春の訪れとともに

気がつけばとっくに立春は過ぎ、春の気配を感じるようになりました。
なんだか鼻のあたりがムズムズしています。これはもしかして、花粉……?
ということで、今回は花粉にまつわるテーマです。

帝国女子医学薬学専門学校の卒業生の中に、花粉研究の道を進んだ研究者がいました。
1969年から本学の薬学部で学部長を歴任した幾瀬マサ先生です。

1935年に薬学科を卒業した後、薬学科の助手として採用された幾瀬先生は、久内清孝教授のもとで研究を続けました。先生が花粉研究と出会ったのは、戦後のことでした。

というのも、戦後まもなく横浜の駐留軍人の間で「横浜ぜんそく」が流行った際、花粉が原因ではないかとの見方から、GHQの花粉調査班によって調査が実施されました。そこへ幾瀬先生が手伝いとして参加したことが、花粉研究の道を歩む契機となりました。
(結局、ぜんそくの原因は空気中の化学物質だったようです。)

また、1956年には国内のほぼすべての花粉粒の形態を列記した著書『日本植物の花粉』を出版しました。国産の植物全般の花粉粒をまとめたものとして、日本で最初の研究書でした。ページを開くたび、膨大なデータ量に圧倒されます。

1985年10月15日発行の『学園だより』に掲載された「特別対談 薬草について学ぶよろこび」の中で、花粉研究のおもしろさについて訊かれた幾瀬先生はこう答えています。

「基礎をしっかりやっておくと、次の応用に役立つわけで、私がこの研究を始めた頃は、薬学で花粉研究をやって何に役立つのか、と笑う人もありましたが、最近はスギ花粉アレルギーが問題視されていますし、将来はアメリカのブタクサ・シーズンの天気予報に空中花粉情報を流すように、日本でもスギ花粉情報が聞けるかもしれませんね。」

そういえば、いつからかテレビで天気予報と一緒に花粉情報も流れるのが当たり前になりました。今私たちが花粉情報を目にすることができるのも、先人たちの地道な積み重ねがあったからこそですね。

今回は幾瀬先生と花粉研究について書いてみました。実は研究以外にも幾瀬先生が大活躍されたエピソードが沢山あるのですが、それはまたの機会に。


参考文献
幾瀬マサ『日本植物の花粉』廣川書店, 1956年.
幾瀬マサ『薬草の花だより』東邦大学薬学部生薬学教室, 2013年.

投稿者:スタッフ

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