1945年の卒業アルバム

間違い探し……としては簡単すぎるかもしれません。
冒頭に挙げた画像は、専門学校は医学科の卒業アルバムを写したものです。

左の画像は1944年、右の画像は1945年のアルバムの1ページです。
よく似た構成ですが、右の画像では余白が目につきます。

帝国女子医学薬学専門学校・医学科の第17回生は、1945年の9月に卒業しました。
ちょうど終戦直後の混乱期に卒業を迎えたことになります。

その影響なのか、その年の卒業アルバムに掲載された写真も、前年1944年のものからの使い回しである場合がしばしば見受けられます。
また、使い回しのページでも、前年のアルバムでは掲載されていた写真が一部消えていたりすることがあります。

冒頭の画像もその一例です。
同じ授業科目のページと思われますが、教員の肖像写真と色紙の写真はそのままに、授業風景を写した写真2枚が右側の画像では綺麗に消えています。

戦局がいよいよ差し迫り、授業風景を撮影して残す余裕がなくなってしまったのか、それとも編輯が間に合わなかったのか、理由は分かりません。

1945年の卒業アルバムの巻末には、生徒と思われる人物による、1944年12月8日付で記された短文が掲載されているのですが、その中には「此の時代にかくも立派な写真帖を作つて下さつた」写真館への感謝の付言を見ることが出来ます。すでにアルバムの作成が難しい状態になっていたのでしょうか。

さらにその後、翌1945年の4月には、学園は空襲により多くの施設を焼失することとなります。また同年、医学科は長野県等への疎開が実施されています。

アルバムの正確な発行時期は不明であるものの、戦争の末期から終戦直後までを含めて、いずれにしろ困難な状況の中での発行ではあったことでしょう。

例年と比べれば簡素化の印象のある1945年の卒業アルバムですが、むしろ発行されたこと自体を驚異的と見るべきかもしません。



《参考文献》
見学玄編『東邦大学50年史』東邦大学創立50周年記念事業委員会、1978年3月、p85、p90、p576、p606、608


投稿者:スタッフ

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