隅田川の水はテムズ川に通じるか—汎世界分布の謎
汎世界分布をめぐって
私の守備範囲にある環形動物門のホシムシ綱やユムシ綱—かつてそれぞれ星口動物門,ゆむし動物門とよばれていたのがこのように変わったいきさつは西川(2013)参照—においても,汎世界分布種とみなされてきたものがかなりあり,私の研究室でも遺伝情報を使ってその真偽の程を追求しているところです.
日本のミズクラゲは世界に分布—人為的分散か
ところが,意外なことに,この「Aurelia sp. 1」だけはヨーロッパ海域をふくめ世界各地にそれこそ「汎世界分布」していることがわかりました.やはり,「隅田川の水はテムズ川に通じる」のでしょうか.上記Dawsonほかの研究によれば,どうもそうではなく,人間活動に伴って世界に広がった可能性が高いとされ,原産地は日本近海と推定されています.本来の生息域から人為的に外に広がった生物の例は,いわゆる外来種として多数知られており,海の生物ももちろん例外でないことはご存知のとおりです.
オナガナメクジウオ種群の研究から
ナメクジウオ類(脊索動物門・頭索動物亜門)の一つで,熱帯域のサンゴ礁周辺の浅い海の海底の砂中に潜むオナガナメクジウオAsymmnetron lucayanum Andrews, 1893という種は長い間,太平洋にも大西洋にもインド洋にも広く分布するものと考えられて来ました(図2).ところが,私たちの研究によって,そうではないことがわかったのです(Konほか,2006).なお、ナメクジウオ類とは何かについては、すでにこのコーナーで執筆した「ヒガシナメクジウオの氏素性」のなかでご紹介してありますので御参照ください.
私たちが太平洋,インド洋,そして大西洋の各熱帯水域から採集したオナガナメクジウオの標本は,形態をよく調べても差異が全く見つかりませんでしたが,ミトコンドリアのCOIという遺伝子の塩基配列を調べて比較してみると,3つの群にはっきりと分かれるのです.図3でClade A~Cとしているのがそれです.Clade Cは大西洋西部にしか生息しません(調査したのはバミューダ諸島とバルバドス).A.lucayanumという種を設立する時に使われた標本は大西洋西部で採集されましたので,Clade CはA.lucayanumと呼ぶことができます.Clade A(以下, A種と呼びます)は沖縄を含む西太平洋とインド洋(モルジブ諸島),そしてClade B(B種)はハワイ諸島と沖縄を含む西太平洋,それにKonほかの上記論文出版後にインド洋(アフリカ東岸タンザニア)からも生息が確認されています.そしてそれぞれの群のなかの遺伝的なばらつきを調べてみると,広い分布域のなかで遺伝的な交流が頻繁に起こっていることが分かりました.幼生の浮遊期間がかなり長いことがこのような結果をもたらしていると考えられます.なお,沖縄にはA種とB種が共存している場所があります.これら2つは形態では区別できませんので,そこでとれた個体がどちらの種かを決めるにはどうしても遺伝子を調べなければならないことになります.
標本を世界各地から採集し,そこから遺伝情報を抽出し,それをもとに網羅的な系統樹を描き,年代推定を行うという一連の作業は,時間も労力もお金もかかってとても大変ですが,その結果をもとに進化の過程をあれこれ想像していると,タイムマシンに乗っているような不思議な感覚にとらわれます.これも研究の楽しさと言えます.
西川輝昭
引用文献
- Dawson, M. N., A. S. Gupta and M. H. England 2005. Coupled biophysical global ocean model and molecular genetic analyses identify multiple introductions of cryptogenic species. PNAS, 102: 11968-11973.
- Kon, T., M. Nohara, M. Nishida, W. Sterrer and T. Nishikawa 2006. Hidden ancient diversification in the circumtropical lancelet Asymmnetron lucayanum complex. Marine Biology, 149:875-883.
- Kon, T., M. Nohara, Y. Yamanoue, Y. Fujiwara, M. Nishida and T. Nishikawa 2007. Phylogenetic position of a whale-fall lancelet (Cephalochordata) inferred from whole mitochondrial genome sequences. BMC Evolutionary Biology, 7, art. no. 127.
- 昆健志・野原正広・山野上裕介・藤原義弘・西田睦・西川輝昭 2008. ゲイコツナメクジウオの進化. 月刊海洋, 40: 295-303.
- 西川輝昭 2013. 生物の系統と新しい分類体系 第7回 動物[哺乳類を除く]—その多様性と進化の全体像. 生物の科学 遺伝, 67(1): 89-94.