久内清孝と牧野富太郎
2019年04月24日今日、4月24日は「植物学の日」です。日本における植物学の父と呼ばれる牧野富太郎の誕生日にちなんで制定されたそうです。
実は彼と深い関係にあった人物が、東邦大学の薬学部で1969年まで教鞭を執っていました。その人物とは、植物分類学の研究者の「久内清孝」です。
植物をこよなく愛していた久内氏は、1909年(明治42)10月に牧野富太郎を中心として創立された「横浜植物会」に当初から参加していました。(横浜植物会は現在も活動を続けています。)
久内氏が亡くなった後、雑誌『植物手帳 エッセイと研究』に連載されていた「久内清孝先生を偲ぶ」のコーナーで、ある植物研究家は以下のように振り返っています。
「牧野博士の世間的知名度は甚だ高いものであったが、久内先生の東西古今にわたる植物に関する知識と括淡なお人柄には、失礼ながら、牧野博士も三舎を避けられるものがあったと思う。」
また、久内氏は研究者としてだけでなく、本学の教職員としても戦前から長きにわたって大学の発展に尽力しました。
1945年の空襲によって本学の施設が壊滅的な被害を受け、薬学科(当時の名称)が習志野に移転する際、焼け残った図書館の本の中から習志野へ運ぶ本を誰に頼まれるでもなく一人で振り分けていたといいます。(久内氏の人柄が表れているエピソードですね。)
「植物学の日」ということで、今日は戦前から本学で植物学を教えていた教授がテーマでした。久内氏についてはまだまだ沢山エピソードがありますので、また次の機会にご紹介しようと思います。
投稿者:スタッフ
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