理学部生物学科

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黄色い消防車 【2008年6月】

 外国に出掛けるとこれまで見たことのない奇妙な物体に出会うことがあります。色は民族や国によって異なるので比較文化論に属することかも知れませんが、ここでは色覚と関係している問題を紹介しましょう。

黄色の消火栓

 この奇妙な物体に出会ったのは、カナダで冬季オリンピックがあった年ですから、もう20年も前のことです。日本の付近で言えばカムチャッカ半島の南端あたりの緯度に位置する、カナダの大学で一冬過ごしました。道端に黄色(正確には黄緑色)の消火栓と思われるものをよく見かけました(図1)。秋の枯れ草の中でも、雪が降った日にもよく目立ちます。日本でも工事中の看板は黄色ですから、よく目立つようにしているのか、くらいにしか思っていませんでした。これが奇妙な物体との出会いの始まりでした。
黄色の消火栓
図1 秋の枯れ草の中でも黄色の消火栓はよく目立ちます。後ろの車や遠くのハンバーガーショップの看板と見比べてください。右下は冬に雪が積もった日の消火栓です。
 秋も深まったある日の午後、大学の建物の火災報知器が鳴りました。いつもはそのまま何もなく済むのですが、その日は全員屋外に出されました。ちょうど天気の良い日だったので地下1階の研究室から出て、日光浴をかねて時間をつぶしていました。中にはコーヒーカップを片手に、日向で話し込む人達もいました。その内、広大な駐車場の向こうから巨大な黄緑色の物体がちかづいて、それが消防車であることが分かるまでには、そう時間がかかりませんでした。カナダの冬は不凍液まで凍るので、おそらく水を入れたタンクを備えているせいか、大型バス2台分くらいの巨大な車に驚きました。中から黄緑色の防火服を着た大柄な消防士が出てきました。
 それにしてもこの消防車の色は一体なんなのか。驚きはそのまま素朴な疑問になります。「どうしてこの消防車は赤くないの?」と近くの人に聞くと、なんと不思議なことを尋ねるものだという態度で、「消防車は昔からこの色だよ」と言って去って行きました。あまりに素っ気ない態度に、すっかり気落ちしてしまいました。しかし今から考えると、日本で外国人がいきなり消防車を指さして、「なぜ消防車は黄色じゃないの?」と質問されれば、彼と同じように答えるしかないでしょう。そのうち火災報知器の誤動作だったということで中に入りました。

黄色は目立つ色

 研究室に戻ってから、改めて周りの連中に同じ質問をしてみました。しかし、答えは相変わらず「昔から黄色だった」、「黄色が目立つからじゃないの」という程度です。消防車が赤くないことにまったく無関心でした。何をつまらないことを聞き回っているのだという態度もありありなので、二階の教授室に行って共同研究をしていたボスにも同じ質問をしてみました。神経解剖学の専門家は、「どこかの誰かが調べて、黄色が一番目立つから、それでその色に塗ったんだ」と子供に諭すように答えてくれました。彼も消防車の色などまったく気にはとめていないようでした。翌春、日本に帰ってあの黄緑色の消防車の話をしても、「そんなこともあるのかねー」くらいの反応で、ちょうどUFOを見た話のようにうさんくさい感じに受け取られました。35年前に最初留学した大学はロサンゼルスの郊外にあり、通りで見かけた消防車は赤色でした。確かに陸続きの米国では赤色でしたが、最近は黄色の消防車が走っているところもあるそうですから、州や市によって消防車の色が違うのかも知れません。

 それから数年後、ロンドンのハイドバークの南にある大学に、一冬滞在することになりました。休日の楽しみの一つは本屋巡りです。「発明・発見は英国から始まった」と自慢するだけあって、英国ではどんな本でも見つかります。偶然見つけた「消防車の歴史」という本の中に初期の消防車の細密な絵がありました。白、青に加えて派手な縁取りなど、さまざまな色に塗られていたことがわかりました。消防車は最初から赤色とは決まっていなかったと知って、すこしは安心しました。さて、その後またカナダの同じ大学で共同研究をすることになりました。今度こそ消防署を訪ねて実物をじっくり見物しようと思っていた矢先、大学の近くで火事があるらしくサイレンを鳴らしてあの黄色の消防車が何台も通りました(図2)。本当に黄緑色の消防車が走っていました。
疾走する黄緑色の消防車
図2 疾走する黄緑色の消防車。後ろには梯子車が続いています。曇り空でもよく目立ちます。

なぜ黄色か

 民族、文化さらに教育によっても、色の種類や色名がかなり異なります。色名だけで物事を理解すると、時には誤解を生むこともあります。オレンジ色といっても、実物を付き合わせてみると全然違う色だということにもなります。日本には四季があり、葉の緑の変化を細かく色名で分けますのが、国によっては違うこともあります。そこで色覚の研究では色を電磁波の波長(スペクトル)で表します。黄緑色は英語でlime-yellowと言いますが、日本のスダチによく似たlimeを見たことが無ければ、本当の色は分かりません。しかし、530 nmと表現すれば、国や人による違いがなくなります。さらに赤と緑の二つの色光を重ねると人の目には黄色に見えるので、色覚の研究では1つの波長(単色光)を用います。とくに動物の色覚は人と異なるので色を波長で表すことが必要になってきます(「今月の生物学」2007年2月号:http://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/200702.html)。
 国際的に決められた人の色の見え方を示す基本的なデータが図3です。実線は昼明るい所でどのように色が見えるかを相対値で示したので、比視感度曲線といいます。555nm付近(黄色)に感度が高いことが分かります。神経解剖学の教授が言っていたように黄色は確かに目立つ色です。工事現場の標識や警察のテープなどに使われる理由はここにあります。一方、薄暗いところでは比視感度曲線(破線)は明らかに異なっていて、507nm(緑色)に感度が高くなっています。このため映画館や劇場など多くの人々が集まり、暗くする所は避難口の標識に緑色を用いることが、日本では消防法で定められています。
人の比視感度曲線

図3 人の比視感度曲線。横軸は波長(nm)、縦軸は感度の相対値で、1に近いほど見やすい色(視認色)ということになる。明所の比視感度曲線(実線)の感度の極大は555nm(黄)、暗所の比視感度曲線(破線)は507nm(緑)にある。下には波長毎におおよその色を6色で示した(理科年表から引用)。実際にはこの波長範囲に無数の色が存在し、明所の比視感度曲線は個人によって差がある。

 照明機器やTVなどはわれわれの周囲の色に関する器具は、すべて比視感度曲線を元に設計されています。昼明るいところで400~700nmの色を見ることが出来ますが、この図でわかるように良く見分けることが出来る色(視認色)は黄色ということになります。赤は炎や血液の色ですから目立って緊張感を惹起する色です。しかし、比視感度曲線から言えば消防車に二つの曲線が交差する530 nm(黄緑)を使えば、明るい昼間は640nm(赤色)に比べて、約5倍もよく見えることになります。さらに、薄暗い夜間では図中の波線を辿ると良く分かるように、640 nm(赤色)はほぼ見えません。実際に赤色と黄色の消防車の事故率を調査した結果では、赤色の方が高いという報告があります(http://www.usroads.com/journals/aruj/9702/ru970203.htm)。

 黄緑色の消防車の最初の印象はとても奇妙でしたが、科学的には意味のあることだと納得しました。とは言っても、消防車を黄緑色に塗り替えることは伝統や習慣の問題も絡むのでなかなか難しいことでしょう。しかし、火災現場に急行する消防車の交通事故をすこしでも減らすべきだとなると、日本にも黄緑色の消防車が現れる日が来るかも知れません。

(神経生物学研究室 大塚 輝彌)

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