iPS細胞:体細胞から生殖細胞 へ
はじめに
細胞は細胞から生まれ、ヒトも細胞から生まれる
生物は細胞からできています。私たちの体は、ひとつ残らず1個の受精卵に由来し、そのほとんどは父親由来の23本の染色体と母親由来の23本の染色体を持っています。染色体はDNAの運び屋で、父親も母親もその両親(つまり祖父母)から23本ずつ染色体を受け継いでいます。受精の前には、減数分裂という仕組みによって両親から受け継いだ染色体を組み換えて、遺伝情報をシャッフルすることで遺伝的に多様な卵子や精子を作りだします。生殖細胞でのみでおこる減数分裂は、このように1セット遺伝情報から個性豊かな生命を新たに作りだす役割を果たしています。一方、クローン動物は、1つの体細胞から減数分裂を介さず発生することから、原理的に同じDNA配列を持つ兄弟または姉妹を時間差で誕生させることになります(図1)。生殖細胞では、細胞が老化しないように若返るしくみも働いています。この染色体の若返りの機構は、リプログラミングや初期化とよばれ注目されています。このしくみにより、細胞は親から子へと何世代も引き継がれ分裂を続けることができるのです。生命の多様性と連続性を生み出す生殖細胞を、現在、体細胞から試験管の中で作り出せるようになりました。この「生物学の新知識」では、科学がどこまで生命を操れるようになっているのか、その是非の判断は読者にお任せして、ご紹介していきます。
iPS細胞マジック:体細胞をどんな細胞にも変えられる
1. 生殖細胞と体細胞は何が違うのか?
私たちの体には、脳、心臓、肝臓、膵臓、腎臓、精巣、卵巣など、さまざまな機能をもった臓器があり、臓器はさらに機能の異なる複数種類の体細胞で構成されています。精巣や卵巣には精子や卵子を含む生殖系列の細胞が蓄えられていますが、生殖巣自体は中胚葉を主体とした体細胞で作られています。この体細胞の中には、生殖細胞の発生に必須な役割を果たす支持細胞が含まれています。できたての頃の未熟な生殖細胞は始原生殖細胞(PGCs)と呼ばれますが、驚くべきことに、PGCsは生殖巣の中で作り出されるのではなく、胚の外側にある細胞から出される液性因子の刺激を受けて胚になる細胞からやや離れた位置に誕生します1, 2)。PGCsは、その後、自ら這うように移動して将来の生殖巣の中へと入りこむのです。数日の旅を終えて生殖巣に入ったPGCsは支持細胞の影響を受け、初期化、性決定、減数分裂、卵子形成や精子形成といった特別な変化を開始します。では、PGCsはどの細胞からどのように作り出されるのでしょうか?
2. 生殖細胞と体細胞はそもそも同じ細胞から
哺乳類のPGCsはどのように作り出されるのか、そのプロセスを簡単にまとめます。哺乳類は、他の生物と異なる大きな特徴として、受精卵から体を作る胚体と胎盤の両方が作り出されます。受精卵が分裂を開始して胚盤胞期になると、お母さんの子宮に着床して栄養をもらえるように、外側の細胞は胎盤になる細胞へ、内側の細胞は胚体になる内部細胞塊細胞に分化します。この内部細胞塊細胞は、まだ、どの胚体の細胞になるか決まっていない多能性を持つ幹細胞で、培養するとES細胞を樹立することができます。胚盤胞が子宮に着床すると、内部細胞塊細胞はやや性質の異なるエピブラストと呼ばれる多能性幹細胞になり、一部が原始内胚葉に分化します(図2)。エピブラストは、胎盤になる細胞や原始内胚葉から分化した近位内胚葉からの刺激を受けて、本格的に胚を形成し始めます。エピブラストは、原腸陥入という現象を介して中胚葉と内胚葉へと分化し、それ以外は外胚葉へと分化します。これと同時期に、エピブラストから、PGCsが誘導されます(図2)。不思議なことに、マウスのES細胞は内部細胞塊細胞の特徴を持つのに対し、ヒトのES細胞は、エピブラストの特徴を備えています。すなわち、エピブラストからPGCsを作り出す仕組みがわかると、マウスだけでなくヒトのES細胞からPGCsを作り出せるということです。
3. 体細胞からiPS細胞へ、iPS細胞から生殖細胞へ
ES細胞からPGCsが作り出せる様になれば、iPS細胞からもPGCsを作り出せる様になります。iPS細胞は、ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授たちにより開発され、ES細胞によく似た分化多能性を持ちます3)。この発明によって、体細胞は一度iPS細胞に姿を変えることで、生殖細胞になれる迂回路を手に入れたのです。事実、マウスを用いた実験では、マウスのしっぽの体細胞から作り出したiPS細胞にPGCs分化に必要なさまざまな誘導因子や増殖因子を加えて培養したところ、試験管の中でPGCsに似た細胞を作り出せるようになりました。このさまざまな因子については、別の機会にご紹介します。このPGCsに似た細胞を、精子ができないマウスの精巣に移植し、精子に分化させることに成功しました4)。また、翌年には、このPGCsに似た細胞を胎児の生殖巣の支持細胞と混ぜ、その塊を大人のマウスの卵巣に移植し卵子を作り出すことに成功しました5)。驚くべきことに、これら生殖細胞は受精する能力を持ち、正常発生してマウスが誕生しました。このiPS細胞の子供に当たるマウスを他のマウスと交配させたところ、iPS細胞の孫に当たるマウスが誕生しました。これらの研究成果は、生殖細胞の分化制御の謎を解き明かした偉業と言えます。一方で、マウスのしっぽの細胞が遺伝的に繋がりのある子孫を作り出したことで、「生殖細胞だけが世代を越えて遺伝情報を伝達する」という生殖細胞の概念を私たちから奪い取ることになりました。さらに、2016年にはPGCsを卵巣に移植しなくても試験管で完全に成熟した卵子を作る方法が開発され、実用化の道をまた一歩進みました6)(図3A)。さらに 詳しくお知りになりたい方は、京都大学斎藤通紀教授のホームページ(https://www.med.kyoto-u.ac.jp/organization-staff/research/doctoral_course/r-003/)、九州大学林克彦教授のホームページ(https://www.lab.med.kyushu-u.ac.jp/hgs/)をご覧ください。
4. 体細胞から始まる家系図
マウスES細胞やiPS細胞は、そもそも分化能が高く、胚盤胞に注入して仮親の子宮に移植してキメラマウスを誕生させることができます(図4)。このキメラマウスの胚発生過程では、iPS細胞からPGCsも分化し、通常の胚発生を経て精子や卵子が作り出されます。これらのキメラマウスを交配させると子供が生まれます。この子供は、iPS細胞、すなわち、体細胞の子孫ということになります。この生殖細胞形成過程では、減数分裂により両親由来の染色体が組み換えられるため、ある程度遺伝的に多様な子孫を残すことができます。さらに注目するべきポイントは、1個体から樹立したiPS細胞から精子と卵子の両方を作ることが可能だということです。PGCsにはもともと性のマークはなく、何も刺激がなければ卵子になるよう運命付けられています。そのため、PGCsが精子になるには、オスの生殖巣の支持細胞の働きが必要です1) 7)。この現象を性決定といいます。この特性から、PGCsをメスの胚盤胞に注入すると卵子になりますが、オスの胚盤胞に注入すると精子になる可能性が高くなります。すなわち、体細胞の提供者がメスであってもオスであっても、オス・メスどちらの支持細胞を提供する胚盤胞を用いるかによって卵子と精子を作り分ける工夫を施すことができるのです(図4)。
では、キメラ動物を使って卵子や精子を体の中で分化させる方法と前述の試験管で作製する方法は、どういった違いがあり、どちらが社会に与えるインパクトが高いのでしょうか?決定的な違いは、マウスやラット以外の動物では、キメラ動物を作ることが極めて困難な性質にあります。ヒトを含む多くの哺乳類のES細胞やiPS細胞はやや発生の進んだエピブラストの特性を持ち、ホストの胚盤胞の細胞の中に入り込んで分化を進める能力を既に失っているのです。一方、試験管の中では、加えた液性因子に反応してPGCsのような細胞に分化でき、利用可能な生殖巣の支持細胞があれば精子と卵子を作りだすことが期待されるのです。事実、ヒトiPS細胞からPGCsに似た細胞を試験管内でたくさん増やすことに成功しています8)。さらに、ヒトiPS細胞から作りだしたPGCsをマウス胎児から取り出したメス生殖巣の支持細胞と混合培養したところ、まだ未熟な段階ではあるものの、試験管の中でヒトの卵子を作り出すことに成功しています9)(図3A)。このようにヒトとマウスは胚発生様式に違いがあり、PGCsの細胞起源も違うのではないかという議論があります。エピブラストの特性を持つヒトiPS細胞から卵子ができたという事実は、直接ではないにせよ、PGCsはエピブラストから分化するといえるのではないでしょうか。
5. iPS細胞は絶滅危惧種を救えるのか
絶滅危惧種からiPS細胞を樹立して保存しておくと、その是非は別にして、いつの日にか、その動物を種として復活させることができるかも知れません。細胞から動物を作り出す方法には、冒頭触れたようにクローン動物作製という方法があります。iPS細胞から核を取り出し、近縁種の未受精卵に移植すると頻度は低いながらもクローン動物を作ることが可能になるかもしれません。クローン動物の細胞は、いずれもiPS細胞とほとんど同じ遺伝情報を持ちますが、iPS細胞から分化した生殖細胞が減数分裂を通過すると、ある程度は遺伝的に多様な精子や卵子を作り出すことができます。しかし、クローン技術では、オスの体細胞からは精子だけ、メスの体細胞からは卵子だけしかできません(図3B)。このことから、種の保存には、オスとメス両方の体細胞が必要です。一方、iPS細胞からPGCsが自在に作製できるようになれば、精子と卵子の両方を作り出すことができるのです(図3A)。メスのiPS細胞から作製した精子と卵子からはメスしか生まれませんが、オスのiPS細胞から作製した精子と卵子からは、原理的にメスとオスの誕生が期待でき、自然交配で純系の動物を増やしていくことが可能になるのです。
6. 発展する生殖補助医療
これまで紹介してきた胚を操作する技術の中で、未受精卵の採取、核移植、胚培養、その胚を卵子提供者本人または代理母の子宮に移して出産まで成長させること、iPS細胞を樹立して分化細胞を他人に移植することなどは、現代の医療の中でに既に行われています。iPS細胞を用いて子孫を残す方法は、このような既存の技術の組み合わせにすぎません。では、例えば、遺伝的につながりのある子供を求めているカップルが最終的な不妊治療の方法として、iPS細胞から生殖細胞を作る技術をヒトに応用する日が来るのでしょうか?果たして、技術的に可能であれは実施しても良いのでしょうか?一般の研究では、ヒトES細胞とは異なり、ヒトiPS細胞は体細胞として扱われています。しかし、生殖細胞の作製に関しては、「ヒトの発生、分化及び再生機能の解明」と「新しい診断法、予防法若しくは治療法の開発又は医薬品等の開発」に関してのみで認められ、それらを用いてヒト胚を作製することは禁じられています【文部科学省のヒトiPS細胞又はヒト組織幹細胞からの生殖細胞の作成を行う研究に関する指針】。このルールが守られている限り、試験管で生殖細胞を作り出す研究は、生命科学の発展の上で高い価値があり、生殖細胞分化の仕組みを知ることで、不妊を招く病因の解明や治療法・治療薬の開発につながると大いに期待されます。
おわりに
2021年8月には、子宮が生まれながらにない病気の患者さんに限って、子宮移植の臨床研究が日本でも認められたというニュースが各メディアから流れてきました。また、卵巣の構造を模したメッシュ構造を3Dプリンターで作製し、その中に未熟な卵子を入れて予め卵巣を摘出したマウスに移植したところ、自然交配で子供が産まれたという報告がありました10)。この技術は、抗がん剤治療を受けなければならない若い女性に朗報であると報じられました。治療が終わってから予め採卵しておいた卵子を人工卵巣に入れて戻すことで、卵巣の機能を再建できるかもしれないのです。メッシュ構造の角度や細かさが卵子の成熟度に影響を与えることも明らかになり、生殖細胞の培養環境などにも生殖細胞の品質を向上させる技術開発の余地があることを示唆しています。このように、異なる目的でバラバラに開発されてきた技術が、ある日突然総合的に結びつき、技術的イノベーションをもたらす日が来ないとは言えません。時として新しい技術は、世論の成熟を待たず個々人の信条に基づいて実施されてしまう傾向があります。2020年にノーベル化学賞を受賞したゲノム編集技術を駆使すると、受精卵に遺伝子操作を加えて、望む外見や能力を持つ子供を創り出すことができるというデザイナーベイビーの考えが現実味を帯びてきました。試験管で生殖細胞が自在に作製できるようになると、遺伝子加工も容易になります。技術的に可能なことは起こり得ることと想定しておかなければならない時代になってきました。皆さんの正しい理解が研究の進歩に追いつき、充分な議論を進めておかなければならないのではないでしょうか。読者のみなさんの判断の一助となる情報を提供できていれば幸いです。
次回の予告
哺乳類では、そもそもなぜ精子と卵子が必要で、卵子だけで単為発生ができないのでしょうか?なぜ、核移植クローンは卵子だけで発生できるのでしょうか?この現象をもたらしているのは「ゲノムインプリンティング」と呼ばれている遺伝子に付けられた小さな小さなマークです。このマークは、生殖細胞が作られるときにのみ消されたり、新しく付け直されたりします。次回は、この初期化現象についてご紹介します。
文献
- McLaren, A. Dev Biol 262, 1-15 (2003).
- Sasaki, K. et al. Dev Cell 39, 169-185 (2016).
- Takahashi, K. & Yamanaka, S. Cell 126, 663-676 (2006).
- Hayashi, K., Ohta, H., Kurimoto, K., Aramaki, S. & Saitou, M. Cell 146, 519-532 (2011).
- Hayashi, K. et al. Science 338, 971-975 (2012).
- Hayashi, K. & Saitou, M. Nat Protoc 8, 1513-1524 (2013).
- Yamauchi, Y. et al. Science 351, 514-516 (2016).
- Murase, Y. et al. EMBO J 39, e104929 (2020).
- Yamashiro, C. et al. Science 362, 356-360 (2018).
- Laronda, M. M. et al. Nat Commun 8, 15261 (2017).
幹細胞リプログラミング研究室 多田 政子