理学部生物学科

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先端技術の表と裏

 生命は極めて高度な機能を有しており、ナノメートルサイズの分子や超分子から構成されています。近年、このナノメートルサイズの領域が注目され、そこでは、化学、物理学、材料科学、エレクトロニクス、機械工学、磁性学、さらに生物学の分野にまたがる広範な基盤の上に画期的な技術(ナノテクノロジー)が構築されています。ナノテクノロジーは新たな技術文明を担うべく、「バイオテクノロジー」と並んで今世紀における成長分野の1つであることは言うまでもありません。「バイオテクノロジー」がゲノムの特定の領域が対象であるのに対し、「ナノテクノロジー」は単一の分野ではなく、科学技術全般を包括しているところにあります。今日のナノテクノロジーの発展は、従来までは不可能であった原子や分子レベルでの現象の解明や操作を可能とし、人間の活動の万能性を拡大しつつあります。
 しかし、私達はとかく脚光を浴びる表の部分だけに目が注がれがちですが、同時に注視しなければならない部分(ダークサイド)のあることも心に留めておかなければなりません。

ナノテクノロジーとは

 “ナノ”という言葉の語源は小人を意味するギリシャ語に由来しますが、科学的な表記上は10-9を意味します〔1 nmは10-9メートル(毛髪の太さの1万分の1程度)〕。従って、「ナノテクノロジー」とは10-9レベルで実用的な製品を創出することを意味します。この考え方は、1959年に米国物理学会でのR P.ファイマンの講演(“There’s Plenty of Room at the Bottom”)の中で述べられ、その後、1986年にE.ドレクスラーが“分子ナノテクノロジー”を提唱しました。それは分子マシンを実現させることによってあらゆる種類の分子を組立てて、どの様な分子構造のものでも創出することができると言うものであり、いわゆる生物がもつ自己組織化、自己修復、自己増殖などの機能を活用するものであると考えました。この提唱によってナノテクノロジーが物理学を超えて生物学と結びつきはじめ生物学の魅力的な分野の1つに発展してきました。
 例えば、新世代の物質として生物体が持つ構造や機能をナノマテリアルの設計に応用しようとする試みが注目されています(“バイオミメティクス(生体模倣技術)”)。なかでも蛾の複眼表面に存在するモスアイ構造は無反射機能を有し夜間での行動(飛行)を可能にします。また、植物の葉(すいれんや里芋の葉など)の撥水性はテフロンをも凌ぐものであり、これは葉表面の微細な構造に起因します(図1左)。これらの特性は液晶の光り反射を抑制するディスプレイ用のフィルムや汚れ難いガラス素材などに広く応用されようとしています。また、ヤモリの足の構造(天井や壁などに足を密着させて歩行)も注目されており(図1右)、これを科学的に表現すると壁との間に分子間の力が作用して密着・脱着を可能にする仕掛けがあると考えられています。この様に生物学的視点から新規マテリアルの創出(バイオミメティクス エンジニアリング)が期待されています。従って、今後この分野が進展する為には生物学者との一層の連携が求められています。
バイオミメティクス(ナノ物質を創出する為のヒント)
図1 バイオミメティクス(ナノ物質を創出する為のヒント)
左:電子顕微鏡で観察したすいれんの葉の表面構造。 右:ある種の生物は壁や天井に足を密着させて行動することができる。通常、体重が重い程、足の表面を覆う毛とへら状の構造がより細かく多くなる。これらの特性によりナノの世界で起こる引力の合力がまして壁に密着するのに十分な力が生まれると推測される。(文献)

 ここでは具体例として生物学分野の研究手段として多大の貢献が期待される“ チップテクノロジー”について概説してみましょう。

チップテクノロジーって何?

 半導体技術にその基礎をおいています。半導体技術は1940年代にダイオードが発明され、それをコンデンサなどと一緒に使用することで様々な機能を有する基板(例:ラジオ、アンプなど)が作られました。その回路を微細加工技術で一つのチップ(基板)上に実現した集積回路が開発され、さらに、その配線幅をナノメートルサイズに微小化していくことで、その集積度を向上させた半導体が出現しました。これによって、現在のコンピュータを使用した安価な装置が次々と登場してきた訳です。この様に、チップテクノロジーはチップ(半導体基板)の微細加工技術などを生命科学の分野に応用し、小型化と高集積化により生物試料の解析が実施できる技術(“バイオチップ”)です。この技術を用いると生体成分の解析が迅速(秒単位)に実施できる為に短時間に結果が得られること、一連の操作が自動化されて網羅的な解析が可能なこと、などの利点があります。従って、チップ上の物質と相互作用する成分を探索したり、相互作用する成分のシグナルパターンから生体情報を得ることができます。この様なバイオチップテクノロジーの本格的な展開は、DNAチップの開発に始まり、その後、プロテインチップ、糖鎖チップおよび細胞チップなどへと発展してきました。DNAチップのアイディアは古くから存在しましたが、半導体の製造で使用するフォトリソグラフィー技術を用いて、DNA断片を高密度に固相表面に配置することが可能となったことを契機に一躍注目され、1998年後半から一気に広まりました。特にウイルスの検出、疾患遺伝子や体質の鑑別、薬効検査、さらに創薬分野などへ多用な展開がなされています。また、最近は半導体技術、薄膜技術、光検出技術などを駆使した革新的なDNAチップの開発も試みられています。通常、DNAチップはガラスや各種ポリマーのチップ(0.5~数センチ角)上に数千~数万種類のDNAが固定化されています。
左:チップテクノロジー 右:マイクロテック・ニチオン社製バイオチップの例
図2
左:チップテクノロジー:DNAチップを使用すると遺伝情報が迅速に解析できる(文献)。右:マイクロテック・ニチオン社製バイオチップの例
 一方、プロテインチップは生物試料中のタンパク質の網羅的解析等に用いられる手法で、通常、コーティングされたスライドガラス、マイクロプレートまたは膜上にあらかじめ数多くの検出用のスポットが配置されています。すなわち、分析対象となるタンパク成分に対する抗体、基質成分と相互作用する酵素、タンパク質と相互作用するリガンド等が用いられます。ポストゲノム時代において、ゲノム解析のそれに比べてより複雑なタンパク成分の解析を簡便に、しかも個々の成分の性質をも同時に解析できる系の確立は重要な課題です。生物のもつ膨大な情報の解明の為にタンパク質の研究、すなわち、プロテオーム解析には益々迅速かつ効率化が求められています。さらに細胞チップについては、細胞を集団としてではなく、1個1個の細胞を解析、処理する技術が探索されており、将来は細胞の分離、検出、解析、回収などのプロセスが1つのチップを介して行われるものと推測されます。この様に最近の科学技術の進歩には目を見張るものがあり、生物学的研究への応用にも夢が広がっています。

ナノトキシコロジーって何?

 日常、私達は多くの媒体を通じて革新的なテクノロジーの進歩・発展の様子を知ることができます。この様な先端技術が一般社会に受け入れられる為に先ず優先されるべき課題は「健康や生態系への影響に対する安全性の検証」です。「技術の進歩」と「安全性」は表裏一体の関係です。通常、ナノテクノロジーの対象となる物質は約0.1 nm(原子のサイズ)~100 nm(インフルエンザウイルスのサイズ)程度の物質であり、それらにはフラーレンをはじめ二酸化チタン、カーボンナノチューブ、ナノメタル、ナノクリスタルなど多種多様な物質が知られており、これからも優れた機能を有するナノ物質(粒子)が開発されようとしています。従って、今後はこれらナノ粒子がヒトやヒト以外の生物体内に取り込まれる機会が一層増加してくると予想されます。現在、ナノ粒子がヒトの健康や生態系に与える影響については未解明の部分が殆どであり、「生物学的安全性評価」に向けての研究はスタートしたばかりです。一般に超微小粒子は生物体内への吸入時においても呼吸器内での沈着メカニズムがより大きな粒子のそれに比べて著しく相違し、さらに物質の特性によっては細胞壁を通過して二次的に各種臓器機能にも影響を及ぼす可能性が危惧されています。現在、超微小な粒子による汚染については酸化性ストレスやミトコンドリア損傷を誘発する可能性などが指摘されています。従って、これらの領域を研究する“ナノトキシコロジー”と言われる新たな分野の研究者が必要とされています。
 諸外国での取組み状況についてみると、米国では既に2000年に「国家ナノテクノロジー戦略」が設定され、各分野毎に利用に伴う諸問題の研究が義務づけられております。欧州連合でも「欧州ナノテク戦略」が策定されております。また、アジアに目を向けると、一歩先行して台湾が2004年に「環境ナノテクノロジー国際シンポジウム」を開催しており、わが国もこれら諸外国に触発されてようやく重い腰を上げ2005年にナノテクの社会的影響研究についての調査研究体制が発足しました。資源の乏しいわが国にとってナノテクノロジーは格好の研究対象であるだけに迅速な対応が求められます。
 いずれにしても、21世紀の科学に期待されるのは“生態系との調和”です。単に先端技術の「研究・開発」競争のみが先行し「ヒトの健康や生態系への影響」が置き去りにされる様な事態を回避する為にも、生命科学をはじめとした学際分野(環境科学、毒物学、物質科学、製造工学、ほか)における協力体制の確立が急務です。私達の身近にも長年の潜伏期間を経て社会問題化した事例(アスベスト問題など)が多数知られており、これらの失態を再び繰り返さない為にも均衡のとれた研究の進展に期待が寄せられます。

(生理化学研究室 今井利夫)

引用文献

目で楽しむナノの世界、R. Moret著、鹿児島誠一訳、丸善

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