看護学教育の歴史資料

資料室は学校法人東邦大学の歴史に関する資料を収集・保管していますが、資料の所蔵状況は一様ではなく、時期、分野などによってムラがあります。

大学とその前身校の歴史だけに限っても、学部・学科や年代によっては、資料が少ない分野もあります。
その中でも資料状況が厳しいものの一つが、看護学教育関係です。

とりわけ戦前の看護学教育に関する資料はなかなか見出すことが難しく、そのため周年史など各種の記念誌が重要な情報源となっています。

本学における看護学教育は、1926年の帝国女子医学専門学校付属看護婦養成所の開設に始まります。付属病院で勤務する看護婦の養成を目的に、修業年限2年の課程としてスタートしました。
その後、1942年には学校へ昇格し、校名も帝国女子医学専門学校付属看護婦学校へ、さらに1944年には帝国女子医専病院付属看護婦学校へと名称変更しています。
しかしながら本学の多くの施設が火災に見舞われた1945年4月の空襲で、看護婦学校もまた焼失し、そのまま廃校に至りました。
それから終戦を間に挟み、1956年の東邦大学医学部付属准看護学校の設立認可により、本学の看護学教育は本格的に再始動することとなります。

焼失してしまったためか、それとも戦後10年のブランクが大きく影響したのか、1945年以前の看護学教育に関する資料を見出すのは至難の業です。
写真ですらもが、既知のもの以外を見つけ出そうと思ったら、医学科の卒業アルバムなどに写り込んでいるのを探しだすしか、現状としては方法がありません。

冒頭に掲げた写真は、その中の一枚。
帝国女子医学薬学専門学校医学科の1939年の卒業アルバム、産婦人科のページに収められたものです。
産湯のシーンでしょうか。
横顔で写っている女性が看護師(昔は看護婦と呼ばれていました)と思われます。

看護師と推定するにあたって注目したのは頭部の服飾品です。
この時期のナースキャップは、「直径30cm位の一枚の布で、花形につくられ、頭の後の部分にピンでとめるもの」だったと言われています。

写真では、画像が不鮮明なためはっきりとは識別できませんが、後頭部の下の方に不定形の白っぽい物体が載っているのが見えます。
おそらくこれがナースキャップなのではないでしょうか。

こんな風にして、迂遠な推定法を用いて、あちこちに偶然的に残された姿を探ってゆくこととなります。



《参考文献》
東邦大学看護教育のあゆみ 60周年記念誌編集委員会編『東邦大学看護教育のあゆみ—60周年記念誌—』東邦大学看護専門学校、東邦大学医療短期大学、東邦大学看護同窓会、1986年4月、p13~18、p181。



投稿者:スタッフ

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