増田清と東邦大学の医学部本館

今年もあっという間に年末ですね。2019年が終わってしまう前に書かなければ、と思っていたことが一つだけありました。大森キャンパスの医学部本館についてです。

大森キャンパスの医学部本館が竣工したのは1929年、なんと竣工から90年以上の月日が経過しています。2025年に創立100周年を迎える東邦大学にとっては、本学の歴史そのものを象徴する建物といっても過言ではありません。

医学部本館は1929年に正面の3階建て部分が完成し、その後の学生数増加に伴って1933年に後方の4階建て部分が増築されました。ちなみに上の画像は1929年に完成した当時の写真です。増築された際にスクラッチタイルが貼られましたが、それ以前の壁は白で塗られていました。

設計を担当したのは増田清氏。戦前から戦後にかけて、関西を中心として鉄筋コンクリート造による学校・病院建築の設計で活躍した建築家です。東京帝国大学工学部建築学科在学中に佐野利器教授から影響を受けた建築家でした。増田氏は広島の平和記念公園内のレストハウス(旧大正呉服店)や、登録有形文化財である大阪の三木楽器本店を手掛けたことで知られています。

残念ながら資料室には増田氏と本学の関係が判る資料はほとんど残されていませんが、本学創立者の額田豊は、この医学部本館を建てる前の1922年に、自身の額田病院の設計を増田氏に依頼していました。(1923年の関東大震災の際も、耐震・耐火に優れた鉄筋コンクリート造のこの病院は目立った被害を受けなかったと伝えられています。)増田氏はこうした額田豊とのつながりの中で医学部本館の設計を引き受けたものと考えられます。

余談ですが、関東大震災後の1935年に開催された復興記念行事「大東京建築祭」の記念出版物である『東京の建築 大東京建築祭記念出版』の中には、本学の医学部本館の写真が掲載されています。当時の最新技術を用いて建てられた堅牢な建物が他にも多く掲載されていますが、おそらく戦時中の空襲で焼失したり、老朽化のために取り壊されたりと、ここに載っている建物でも現存しているものは少ないと思われます。

幸い本学の医学部本館は戦火をくぐり抜け、竣工から90年以上経過した現在でも健在です。東邦大学の戦前からの歴史が刻み込まれた医学部本館を、これからも大切に使い続けたいですね。

※画像は1929年頃の医学部本館です。

参考文献
石田潤一郎監『関西のモダニズム建築 1920年代~60年代、空間にあらわれた合理・抽象・改革』淡交社, 2014年.
『建築の東京 大東京建築祭記念出版』都市美協会編, 大東京建築祭記念出版, 1935年.

投稿者:スタッフ

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