理学部生物学科

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8本脚の嫌われもの

見た目か中身か

 「人は15秒で相手がどのような人か判断する」—人の容姿や服装、言葉遣いや態度など、いわゆる第一印象の重要性を説く話の中で、よく持ち出される決まり文句です。確かに、就職活動等の微妙な人間関係の場ではそうでしょう。でも、本当にそれだけで相手を判断してしまって良いのでしょうか?見た目は怖そうだけど、実際に話してみると意外と面白い人だった—そんな経験、皆さんもありませんか?今回紹介する研究も、同じようなお話です。分子・細胞遺伝学研究室いきものマニアシリーズ第3弾は、クモに関心「大」のGS君が最初にはじめ、その後輩諸氏が引き続き研究しているクモ・ゲノムのお話です。

クモの中身

 今回のクモと、前回(生物学の新知識2010年3月号参照)のザトウムシとは、同じクモ綱に属するいわば親戚の様な関係で、8本の脚を持つなど、見た目にも似たような印象を受けます(こう書くと真のマニアに怒られるかもしれませんが…)。そして、後者のうちヒトハリザトウムシ(以降「ザトウムシ」と省略)には高頻度にB染色体を有するという、生物学的に極めて興味深い特徴がありました。では、クモ類の染色体には、どのような特徴があるのでしょうか?
 クモの染色体は今から60年ほど前に盛んに研究されました(文献1等)。これら一連の研究により、1)クモの染色体は短腕の極めて短い端部動原体型の染色体がほとんどで、見た目で区別をつけにくい、2)染色体の数は同じ科の中ではほとんど変わらない、3)多くは雄ヘテロ型(XO型)の性染色体構成である、といったことが明らかになりました(図1)。しかし、当時は染色体を染め分けて識別する技術(染色体分染法)もそれほど発達しておらず、クモの染色体の進化、すなわち核型進化に関する手がかりはあまり得られていませんでした。その後も散発的に報告はありましたが、ザトウムシにおける染色体数のゆらぎのような見た目に判り易い現象が見つからないことや、各種分染法でも染色体を明確に区別し難いこと、そして何より材料自体にあまり人気がなかったこと(?)から研究は下火になっていきました。
図1 : ササグモ雄の精巣の減数分裂染色体像(左はギムザ染色;右はCバンド分染済み)
染色体数は2n=21、ヘテロクロマチンが濃染されています(XはX染色体)。
 こうした経緯から、GS君は最初に「クモ類における各染色体を区別する」ため、分子細胞遺伝学的なマーカーを開発することにしました。前述のザトウムシ研究でも実績のある、5S rDNAを使ったFISH(fluorecence in situ hybridization)解析をクモでも行うことにしたのです。最初のターゲットはキャンパスでも容易に手に入る、ササグモというクモでした(図2)。
図2 : ササグモの雄個体 (鈴木岳 撮影)
体長1センチ程度の小型のクモで、網を張らずに葉の上で昆虫を捕らえる。
キャンパス内では薬草園で5月-7月頃に多く観察できる。

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 FISH解析を行うためには、まず標識となるDNA配列(プローブと呼ぶ:この場合は5S rDNA)をPCR法によりゲノムから増幅する必要があります。しかし、ササグモの5S rDNAの配列データは誰も発表していなかったため、他の近縁な生物の配列を参考にササグモのゲノムからPCRで増幅することにしました。次に、PCR で増幅されたDNAが本当に5S rDNAであるかを確認するため、増幅したDNAの塩基配列を決定しました。
 塩基配列解析の結果、ササグモの5S rDNAは、ザトウムシのそれと比べてスペーサー領域が約15倍長かったため、解析には多くの苦労を伴いました。しかし、ここで予想外の興味深い事実が明らかになりました。スペーサー領域の中に、ヒストンH2B遺伝子という他の遺伝子と良く似た配列が見つかったのです(図3、文献2)。5S rDNAのスペーサー領域はNTS(non-transcribed spacer: 非転写スペーサー)領域と呼ばれていて、本来転写されない、すなわち遺伝子は存在しないとされる領域です(生物学の新知識2008年11月号参照)。いったいなぜこのような現象がササグモ・ゲノムには見られるのでしょうか?
図3 : ザトウムシとササグモの 5S 比較
ザトウムシの NTS は短く、遺伝子は存在しない。一方ササグモではヒストン H2B 様遺伝子が存在する。
 ヒストンは、主としてDNAを染色体内に効率的に収納するためのタンパク質としての役割が知られています(生物学の新知識2009年6月号参照)。対して5S rRNAは、タンパク質を合成する細胞内小器官であるリボソームの一部として知られています。すなわち、両者は生体内で別々の役割を担っているのです。そして、一般に両遺伝子はゲノム上の別々の場所に存在します。
 その一方で、共通点もあります。多重遺伝子族と呼ばれる同じ範疇の遺伝子に分類されるという点です。多重遺伝子とは、普遍的に相同な遺伝子が染色体上にいくつも直列に並んでいる一群の遺伝子のことで、ヒストン遺伝子、マイナーrDNA(5S rDNA)、メジャーrDNAがよく知られています。真核生物においては、ヒストン遺伝子ではヒストンH2A、H2B、H3、H4、H1遺伝子領域とその間のスペーサー領域が、マイナーrDNAでは5S rRNA遺伝子領域とNTS領域が、メジャーrDNAでは28S、5.8S、18S rRNA遺伝子領域とその間のスペーサー領域がひとつの反復単位を形成し、それぞれゲノム上に縦列反復して存在しています(図4)。
図4 : 主な多重遺伝子族配の列
 ところが、過去の文献を紐解いてみると、複数の甲殻類や昆虫などで、GS君がササグモで発見した5S rDNAと似たような構造が報告されていることがわかりました(図5、文献3、4等)。しかし、こうした現象がどのように生じたのか、またどのような生物学的な意義があるのかについては、これまで明らかになってはいません。また、これらの報告では多重遺伝子族のスペーサー領域の間に、他の多重遺伝子族の反復単位が丸ごと入り込んでいました。つまり、GS君がササグモで見つけたような、単体のヒストン遺伝子がNTS領域に入り込んでいる例は報告されていないのです。
図5 : 多重遺伝子族が連鎖している例

見た目より中身!

 こうして、染色体から始まったクモの研究はゲノム構造の進化研究という思わぬ展開を見せ、我々の興味は次第にこの不思議なゲノム構造に移っていきました。ササグモの5S rDNAはどのような過程を経て生じたのか?他のクモの5S rDNAはどのような構造をとっているのか?過去の様々な節足動物での報告との関連は?そして、同じクモ綱に属するザトウムシの5S rDNAとササグモの5S rDNAはなぜこのような違いがあるのか?GS君は多くの後輩達の協力のもと更なる解析を進め、最近ようやくあるストーリーが見えつつありますが、疑問はまだまだつきません。見た目より中身が大事だと思える皆さん、一緒に解析を進めてみませんか?キャンパスにいるような身近な生き物の中にも、あなたによって見つけられるのを待っている不思議はまだ沢山隠れています。

分子・細胞遺伝学研究室
久保田宗一郎

参考文献

  1. Suzuki S (1954) Cytological studies in spiders. III. Jour. Sci. Hiroshima Univ. Ser. B I 15: 23-136.
  2. Suzuki G, S Kubota (2011) 5S ribosomal DNA linked to the solitary histone H2B-like gene in a lynx spider Oxyopes sertatus (Araneae, Oxyopidae) Chromosome Sci. 14: 3-8.
  3. Drouin G, de Sá MM (1995) The concerted evolution of 5S ribosomal genes linked to the repeat units of other multigene families. Mol Biol Evol 12: 481-493.
  4. Roehrdanz R, Heilmann L, Senechal P, Sears S, Evenson P (2010) Histone and ribosomal RNA repetitive gene clusters of the boll weevil are linked in a tandem array. Insects Mol. Biol. 19(4): 463-471.

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