理学部生物学科

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「DNAバーコードプロジェクトのお話」 【2007年1月号】

DNAバーコードプロジェクトのお話_01
 我が家にダイヤル式の電話がやってきたのは、昭和の40年代半ばのことだった。ちょうどその頃、テレビでは連日アメリカ製の漫画(トムとジェリーなど)が放映され、小学生の私はそれに見入っていた。そんなアメリカ製漫画の1つに、腕時計の竜頭を引き伸ばしてアンテナとし、携帯電話のごとく連絡を取り合う刑事ものがあった。番組名は忘れたが、「こちらヤマダ警部、トレーシー警部、トレーシー警部、応答せよ」というせりふが耳について離れない。当時は、携帯電話が使える時代が来ることは想像もできなかったが、何気なく携帯電話を使っている時、ふとこの漫画が思い出されるのだ。
 こんな話から書き出したのも、地球上全ての生命体をカタログ化するプロジェクトのことを紹介しようと思うからである。再びテレビ番組の話に戻ることをお許しいただこう。1960年代初頭に始まったSF番組(スタートレック)に、トリコーダという装置が登場する。スポック船長に率いられた銀河宇宙を旅する船に乗り組んだクルーたちは、様々な惑星を探査する。彼らは、航海の折々に出会った未知の生命体をたちどころに判別する装置を持っていた。それがトリコーダである。しかも手のひらサイズの携帯型だ。このトリコーダ、地球上の生命体を対象とする、という条件付きではあるが、今まさに実現に向かって開発の火蓋が切って落とされたのである。
DNAバーコードプロジェクトのお話_02
 地球の生命体用に開発されるトリコーダの心臓部は、通信装置と超小型のDNA塩基配列解読装置、それにコンピュータである。これで、生物の体の一部からでもDNA配列を読み取り、通信装置でホストサーバのデータベースにアクセスし、検索結果を返してくるのだ。GPS付き携帯電話のiモードでグーグルマップにアクセスし、所在地を教えてくれるサービスと似たようなものだ。勘のよい君たちならば、新しく開発しなければならないのは、手のひらサイズのDNA解読装置だけなのだ、ということがすぐに理解できるだろう。
 では、どんな使い方があるだろうか。2つほどあげてみよう。まず最初は蚊の種類を知るという要求に応えるものだ。君の腕に止まって血を吸っている蚊がいるとしよう。今は1月なので少し現実味に欠けるけれど、将来、地球温暖化の影響で東京あたりにも危険なデング熱を媒介するネッタイシマカという蚊が現われるかもしれない。知りたいことは君の腕に止まっている蚊がネッタイシマカなのか、そうじゃないのかだ。蚊の分類学者ならいざ知らず、この世にトウゴウヤブカとネッタイシマカとアカイエカを見た目で区別できる人はそんなに居るわけじゃない。だから、このトリコーダは発売以来一人一台の必需品となるはずだ。滑らかな直方体をしたトリコーダの一番上のところのキャップを開けて、たたき潰した蚊の体をそこに入れる。キャップをしめて、デスプレイのプルダウンメニュー画面で検索対象生物群のinsectを選ぶ。そして読み取りをスタートさせる。読み取り中を示す発光ダイオードの光が赤から青に変わると読み取り完了。直ちにサーバからの検索結果が表示される。まずい、ネッタイシマカだ。
DNAバーコードプロジェクトのお話_03
 君は不安を募らせる。腕にとまって、口吻をさした蚊がはたしてデング熱のウィルスを持っていた個体なのかどうかだ。さっそく検索画面にもどって、対象をウィルスに変えて、作業を繰り返す。デング熱はネガテイブだ。これで一安心。こんな調子で原理的には、生命体がもつ固有のDNAの配列がデータベースに登録されていさえすれば、HIV検査だって、殺人犯の靴底に挟まれていた草の種類を知ることだって可能なのである。この原理的にという部分が肝心なところ、生物学者、とりわけ系統分類学の専門家の仕事が大きな比重を占める過程なのである。それを生命体のバーコード化プロジェクトと呼ぶのである。
 これはSF(サイエンスフィクション)ではない。2002年4月にドイツのミュンヘンで開かれた学術会議を皮切りに、アメリカ、イギリスで次々と国際会議が開催され、2005年ロンドンの自然誌博物館で開催された会議には46カ国から200名以上の科学者が集まって、プロジェクトの将来と課題が議論された。日本でも、この動向に無縁ではない。2005年から2006年に遺伝学会や日本生態学会でDNAバーコードについて議論する集会が持たれ、2007年3月早々にも日本生態学会で再び会議が開かれる予定だ。
DNAバーコードプロジェクトのお話_04
 DNAバーコードプロジェクトによって我々が受けることのできる直接的な利益は4つ。第一は、生物の種類を正確に見分けるという作業を、分類学者が築くデータベースに基づいてエンドユーザ(寄生虫や病原体を見分けなければならない医学者、作物や家畜の害虫や病原体を扱う農学者、野菜や魚介類の種類を判定する流通業者たち)が利用できるようになること。2つめは、種の同定という作業に追われていた分類学者がこの奉仕作業から解放され、真の学問的活動に専念できるようになること。3つめは、種類を判別する形態基準が親にしかないような生物でも、卵や幼虫と親の関係、種子と芽生え、開花した植物の関係を明らかにできること。そして、最後にこうした作業を簡便化してだれにでも生物の種類が判定できるようにすることである。そのための携帯装置が、スタートレックのトリコードという訳である。
 人類という種のDNAを全て読み取るという国際的なプロジェクトをヒトゲノム計画と呼び、2000年にその解読が完了したというニュースを覚えておいでであろう。ヒトゲノム計画、マウスゲノム計画を全地球生物ゲノム解読の縦糸とすれば、太い横糸がDNAバーコード計画だと言える。直接的な利益は上に挙げた4つに集約できるが、利益を受ける科学研究や人々の裾野は無限に広がっている。分類学は約200年の歳月をかけて170万種の生物を新種として登録してきた。地球上にはさらに1千万から2千万もの未知の生物が未登録のまま残されているといわれている。これらの生物を登録し、生物資源として活用する道を切り開くためにもDNAバーコード計画は必要不可欠なプロジェクトなのである。しかし、こうした情報や証拠標本を特許として登録し、有用生物資源獲得の国際競争を生き抜こうという各国の思惑も又見逃せないのである。

(地理生態学研究室:長谷川雅美)

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