細胞壁のはなし
顕微鏡という道具
高校で生物を勉強するとまず「細胞」という言葉に出くわします。英語では「cell」と言います。Cellというのは小さい部屋のことを意味します。この言葉は、17世紀にイギリスのロバート・フックが顕微鏡を発明してコルクを観察したときに命名したものです(図1)。生物の基本単位は細胞であるという「細胞説」のもとになったことでも知られています(細胞説を唱えたのは19世紀の別の科学者です)。
図1 コルクの切片写真
実験用のコルク栓をナイフで薄く切片にして顕微鏡で観察したもの。1つ1つの区切られた空間が細胞です。細胞を区切っているものは細胞壁です。この場合、コルクは死んでいて細胞の中身はほとんどありません。
話は脱線しますが、顕微鏡を発明したのはフックだけではありません。奇しくもときは同じく17世紀、オランダにアントニ・ファン・レーウェンフックというアマチュアの生物学者がいました。彼の発明した顕微鏡は単式顕微鏡と呼ばれる簡単な構造のものです。きっといろんな教科書やインターネットのサイトにも作り方が載っていて、簡単に作ることが出来るので興味がある人は是非自分で作ってみましょう。一方のフックの顕微鏡は現在広く使われている顕微鏡に近い形をしています。
レーウェンフックの顕微鏡は簡単な構造にもかかわらず、倍率は200倍くらいあったと言われています。そのため、彼は小さな奇妙な動く物体を発見して、これを微小動物(animalcule)と名付けました。これは人類が初めて観察した微生物で、それゆえ彼は「微生物学の父」と呼ばれています。微生物の話はまた別の機会にすることにしましょう。
細胞壁=死んだ成分ではない!
話をもとに戻しましょう。高校では、細胞の勉強をするときに、動物の細胞と植物の細胞はどのように違うのかというのを必ず習うと思います。一番はっきりした違いとして葉緑体と細胞壁が植物細胞にのみあるということを皆さんも良く知っていると思います。細胞壁は、ひと昔前までは単なる構造体で生きたものではないと考えられていました。今の高校の教科書には「細胞を強固にし、その形を保持する」はたらきがあると書かれています。しかし、これは細胞壁のはたらきのほんの一部を言っているに過ぎません。
まず、細胞壁の中にはさまざまな酵素やいろいろなはたらきを持ったタンパク質が多く含まれています。また、細胞壁は細胞膜や細胞の表層にある細胞骨格(細胞の骨組みのこと)と互いにくっついて連絡を取り合って、シグナル(情報)を伝えて細胞の中で起こるいろいろな生命活動のコントロールに積極的に関わっていることが明らかになってきました(文献1、2)。このように、細胞壁は決して死んだ成分ではなく、逆に複雑な分子が多数存在することで、細胞にいろいろな機能を付け加えているというのが本来の姿のようです。
いろんな成分で細胞壁が出来ている
さて、それでは細胞壁はどのような成分(分子)で出来ているのでしょうか?細胞壁と言っても植物と菌類、さらにはバクテリア(細菌)では分子の組成が違って来ます。植物の場合は、主な成分はセルロースとよばれる糖の鎖です。セルロースとはD-グルコースという糖がβ-1,4-結合という結合の仕方で長くつながったものです(図2)。
図2 セルロースの構造を示した模式図
細胞壁の主な成分で繊維を作るセルロースの構造図。セルロースはD-グルコースがβ-1, 4-結合で長くつながって鎖状になったものです。セルロース繊維を形成するグルコースの数は植物によってまた組織によってさまざまです。ちなみに、D-グルコースがβ-1, 4結合で2つつながったものは、セロビオースと言います。セロビオースはセルロースを分解する過程で生じます
細胞壁中では、セルロースの鎖がたくさん束になって集まり、セルロース微繊維というものを形成しています。細胞壁はセルロース微繊維がたくさん集まったもので、繊維のすき間をマトリックスとよばれる多くの高分子で埋めて出来上がっています。マトリックスは抽出するときの溶媒に対する溶けやすさの違いから、ヘミセルロースとペクチンに分けられます。前者にはセルロース微繊維どうしを水素結合によって架橋する架橋性多糖(キシログルカン、グルクロノアラビノグルカンなど)が含まれます。後者は充填性多糖(ペクチン性多糖)ともよび、細胞をつなぎ合わせる接着剤のようなはたらきをしています(図3)。これらの他に、マトリックスにはさまざまな構造タンパク質やフェニルプロパノイドとよばれるものが存在します。フェニルプロパノイドは高分子フェノール化合物のことで、代表的なものがリグニンです。リグニンは植物の木化に関わる物質で樹木が堅いのはこのためです。
図3 植物細胞壁の構造を示した模式図
植物の細胞壁はたくさんのセルロース繊維とその間を埋めるマトリックスからなっています。図はそれらの関係をものすごく簡単に示したものです。実際には、組織によって成分が違って来ますし、もっといろいろな成分がありとても複雑です。
ちなみに、セルロースやヘミセルロースは食物繊維としてなじみがあるかも知れません。また、ペクチンには整腸作用があり、血中の悪玉コレステロール濃度を下げるはたらきがあり、医療面からも細胞壁の成分が注目されています。
今までは、植物の細胞壁の成分でしたが、菌類だと少し成分が違ってきます。カビやキノコなどの菌類は菌糸が寄り集まって出来ています。菌糸には細胞壁があり、その主要な成分はキチンです。カビやキノコには種によって違ういろんな成分が含まれており、未だに分かっていないものも多くあります。新たに発見される成分には毒となりうる成分もありますが、ガン細胞の増殖を押さえる働きのある成分もあるなど、医療に役立つものが多くあると期待されています。調べられていない分まさに宝の山と言って良い状態です。また、バクテリアの細胞壁はペプチドグリカンという糖とタンパク質の複合体で出来ています。
植物はどうやって形を変化させるのか?
植物は日々生長を続けて時間をかけてずいぶんと形を変化させます。特に樹木はものすごく固い細胞壁を持っているのにどうやって形を変えることが出来るのでしょうか?
これにはまず、細胞壁が出来る出来方とその成分に違いがあることを理解する必要があります。植物の生長には細胞の分裂と伸長を伴います。細胞が分裂すると、2つの娘細胞の真ん中に細胞板が形成され、これが細胞壁になります。このときの細胞壁を1次細胞壁と言います。1次細胞壁はまだ生きている成分で、いろんな酵素やタンパク質は含まれていて柔軟性に富みます。このときにはリグニンはほとんどないか少ししか含まれていません。やがて、生長を細胞は1次細胞壁の内側に別の細胞壁を作ります。これを2次細胞壁と言います。また、細胞どうしの間には中層という層があり、樹木ではここからリグニンの堆積が始まって、やがて1次細胞壁や2次細胞壁でも堆積して木化して固い構造になります。特に2次細胞壁はリグニンがたくさんあります。リグニンはとても巨大な生体高分子で、複雑すぎるためにその構造は未だによくわかっていません。
図4 植物細胞壁の種類を示した模式図
植物の細胞壁には細胞分裂直後に細胞板から形成される比較的薄い1次細胞壁とその後に形成される比較的厚い2次細胞壁があります。図の2次細胞壁は厚角細胞とよばれるもので、角が厚くなるタイプのものです。このほかに全体が厚くなる厚壁細胞というタイプのものもあります。
樹木の太い幹において細胞が分裂するところは形成層で、樹皮と木部の境にあります。細胞分裂が起ると、形成層の外側に樹皮細胞を内側に木部細胞を作ります。木部細胞は間もなく死んでしまってリグニンの層でしっかりと接着されます。形成層は自分が作った木部細胞によって外側へと押しやられます。また、同時に外側にも樹皮細胞を増やし続けます。このようにして木の幹は太くなります。良く観察してほしいのですが、老木ほど樹皮は厚く割れています。割れるのは樹皮に柔軟性がないためで、内側にある木部が太ったために起ります。
図5 東邦大学習志野キャンパス内の樹木
東邦大学キャンパス内にはたくさんの樹木があります。これらは、厚い細胞壁におおわわれているにもかかわらず、日々生長し形を少しずつ変化させています。
しかし、樹木の幹はちょっと極端な例かも知れません。細胞壁に含まれる酵素の中には細胞壁の成分であるセルロースを分解する酵素であるセルラーゼや架橋性多糖の水素結合を切るエクスパンシン、その他の多糖類を分解する酵素など、その働きだけに注目すると、一見して細胞壁を分解してしまいそうなものが多く存在します。しかし、実際には必要なときに必要な場所で必要な量だけ作られて働くと想像されており、必要な場所に適度な柔軟性を持たせて植物が形を変化させるきっかけを作っているのではないかと考えられています。このなぞを解明するために世界中で研究が開始されていますが、実際の植物は種によって異なる振る舞いをするので、非常に複雑でわからないことが多く残っています。
細胞性粘菌にもセルロースで出来た細胞壁がある
そこで、上に述べたようななぞをもっと簡単に解明する1つのモデルとして、われわれの研究室では細胞性粘菌を利用しています。細胞性粘菌については以前に解説しましたので、「生物学の新知識」のバックナンバー
2006年12月号をご覧下さい。細胞性粘菌はおよそ10万個の細胞が集まって1つの集合体を作り、最後は子実体と呼ばれる構造を作ります。この子実体は、見た目には柄と胞子の2つの細胞種に分化しますが、子実体を構成する細胞のほとんどはセルロースを含む細胞壁で全体をおおわれています。胞子の細胞壁は丈夫な外皮とよばれるもので、セルロースのほかに糖タンパク質や多糖類からできていてきびしい環境にも耐えるようになっています。柄の細胞はその中のほとんどを液胞が占めるくらいになって、それが積み重なったもので、柄の外側をさらに外皮がおおって丈夫な構造をしています。細胞性粘菌では、目的とする遺伝子だけを狙い撃ちして不活性化することができ、セルロース合成に関係する遺伝子を不活性化するとセルロースが出来なくなります。そのような細胞性粘菌は途中まではまともに発生しますが、柄も胞子も作れないために、きれいな子実体が出来ません。このことからも、細胞壁をもつ生物が独自の形を示すためにはセルロースが重要であることが分かります。
図6 細胞性粘菌のセルロース
左は細胞性粘菌の子実体形成途中の段階を普通に顕微鏡で観察したもの。右は同じものをカルコフローで染色して蛍光顕微鏡で観察したもの。カルコフローとは細胞壁の構成成分に特異的に結合する蛍光色素のこと。図では形成途中の柄が強く染色されている。
細胞性粘菌では、全ての遺伝子の配列が決定されています。その情報をよく調べてみると、セルロースを分解するセルラーゼやエクスパンシンの遺伝子を多く持っていることがわかりました。現在、これらの遺伝子を不活性化するとどうなるか、あるいは過剰に作らせて活性を上昇させてあげるとどうなるかということを調べています。そのときに、細胞壁やセルロースにどのような変化が起って形がどう変わるのかを調べることで、植物に見られるもっと複雑な現象を解き明かすヒントになるのではないかと考えています。
- Mutwil, M., et al. (2008) Curr. Opin. Plant Biol. 11:252-257.
- Hematy, K. & Hofte, H. (2008) Curr. Opin. Plant Biol. 11:321-328.
(分子発生生物学研究室 川田 健文)