理学部生物学科

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遺伝子量補正機構の裏話

遺伝子量の重要性 ~遺伝子量効果~

 最近、ニュースや新聞で『出生前診断』という言葉を耳にする機会が増えてきました。出生前診断とは妊娠中に胎児の染色体構成を調べる検査です。検査自体は昔からありましたが、2013年4月から母親の血液を用いた新型出生前診断が導入され、従来の羊水検査より安全なこともあり、利用者が急増しているようです。診断の是非、あるいは、染色体異常だった場合の中絶の是非については、今回の本題とはかけ離れた話ですのでここでは差し控えます。
 ここで知っておいて頂きたいことは、“赤ちゃんが元気に生まれてくるためには両親から正しい数の染色体を受け取ることがとても重要である”ということです。ヒトの場合、44本の常染色体(父方から22本、母方から22本)と2本の性染色体(父方からXあるいはY、母方からX)の合計46本から構成されます。このうち常染色体に関しては、どれか1つの染色体が1本あるいは3本になるだけで、ほとんどは胚性致死(流産)で失われます。各染色体には様々な遺伝子が存在していますから、染色体の数が増減するということは、遺伝子のコピー数が増減すると言うことです。つまり、“遺伝子のコピー数が多くなっても少なくなっても個体発生は正常に進まない。”というわけです。このような遺伝子のコピー数の増減によって生じる細胞・個体への影響を『遺伝子量効果』と言います。

遺伝子量効果を打ち消す機構 ~X染色体不活性化~

 さて、先ほど“ほとんど”は胚性致死と言いましたが、例外があります。それは皆さんの身近にあります。分かるでしょうか?そう“男(雄)”と“女(雌)”です。雄はX染色体とY染色体を1本ずつ持つ一方、雌はX染色体を2本持ちます。最新のゲノム解析の結果では、ヒトX染色体には1100個程度の遺伝子があり、その多くは雌雄共に必要な遺伝子です。一方、Y染色体には、精巣や精子の形成といった雄性機能に特化した遺伝子が80個程度存在するだけです。従ってX染色体上にあって雌雄共に必要な遺伝子の多くは、雄の細胞には1コピー、雌の細胞には2コピー存在していることになります。常染色体なら致死となる染色体数の減少が起こっている雄は何故正常に生まれ・育つことができるのでしょうか?この問題は我々哺乳類だけでなく、性染色体を分化した多くの生物種で生じるはずです。
 実は、多くの生物では、『遺伝子量の差を埋める機構』が存在しているのです。我々ヒトを含む哺乳類では、雌の細胞にある2本のX染色体のうち一方のX染色体が不活性化(染色体上の遺伝子が一括して機能出来ない状況に)されます。この結果、雄も雌も、機能的なX染色体は1本となり性差(性染色体数の差)による遺伝子量効果は打ち消されます。この現象は『X染色体の不活性化』と呼ばれ、『遺伝子量補正機構』の1つとして理解されています(注1)

不活性化の掟とほころび ~クローンマウスの謎を解き明かす~

 X染色体の不活性化(以下、不活性化)は、非常に巧妙に制御されています。二倍体細胞では、X染色体が1本しか無い場合には決して不活性化は起こりません。2本以上ある場合、活性を維持するX染色体(以下、活性X)を1本残して、他は全て不活性化されます。実際、ヒトではXXXXX女性でも正常に生まれ・成長し・出産もできることが分かっています。その他の研究からも不活性化は厳密なルールに従って細胞が自律的に行っていることが示されています。しかし最近、この鉄の掟を覆す事実が発見されました。
 日本における体細胞クローンマウス(以下 クローンマウス)研究のトップランナーの1人である理化学研究所バイオリソースセンターの小倉淳郎博士のグループは、クローンマウスが作成出来るようになって以来、長く問題になっていた出生率の低さ(移植した胚の数%しか生まれて来ない)に不活性化の異常が関わっていることを突き止めました1)。それによると雄のクローン胚では、① 1本しかないX染色体上の遺伝子発現が広範囲に渡って抑制されていること(図1赤線)、② 不活性化の開始に関わる遺伝子Xistの発現 (本来、雄だと発現せず、結果、不活性化も起こらない)が起こり、それが①の原因であること(図1緑線)、③ このXist遺伝子の異常な発現を抑制するとクローンマウスの出生率が10倍近くまで上昇すること(図2)が明らかになりました。つまりクローンマウスの出生率が低い原因の1つは、“起こるはずがない不活性化が起こってしまう”ことだったのです。自然状態なら絶対に起こらない雄での不活性化が起こってしまうクローンマウス、一体何が起きているのか不思議ですね。

図1.マウス体細胞クローン胚におけるX染色体遺伝子の発現パターン。横軸はX染色体配列、縦軸は受精卵の同一領域のmRNA量に対するクローン胚の相対的なmRNA量を示す。赤線は体細胞クローン胚の遺伝子発現パターンで、受精卵中のmRNA量(グラフの0値)に比べて染色体全域のmRNA量が低下傾向にあるのが分かる。緑線はXist遺伝子を欠損した体細胞から作成されたクローン胚における発現パターンで、受精卵とほぼ同じレベルであることが分かる(参考文献1より引用)。

図2.得られた体細胞クローンマウス。左:通常方法により作成したクローンマウス、右:Xist遺伝子を欠損した体細胞から作成されたクローンマウス。通常よりも産仔数も多く、胎盤、胎児の成長も改善傾向が見てとれる(参考文献1より引用)。

ヒトにあってマウスに無いもの ~逃亡する遺伝子たち~

 先ほどヒトではXXXXXでも正常だと言いましたが、少ない場合はどうでしょうか。雌は本来XXですが、X0(エックス・ゼロと言います。Xを1本しか持たないという意味です)はどうなるでしょうか?不活性化によって活性Xは1本になるため、X0もXXと差は生じないはずです。実際、マウスの場合はその通りで、X0マウスは正常で、仔も生みます。しかし、ヒトでは事情が異なります。ヒトの場合X0は9割が流産で失われ、わずかに生まれてくる子は重度の障害を伴います。ターナー症候群と呼ばれるこの染色体異常症の顕著な特徴の1つに『二次性徴の欠如』があります。女性としての性成熟が停止してしまうのです。活性Xは、XX個体もX0個体も1本のはずなのに、どうしてX0にだけこのような異常が出るのでしょうか?
 もう一つ興味深い事実があります。正常な男性はXYですが、X染色体を1本多く持つXXY男性も存在します(クラインフェルター症候群と言います)。実は意外と多く、新生児500人~1000人に1人の割合で生まれると言われています。彼らの細胞にはX染色体が2本ある訳ですから不活性化が起こります。結果として活性Xは1本となり、XYと同じになるはずです。ところがXXY男性は、痩身で女性的な身体的特徴を示す傾向があります。さらに症状がひどい場合は、女性様の乳房が発達したり、外性器は男性だけれども内性器は卵巣になるという事例も報告されています。つまり、Yを持つため遺伝的性は男性なのにも関わらず、身体的特徴は女性化するわけです。この2つの事実は一体何を意味するのでしょうか。
 これにはヒトにあってマウスに無い“隠れた役者”が関係しています。それが『不活性化を免れる遺伝子』です。実は、ヒトの場合、不活性化するX染色体上にある遺伝子の15%程度は不活性化を免れ、遺伝子発現が維持されているのです(マウスにはありません)(注2)。従って、これらの遺伝子に限り、活性がある(機能的な)遺伝子のコピー数は、男性(XY):女性(XX)が1:2になり、ターナー症候群(X0)とクラインフェルター症候群(XXY)でも1:2になります。これを見て何か気づきましたか?そう、不活性化を免れる遺伝子が機能的に“2コピー”あると女性分化・成熟が進み、“1コピー”だと女性としての分化・成熟が進まないという傾向があるのです。この結果は、不活性化を免れる遺伝子群の中に、女性成熟に必要不可欠な遺伝子が含まれていることを示しているのです。

最後に ~遺伝子量補正は必要か~

 最初に述べた通り、遺伝子量効果は個体発生や生存に重大な影響を及ぼします。だからこそ、多くの生物は性染色体の分化に伴い生じる遺伝子量効果を回避するために進化の過程で遺伝子量補正機構を獲得したわけです。哺乳類でもX染色体不活性化という方法で遺伝子量を補正してきました。少なくともマウスは、今でもそれを厳密に守っています。しかし、哺乳類の中でも最も高等な種と自負している我々ヒトでは、遺伝子量補正機構から逃亡する遺伝子が生み出されました。しかもそれらの一部は雌の性成熟にきわめて重要な役割を持っていると考えられます。何故ヒトは、自らが創り上げたシステムを否定するようなことをしたのでしょうか?ヒトで起きていることを見ていると、そもそも遺伝子量補正機構は本当に必要なのか?と疑問すら浮かんできます。実際、鳥類では性染色体を分化しているにも関わらず、現在までに遺伝子量補正機構の存在が証明できていませんから、もしかしたら無くても良いのかも知れません。
 X染色体の不活性化は、1961年にMary Lyon博士によって提唱されました。それから52年の間に夜空に浮かぶ星のごとく多くの事実が明らかになってきました。しかし1つの事実が見つかるとその裏にまた新たな疑問が浮かび上がってきます。科学というのはそういう物なのでしょう。だから面白い。だから研究者は、ゴールがあるか分からない疑問に生涯を掛ける価値を見いだすのだと思います。少なくとも私にとって不活性化は、還暦を迎える頃になっても神秘的で魅力的な現象であり続けることでしょう。

分子・細胞遺伝学研究室:後藤友二
                    

参考文献

1)Inoue K, Kohda T, Sugimoto M, Sado T, Ogonuki N, Matoba S, Shiura H, Ikeda R, Mochida K, Fujii T, Sawai K, Otte AP, Tian XC, Yang X, Ishino F, Abe K, Ogura A. Impeding Xist expression from the active X chromosome improves mouse somatic cell nuclear transfer. Science 330: 496-499, 2010.
詳細は「http://ja.brc.riken.jp/lab/kougaku/research2_2007.html」を参照のこと。

注釈

(注1):ショウジョウバエ(台所などで果物の皮などに集る小さいハエ)の場合は、雄の1本のX染色体が2倍の働きをして、雌の2本のX染色体と同じになるように調節されています。
(注2):減数分裂時にX染色体とY染色体が対合するために存在する偽常染色体領域(X染色体とY染色体の間で塩基配列の相同性の高い領域)に存在する遺伝子は、雄雌いずれも2コピーずつ存在するため、不活性化されることはありません。従って今回の話の対象には含まれません。

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