細胞再考
はじめに
みなさんは細胞がカラフルに彩られた顕微鏡写真を目にされたことがあるでしょうか(研究紹介動画にもあるのでご覧ください)。オープンキャンパスなどでご覧にいれると「きれい!」という反応が聞かれます。でもそれに続けて、「これは分子を見ています。細胞の中では分子が働いています」とご説明すると「え?」と怪訝な表情をされることがほとんどです。生物の体内で遺伝子やタンパク質が働いていることは周知のことと思うのに、これら分子の化学反応の集まりが生命活動の実態であるということがあまり認識されていないのかな?と感じます。そんなことから本稿では生命の最小単位である「化学工場、細胞」について改めて考えます。
分子が生命を担う
細胞は周囲を膜で囲われ、内部に核やミトコンドリアなどの小器官を持っています(図1)。これは教科書の図などでもお馴染みでしょう。では小器官の隙間、図で何も描かれていない部分には何があるのでしょうか?ここにはタンパク質などの有機物やイオンが、水と共にぎっしりと詰まっており、実はこれらの分子こそが生命現象の担い手です。分子は熱運動で拡散しながらぶつかり合い、適切な相手に出会うと結合したり化学反応を引き起こしたりします。そのような反応のネットワークが、私たちが「生命」と捉えるものを生み出しています。「生命」の決まった定義はありませんが、NASA(アメリカ航空宇宙局)は地球外生命を探索するうえで "Life is a self-sustaining chemical system capable of Darwinian evolution"(文献2)(「生命とはダーウィン進化可能で自律的な化学システムである」筆者訳)としています。細胞を壊すとバラバラな分子があるだけになる、でも細胞として存在すると、それら分子の集まりが秩序を持った化学システム「生命」となるのです。
細胞は複雑な分子システム
細胞が持つ化学反応のネットワークとはどんなものでしょうか?例えば、高校の教科書にもでている呼吸のクエン酸回路や光合成のカルビン回路のような代謝経路があります。これらの回路では、化合物がAからBになり、ついでCへというように、化学反応が連鎖することで次々と変換されていきます。経路は一本道ではなく、一つの化合物が複数の経路で使われたり、あるいは別の反応の調節に働いたりすることで、枝分かれしたり関与し合ったりしながらネットワークをつくります(図2)。
反応ネットワークは代謝に限りません。単細胞アメーバが環境中の化学物質を感知して移動する例を考えると、最初匂い物質が細胞表面の受容体に結合することで、細胞内のあるタンパク質が活性化されます。これが別のタンパク質の活性を変え、それがさらに次の反応を、と連鎖することで細胞内を情報が伝えられ、最終的に細胞の形を制御するアクチンやミオシンと呼ばれる分子に変化が起きて、細胞は匂い物質の方へと動きます(文献3)。私たちが良い匂いを嗅いで近づくのと同じですが、もちろんアメーバは鼻も足も持たず、分子の作用だけでこれを行います。
細胞の持つこれらの分子ネットワークは実に複雑・膨大なもので、一例として代謝データベースの経路図(文献4)をご覧いただくと、いかに多くの分子や反応が関わっているかがわかるでしょう。これを構築するのに必要な情報はゲノムDNAが持ちますが、その内容はどのような遺伝子をいつ、どの量発現するかということで、機械の設計図のように目的のために部品の配置や接続を定めてあるのとは異なります。発現された遺伝子が物理化学の法則によって振る舞うなかで、秩序が自律的に出現しているのです。
このようなシステムは進化で獲得されてきました。絶えず変化する環境中で生命を維持するため、細胞が様々な機構を持つにいたったことは、単細胞生物を見るとよく分かります。細胞分裂で自己複製しながら、栄養を取り込んだり、シグナルに応答して動いたり、環境が厳しくなると殻を作って休眠したり、中には自分の「家」を作る細胞もいます。ポーリネラというこの有殻アメーバは珪酸性の板を規則的に配置した殻を持ちますが、細胞分裂に際してこの殻を細胞外に形成した後に娘細胞が移行します(文献5)。神経も筋肉も無いたった一つの細胞が分子の働きだけでこのようなことをやってのけるのは驚くばかりです。
動物や植物の複雑な体を見た時、私たちは多細胞になって初めて複雑になれると考えがちですが、個々の細胞は単独では何もできないのでは決してなく、各々が機能を備えた複雑な分子システムです。多細胞生物はそれを利用することで体を作っており、免疫細胞による異物の排除、神経細胞の伝達物質放出、発生における細胞の分化など、いずれも基本的な分子機構は単細胞生物に見出されます。機構を備えた細胞を多細胞の制御下に置き、さらなる仕組みを構築することで、多細胞生物は非常に複雑な体制を進化させたと言えます。
ところで「熱力学の第二法則」によると自然は乱雑さを増す方向にしか進まないので、生物の持つ秩序は一見これに逆らうように見えますが、環境から得たエネルギーで秩序を作ると同時に、その一部を放熱して環境の乱雑度を上げることで熱力学の法則も満たしながら、生物は生きています。
このようなシステムは進化で獲得されてきました。絶えず変化する環境中で生命を維持するため、細胞が様々な機構を持つにいたったことは、単細胞生物を見るとよく分かります。細胞分裂で自己複製しながら、栄養を取り込んだり、シグナルに応答して動いたり、環境が厳しくなると殻を作って休眠したり、中には自分の「家」を作る細胞もいます。ポーリネラというこの有殻アメーバは珪酸性の板を規則的に配置した殻を持ちますが、細胞分裂に際してこの殻を細胞外に形成した後に娘細胞が移行します(文献5)。神経も筋肉も無いたった一つの細胞が分子の働きだけでこのようなことをやってのけるのは驚くばかりです。
動物や植物の複雑な体を見た時、私たちは多細胞になって初めて複雑になれると考えがちですが、個々の細胞は単独では何もできないのでは決してなく、各々が機能を備えた複雑な分子システムです。多細胞生物はそれを利用することで体を作っており、免疫細胞による異物の排除、神経細胞の伝達物質放出、発生における細胞の分化など、いずれも基本的な分子機構は単細胞生物に見出されます。機構を備えた細胞を多細胞の制御下に置き、さらなる仕組みを構築することで、多細胞生物は非常に複雑な体制を進化させたと言えます。
ところで「熱力学の第二法則」によると自然は乱雑さを増す方向にしか進まないので、生物の持つ秩序は一見これに逆らうように見えますが、環境から得たエネルギーで秩序を作ると同時に、その一部を放熱して環境の乱雑度を上げることで熱力学の法則も満たしながら、生物は生きています。
分子の相互作用の変化が情報を伝える
では一つ一つの分子は実際どのようにして働いているのでしょうか。重要な役割をするのは非共有結合と呼ばれる、分子を作る原子間の弱い結びつきで、一つの分子内で働いて分子の構造に寄与したり、他の分子との結合力をもたらしたりします(図3)。例えば酵素と基質の特異的な結合も、両者の構造や化学的性質が「カギと鍵穴」のように合致して分子間に適切な非共有結合が形成されることによります。
非共有結合のでき方が変わると、分子の形や他の分子との相互作用が変化し、働き方が変わることになります。上のアメーバの例では匂い物質が受容体に結合して新たな非共有結合が形成されたことで受容体の分子構造が変わり、その結果受容体と細胞内タンパク質との非共有結合も変化して、この分子の活性化が引き起こされます。このように化合物の結合が引き金となる「アロステリック調節」や、あるいは化学基を付加して原子団のサイズや性質を変える「化学修飾」などによって分子の働きが調節され(図4A)、それが連鎖することで分子間を情報が伝わります。
非共有結合のでき方が変わると、分子の形や他の分子との相互作用が変化し、働き方が変わることになります。上のアメーバの例では匂い物質が受容体に結合して新たな非共有結合が形成されたことで受容体の分子構造が変わり、その結果受容体と細胞内タンパク質との非共有結合も変化して、この分子の活性化が引き起こされます。このように化合物の結合が引き金となる「アロステリック調節」や、あるいは化学基を付加して原子団のサイズや性質を変える「化学修飾」などによって分子の働きが調節され(図4A)、それが連鎖することで分子間を情報が伝わります。
化学反応は分子の性質だけでなく濃度にも依存します(濃度が高いと衝突の頻度が上がる)。遺伝子の発現や化学反応の結果起こる分子数の時間的変動に加え、細胞内での分子局在や複合体・分子凝集の形成を通した空間的な調節も行われます(図4B)。化学反応のネットワークは様々な仕組みで巧みに制御され、そのことによって生命が営まれているのです。
おわりに
細胞の中で分子が働いて生命を営む「化学工場」の姿、イメージいただけましたでしょうか。その担い手である分子に思いを致すことで、「生命」についての理解を広げていただけると幸いです。
山田 葉子(生物学科 細胞生物学研究室)
文献
- Yu et al. eLife 5: e19274 (2016). doi: 10.7554/eLife.19274
- NASA, About Life Detection, https://astrobiology.nasa.gov/research/life-detection/about/
- Pal et al., Int. J. Dev. Biol. 63: 407-416 (2019). doi: 10.1387/ijdb.190265pd
- KEGGパスウェイマップ. https://www.genome.jp/pathway/map01100
- 野村、石田. Plant Morphology 29: 47–51 (2017). https://doi.org/10.5685/plmorphol.29.47