたといいます。戦中戦後の本学の様子については2020年度企画展「戦時下の理系女子学生」で取り扱いました。下記リンクより詳細をご覧いただけます。

現在、スタッフもこの建物の中でブログを書いているのですが、窓が多いため冬場は暖房が入ってもかなり寒い建物です。今のように暖房機器が完備されていない1946年、この建物で震えながら勉強を続けていた学生たちの姿が容易に想像できます。

この本館が現在も残っているのは、戦火を免れたあとも学生や教職員たちが本学のシンボルとして大切にし続けてきたからこそ。見慣れたこの建物が、この先も大森のいつもの風景の一部であり続けることがどれだけ重要なことであるのか、突き刺すような寒さとともに身に沁みます。

投稿者:スタッフ

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