理学部生物学科

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細胞性粘菌は万能細胞? —小さな生物が持つ大きな能力—

 このところ、新聞やテレビのニュースなどで「夢の万能細胞で再生医療が飛躍的に進歩するだろう…」というようなことを聞いたことがある人も多いと思います。「万能細胞」って何でしょうか?本当に、夢のような話なのでしょうか?

万能細胞って何?

 この話をちょっとでも理解するためには、少しばかり難解な専門用語の意味を理解しなければいけません。生物は細胞という単位からなっています。酵母菌や細菌などは1つの個体が1つの細胞で出来ており、「単細胞生物」と呼ばれています。一方、我々ヒトは60兆個もの細胞が寄り集まって1つの個体が出来上がっていて、「多細胞生物」と呼ばれています。ヒトでは細胞の種類がたくさんあり、それらが組織(骨、筋肉など)や器官(心臓、肺など)を構成しています。でも、受精卵のときにはたった1つの細胞でした。それが、分裂して増えていく間に、このように違った組織や器官になるのです。このことを、細胞が「分化する」と言います。
細胞性粘菌の細胞が集合して多細胞体を作る様子 図1 細胞性粘菌の細胞が集合して多細胞体を作る様子
 さてここで、万能細胞とは?…定義としては、あらゆる細胞に分化する能力(これを分化全能性と言います)を持っている細胞のことを言います(図2)。ちゃんとした装置を用いるとシャーレの中の培地中でほぼ無限に増殖できます。いろいろと条件を変えてやると、その細胞からいろんな細胞を分化させことが出来ます。現実には、ある特定の器官に分化させる技術は十分でなかったりするので、今のところ万能細胞から完全なヒトが出来上がったりは、していませんが…。具体的に万能細胞とは、胚性幹細胞というのがこれに相当します。英語でEmbryonic stem cellと呼ばれ、頭文字をとって「ES細胞」と呼ばれていますので、どこかで聞いたことがあるのではないかと思います。哺乳類では受精卵が分裂を開始して、4~5日目後の細胞が未分化な状態のときに取り出し、培養してES細胞を作ります。
幹細胞の性質を示した模式図 図2 幹細胞の性質を示した模式図  (説明は脚注1参照)
 さて、このES細胞なのですが、赤ちゃんに育つかも知れない受精卵からつくるので、倫理的に問題のある細胞です。最近、いろんなマスメディアをにぎわせている「万能細胞」は、ES細胞ではなく実はiPS細胞(英語でinduced pluripotent stem cell、日本語では人工多能性幹細胞)と呼ばれるものです。この細胞は、京都大学の山中先生のグループによって、ヒトの皮膚細胞から作られES細胞と比べても能力的に引けを取らない分化能を持っています。多能性とは、いろいろな種類の細胞に分化できるけれども、神経系や造血系のなかの一部の細胞には分化出来ないために、万能ではないことを意味します。それでも、マスコミでは「万能細胞」と呼ばれているようですが。このiPS細胞は、倫理的問題をかなり克服することができ、また患者自身の体細胞からiPS細胞を誘導できるために、移植後の免疫拒絶反応も克服できると期待され、ノーベル賞級の発見と言われています。ただし、理屈としては精子や卵細胞もiPS細胞から分化させることも可能となるので、倫理的に全く問題がないというのは間違いです。

細胞性粘菌も似たような性質を持つ

 ここで、細胞性粘菌の登場です。ここでは、キイロタマホコリカビDictyostelium discoideumという種のことです。細胞性粘菌という生き物がどんなものであるかは以前に解説しましたので、生物学の新知識のバックナンバー2006年12月号(http://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/200612.html)をご覧下さい。細胞性粘菌のアメーバ細胞は自由に動き回ることができ、単細胞生物として生活しています。餌がなくなるとおよそ10万個の細胞が集まって1つの集合体を作ります。集合体は条件の良い場所をもとめて、移動体(ナメクジ構造)を形成して移動します。やがて、ある場所で移動を止め子実体と呼ばれる構造を作ります。この子実体は、見た目には柄と胞子の2つの細胞種に分化します(実際には細胞の種類はもう少したくさんありますが)。
細胞性粘菌における脱分化と再分化 図3 細胞性粘菌における脱分化と再分化 (説明は脚注2参照)
 さて、細胞性粘菌の移動体期の細胞は既に分化しています。ただし、このときの分化はまだ運命が最終決定されていません。その証拠に、移動体の細胞を人工的にバラバラにして1つずつの細胞にすると、細胞は一度元の性質に戻って(つまりはリセットされて)再び分化することが出来るのです(図3)。ということは、移動体期の細胞性粘菌の細胞は、全能性(少なくとも多能性)を持っているのです。この性質は、ES細胞やiPS細胞のようで、まるで万能細胞です。定義の上では、細胞性粘菌の細胞は移動体期までは万能細胞ということができます。
細胞性粘菌アメーバのゴルジ体が光っています 図4 細胞性粘菌アメーバのゴルジ体が光っています
 では、細胞性粘菌の細胞はES細胞やiPS細胞と同じなのでしょうか?残念ながら、同じというには証拠が少なすぎます。ES細胞と分化した細胞を融合させると、ES細胞には分化したはずの細胞の性質をリセットしてしまう働きがあるのですが、細胞性粘菌の細胞にもそのような働きがあるかはまだ分かっていません。細胞性粘菌の細胞が心臓や神経に分化したりはしませんので、やはりES細胞とは違うと考えておいた方が良いと思います。むしろ、ヒトとの進化的な違いを反映していると思われます。ヒトよりも進化的に未熟なために、細胞そのものが生活史のほとんどの期間を通して全能性を持っている、あるいは全能性を失っていないと考えた方が良さそうです。
実体を形成し始めると発生プログラムは後戻り出来なくなる 図5 子実体を形成し始めると発生プログラムは後戻り出来なくなる
 ちなみに、植物の細胞は全能性を持っています。どんな組織の細胞であっても、そこからカルスというものを誘導出来れば、カルスからもう一度完全な植物体を誘導出来ます。それと同じ性質を、細胞性粘菌が持っていると考えてよいでしょう。そのような植物的な性質にも関わらず、細胞性粘菌は、植物には存在しないがヒトが持っている遺伝子を多く持っています。このような全能性も持つという特徴は、全能性を失うときにヒトが持っているどのような遺伝子群が働くのかということを調べるのに役に立ちます。また、どの遺伝子の働きがおかしくなると、全能性を「正しく失う」という性質が異常になる(ヒトではガン細胞がこの状態に相当すると思われます)のかという解明にも役立ちます。細胞性粘菌では、子実体形成を始めて、柄が作られ始めると全能性を失い、分化が不可逆的になります。我々の研究室では、このときに何がおこっているのかどんな遺伝子が働いているのかを詳細に調べています。いくつかのヒトと同じ遺伝子が働いていることを見つけており、今後の研究がどのように発展していくかが楽しみです。

(分子発生生物学研究室 川田 健文)


脚注1 図2の説明:幹細胞はある条件では、無限に自分自身を作り出し、増殖出来ます。また、幹細胞にある特定の処理をしたり、人工的な刺激を与えると、特定の細胞を分化誘導させることが出来ます。分化した細胞を増殖させれば、特定の器官を構成する細胞だけを取り出して増やすことが可能になります。ES細胞は、人工的に培養された細胞で、自然界には存在しない細胞です。我々のからだの中には同じような働きをする分化する前の状態の細胞が存在し、これらは「成体幹細胞」と呼ばれています。成体幹細胞は、骨髄や血液、目の角膜や網膜、肝臓、皮膚、脳や心臓など、いろいろな場所で確認されています。

脚注2 図3の説明:細胞性粘菌では、移動体期(写真a)の時期までに予備的な分化が起こっている。その証拠に、ある特殊な方法で染色すると特定の種類の細胞だけ青く染色される(写真b)。ところが、この分化はあくまで予備的であって、この時点では未だ可逆的である。もし、移動体期の細胞を人工的にバラバラにすると、それらは胞子から発芽した直後のように、独立したアメーバ状の細胞に戻る(写真c)。アメーバ細胞は再び集合し(写真d)、移動体を経て(写真e)、子実体を形成する(写真f)。写真dとfでは、写真bと同じように、特定の種類の細胞だけが染色されるような処理をしている。図中のaからfまでの写真のそれぞれの倍率は異なる。

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