理学部生物学科

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我々は細胞をつくれるのか

1. キッチンで人工細胞

 「スーパーで買ってきた材料を使って人工細胞をつくる」という興味をひかれる内容が、ブルーバックス「我々は生命を創れるのか」で紹介されている(藤崎慎吾, 2019)。人工細胞の膜は、卵黄から取り出された脂質にポカリスエットを垂らすという単純な手法で比較的簡単につくれるそうだ。ただし、この状態は単に膜に囲まれた「袋状の構造」といったところだろう。「袋状の構造」に色水を閉じ込めれば、内外が区別しやすくなる。色水の代わりにDNAや酵素などを入れると、もう少し本物の細胞に近づいていく。高校の生物基礎の教科書でも紹介されているが、DNAはブロッコリーや果物などからキッチン用品を使って簡単に回収できる。今回紹介されている人工細胞にブロッコリーから抽出してきたDNAを入れるとブロッコリーが育つ、そんなことが起こったらすごいのであるが、当然ながらブロッコリーは育たない。DNAだけでは、DNA→転写→RNA→翻訳→タンパク質といったセントラルドグマが成立しないことも一つの理由だ。では、この「袋状の構造」の中にDNAや酵素を入れることで、セントラルドグマを再現できるだろうか。
図1

2. ラボで人工細胞

 ここからは実験室で研究者が本気になって作っていたものであるが、「袋状の構造」の人工細胞に遺伝子配列やタンパク質合成に必要な材料を入れて実験を行っている。転写に必要なRNAポリメラーゼや翻訳に必要な酵素、リボソーム、アミノ酸やtRNAといった材料を入れたところ、本物の細胞と同じように、人工細胞の中でタンパク質ができることが確認された。しかし、数時間するとタンパク質が合成できなくなってしまう。それは生命共通のエネルギー源であるATPが使い果たされるからだ(Noireaux et al., 2003)。この問題を解決するため、膜構造を壊さずに膜内外の小さい分子を出し入れできる膜タンパク質を膜に組み込んだ「袋状の構造」がつくられた。この中では、外から細胞外にエネルギー源を供給し続けることで、4日間タンパク質の合成が続いた(Noireaux and Libchaber, 2004)。セントラルドグマを比較的長い期間、再現できたのである。
 本物の細胞に近づける努力は、細胞抽出物を人工細胞に封入する方法やさらに小さな袋状の構造を人工細胞の中に閉じ込めて人工的な細胞小器官を作る方法などによって続けられている(Silverman et al., 2020)。バクテリオロドプシンは、光が当たると光駆動プロトンポンプが駆動し、水素イオンの濃度差を作り出すものとして知られている。また水素イオン濃度差を利用してATPを合成する装置が、ATP合成酵素である。最近では、バクテリアロドプシンとATP合成酵素を組み合わせることで、光を照射するとATPがつくられ、タンパク質が合成されるという人工細胞ができている(Berhanu et al., 2019)。人工葉緑体のようなこの人工細胞は、セントラルドグマを実現し、さらに本当の細胞に少しずつ近づいている気がする。
図2

3. 人工ゲノムをもつ人工細胞

 これまで紹介したのは、人工的につくった「袋状の構造」の中で本物の細胞の営みであるセントラルドグマを再現しようとしたものであった。次に紹介するのは、ヒトゲノム解読に貢献したクレイグ・ベンターの研究チームが手掛けてきた人工細胞の「ミニマル細胞」である。この人工細胞は、細菌ゲノムを人工的に合成し、それを別の細胞へ移植してつくられた。この新たな細胞は、持続的に増殖できたのである(Gibson et al., 2010)。この細胞では、移植された細胞の中に残っていたタンパク質や細胞質、細胞膜がなければ導入したDNAが機能しない。しかし、分裂を繰り返すうちに元の細胞に由来する分子は減っていき、最終的にはなくなってしまう。細胞へ導入されたDNAの指令に基づき、細胞が維持されたのである。さらに研究チームは、人工細胞の構成要素を必要最小限にまで削ぎ落とし、最終的に473個の遺伝子からなる人工細胞をつくり上げた(Hutchison et al., 2016)。この研究チームでは今回のように、人工ゲノムDNAを細胞へ導入することを「インストール」と呼んでいるそうだ。あたかもコンピュータに新しいソフトをインストールしているようだ。20世紀最高の物理学者の一人のリチャード・ファインマンが「自分で作れないものを理解できるわけがない」という言葉を残したが、まさにそのようなことが行われている。
図3

4. 研究倫理の問題

 今回紹介した研究はその分野内で完結するものではなく、一般社会に十分影響を与えうる。例えば、入手困難な医薬品の原材料を安価に大量生産するため、生合成に関与する遺伝子を組み込んだ人工細胞を用いて医療に貢献する可能性を秘めている。一方、危険なDNA配列を意図的に組み込んだ人工細胞ができればどうだろうか。DNA配列の準備やデザインが容易になればなるほど、実際に行われる危険性が高まる。
 研究とは本来、知的好奇心を追及する営みである。そして、研究活動により得られた成果が、我々の生活を便利にし、豊かにしてきた。しかし、使い方によっては悪い影響を与える。したがって、人や周りの環境を害するような操作を加えないということは、これらの研究で必要とされる原則となるだろう。
 2022年度から高等学校新教育課程で「総合的な探究の時間」が実施される。高等学校でもこれまで以上に課題研究などに取り組む機会が増えるだろう。知的好奇心を追求するあまり、誠実な研究活動を実施するということを忘れてしまう恐れもある。「高校生の研究倫理」というと堅い話に聞こえてしまうが、研究は社会から信頼を得たうえで進めることが大切である。公正研究推進協会(APRIN)では、高校生向けの研究倫理教材を無料公開しており、国際大会につながるような科学コンテストでは、この教材の受講が義務付けられている。
 新たな研究分野の発展は、倫理的な議論につながることがよくある。研究を行う人はもちろん、研究を行わない人も誠実な研究活動というものを十分に理解しておくことは大切である。そして、誠実な研究活動を通して、科学と技術をますます発展させていきたいものだ。

5. 参考文献・紹介する書籍

  • Berhanu, S., Ueda, T., and Kuruma, Y. (2019). Artificial photosynthetic cell producing energy for protein synthesis. Nat Commun 10(1), 1325. doi: 10.1038/s41467-019-09147-4.
  • Gibson, D.G., Glass, J.I., Lartigue, C., Noskov, V.N., Chuang, R.Y., Algire, M.A., et al. (2010). Creation of a bacterial cell controlled by a chemically synthesized genome. Science 329(5987), 52-56. doi: 10.1126/science.1190719.
  • Hutchison, C.A., 3rd, Chuang, R.Y., Noskov, V.N., Assad-Garcia, N., Deerinck, T.J., Ellisman, M.H., et al. (2016). Design and synthesis of a minimal bacterial genome. Science 351(6280), aad6253. doi: 10.1126/science.aad6253.
  • Noireaux, V., Bar-Ziv, R., and Libchaber, A. (2003). Principles of cell-free genetic circuit assembly. Proc Natl Acad Sci U S A 100(22), 12672-12677. doi: 10.1073/pnas.2135496100.
  • Noireaux, V., and Libchaber, A. (2004). A vesicle bioreactor as a step toward an artificial cell assembly. Proc Natl Acad Sci U S A 101(51), 17669-17674. doi: 10.1073/pnas.0408236101.
  • Silverman, A.D., Karim, A.S., and Jewett, M.C. (2020). Cell-free gene expression: an expanded repertoire of applications. Nat Rev Genet 21(3), 151-170. doi: 10.1038/s41576-019-0186-3.
  • 藤崎慎吾 (2019). 我々は生命を創れるのか. 講談社.
  • 須田桃子 (2018). 合成生物学の衝撃. 文藝春秋.
  • ジェイミー・A・デイビス 藤原慶 監訳 徳永美恵 訳 (2021). サイエンス超簡潔講座 合成生物学. ニュートンプレス.
  • 中等教育における研究倫理:基礎編(2018). 公正研究推進協会(APRIN)
  • 中等教育における研究倫理:応用編(2021). 公正研究推進協会(APRIN)

分子発生生物学研究室 村本 哲哉

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