合成胚〜培養細胞から生物を生み出す〜
お皿の中で培養している細胞を使ってマウスなどの生物を生み出す、というのは小説や漫画(例えばパラサイト・イブ(瀬名秀明・著))などではお目にかかっても、現実的には荒唐無稽なお話に感じると思います。しかし、これは幹細胞分野で現在最もホットなトピックで、世界中で研究が進んでいます。この研究領域は合成胚(Synthetic Embryo)、幹細胞由来胚モデルなどと呼ばれています。
ES細胞のキメラ形成能
マウスの着床前初期胚である胚盤胞を特定の条件で培養すると、段々と細胞が増えていき、胚性幹細胞(ES細胞)を樹立できます。この細胞はほとんど無限に増えることができるし、凍結保存して何十年も保存することも可能です。当然凍結保存した細胞を起こして培養を再開することもできます。培地の中のES細胞はピカピカのコロニーを作って増える可愛い子ですが、この細胞がたった一個の胚からできてきたとはにわかに信じがたいほどよく増えます。幹細胞についてはこちらの記事(https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/0810.html)も参考にして下さい。
ES細胞は着床前初期胚と合体させて数日培養すると、胚に取り込まれ、これを子宮に移植すると、母体の中で胚の体づくりに貢献することができます。このような胚はキメラ胚とよばれます(図1)。キメラ胚の中ではES細胞由来の組織が作られていきます。ES細胞が生殖細胞に寄与した場合、交配を通じて次世代にES細胞の遺伝情報が伝達します。つまり、マウスは、着床前初期胚→ES細胞→キメラマウス→次世代ES細胞由来マウス、というやり方で、生体内(in vivoと言います)と生体外(in vitroと言います)を行き来できる非常に稀有な存在なのです。このようなモデル生物はマウス(とラット)の他にはいません。ヒトからもES細胞やiPS細胞が樹立されていますが、倫理的な問題があってキメラ形成能についてはほとんど解明されていません。最近ではサルのキメラが誕生したことから、霊長類の研究はこれからどんどん進むと思われます(Cao et al., 2023)。
4倍体補完キメラマウス
上に述べたように、ES細胞は生体に戻すことで組み込まれて正常発生に寄与することが可能です。しかし、このキメラマウスは一部の組織はES細胞由来ですが、一部の組織は元々の受け手の胚(レシピエント)由来であり、混ざりあった状態にあります。このため、ギリシャ神話に登場する獣が混ざりあった怪物、キマイラになぞらえてキメラマウスと呼ばれています。一方で、細胞を融合させてゲノムを倍加させた4倍体胚をレシピエントとして用いた場合、4倍体胚は胎盤以外に寄与できないため、胚体は100%ES細胞に由来する個体を作ることができます。このような手法を4倍体補完法といいます(図2)。
この実験は非常に重要な事実を示しています。それは、ES細胞は胎盤組織さえサポートすれば、体を全て作り出すポテンシャルがあるということです。では、胎盤組織をサポートする細胞を培養細胞から作り出せたら?もしかしたら培養細胞から個体を生み出せるかもしれない、みなさんと同じように、科学者も考えました。
栄養膜幹細胞を使った合成胚
胎盤は生まれた後の体の中には存在しないために忘れがちですが、我々が生まれてくる上で必須の組織です。胎盤は母体がつくるパートと、胎児が作るパートからできていて、両方が揃わなくては胎児は正常に成長できません。その運命決定は最も早い細胞分化とも言われており、受精の数日後に「体を作る細胞」と「胎盤を作る細胞」が決定されます。前者は内部細胞塊と呼ばれ、我々の体を作る細胞は全てここから生じます。ES細胞も内部細胞塊から由来します。一方で、後者の「胎盤を作る細胞」は栄養外胚葉と呼ばれます。この細胞は胎盤の外側の膜組織や海綿状細胞など主要な組織になります。この栄養外胚葉の幹細胞、栄養膜幹細胞(TS細胞)は1998年に培養方法が報告され、マウス胚と凝集させて培養すると胎盤組織に寄与します(Tanaka et al., 1998)。では、ES細胞とTS細胞を混ぜて培養したら胚になるのでしょうか?残念ながら、これだけではダメなようです。ES/TSキメラ胚は、着床はするものの、全て致死となってしまいます(図3)。
原始内胚葉幹細胞の発見と合成胚
実は胚の発生を支える組織にはもう一種類重要な細胞がいます。それが栄養外胚葉の分化したすぐ後に出現する原始内胚葉です。原始内胚葉は胎盤などの胚胎外組織の内側の卵黄嚢という膜組織をつくるうえで必須の細胞です。この細胞がなくては正常に発生できませんが、ES細胞もTS細胞も卵黄嚢を作り出すことはできません。この原始内胚葉に由来する幹細胞が2022年についに大日向博士と古関博士らによって樹立されました(Ohinata et al., 2022)。これが原始内胚葉幹細胞(PrES細胞)です。大日向博士らはこのPrES細胞とES細胞、TS細胞を組み合わせて作ったキメラ胚を移植することで、着床後の膜組織を形成する時期まで発生を進めることに成功しました(図4)。
ミッシング・ピースはなにか?
PrES細胞の樹立は大きなブレイクスルーになりましたが、移植した胚は全て致死となり、原腸陥入、器官形成期までも発生は進んでいません。必要なピースは揃ったように見えるのに、何が足りないのでしょうか?間違いなさそうなのは、幹細胞の質です。いくら類似しているとはいえ、培養幹細胞は生体内の細胞と様々な点で異なります。しかし、最近は次世代シーケンサーなどを用いることで、「何が違うか?」はかなり容易に、かつ網羅的にを解析可能になりました。また、CRISPRによるゲノム編集や、それを応用したエピゲノム編集技術も発展が著しいです。世界中での研究が進んでいることから、純粋な幹細胞由来マウスが生まれる日は近いうちにやってくると予想します。
おわりに
合成胚研究の盛んな理由の一つに、ヒトの研究に応用可能な点があります。ヒトの初期胚は倫理的な問題から遺伝子操作実験などができません。しかし、もしヒトのiPS細胞に由来する合成胚ができたら、この倫理的なハードルは一気に下がります。すでにヒトのiTS細胞は報告されていることから、必要なピースは揃いつつあります。アメリカやイスラエルのグループが既に受精後14日目のヒト胚に近い幹細胞由来胚を報告しています(Oldak et al., 2023; Weatherbee et al., 2023)。最近では人工子宮の研究も盛んであり、脳などの主要組織を形成する時期まで発生を進めることも可能になるかもしれません。そうなれば、疾患や創薬の研究を始め、広大なフィールドに貢献することは間違いありません。動物実験を減らすことにも貢献しそうです。しかし、一方で、このように遺伝子操作胚モデルを作り出すことは倫理的に問題ないのでしょうか?各国で猛烈な勢いで研究が進む一方で、倫理問題の議論も盛んに行われています。
山口 新平(東邦大学理学部生物学科 幹細胞リプログラミング研究室)
引用文献
- Cao, J., Li, W., Li, J., Mazid, M. A., Li, C., Jiang, Y., Jia, W., Wu, L., Liao, Z., Sun, S., Song, W., Fu, J., Wang, Y., Lu, Y., Xu, Y., Nie, Y., Bian, X., Gao, C., Zhang, X., … Liu, Z. (2023). Live birth of chimeric monkey with high contribution from embryonic stem cells. Cell, 186 (23), 4996-5014.e24. https://doi.org/10.1016/j.cell.2023.10.005
- Ohinata, Y., Endo, T. A., Sugishita, H., Watanabe, T., Iizuka, Y., Kawamoto, Y., Saraya, A., Kumon, M., Koseki, Y., Kondo, T., Ohara, O., & Koseki, H. (2022). Establishment of mouse stem cells that can recapitulate the developmental potential of primitive endoderm. Science, 375 (6580). https://doi.org/10.1126/science.aay3325 プレスリリース:https://www.chiba-u.ac.jp/others/topics/info/post_1052.html
- Oldak, B., Wildschutz, E., Bondarenko, V., Comar, M. Y., Zhao, C., Aguilera-Castrejon, A., Tarazi, S., Viukov, S., Pham, T. X. A., Ashouokhi, S., Lokshtanov, D., Roncato, F., Ariel, E., Rose, M., Livnat, N., Shani, T., Joubran, C., Cohen, R., Addadi, Y., … Hanna, J. H. (2023). Complete human day 14 post-implantation embryo models from naive ES cells. Nature, 622 (7983). https://doi.org/10.1038/s41586-023-06604-5
- Tanaka, S., Kunath, T., Hadjantonakis, A. K., Nagy, A., & Rossant, J. (1998). Promotion to trophoblast stem cell proliferation by FGF4. Science, 282 (5396). https://doi.org/10.1126/science.282.5396.2072
- Weatherbee, B. A. T., Gantner, C. W., Iwamoto-Stohl, L. K., Daza, R. M., Hamazaki, N., Shendure, J., & Zernicka-Goetz, M. (2023). Pluripotent stem cell-derived model of the post-implantation human embryo. Nature, 622 (7983). https://doi.org/10.1038/s41586-023-06368-y