え! なにこれ! (想定外との出会い)
生物学の研究に携わって40年になります。ヒトを含めた動物の染色体を扱って数々の新しい事実と向き合ってきましたが、予想もしない事実を目の当たりにする機会も何度か経験しました。そのなかから、下等魚類(円口類)のメクラウナギの仲間と、ヒト白血病を研究していて出会った特異な染色体像についてお話ししましょう。
その1: 下等魚類(円口類)ヌタウナギの染色体放出
7月号で久保田宗一郎先生が書かれているメクラウナギの仲間の染色体放出との出会いは大きな衝撃でした。私たちがメクラウナギの仲間であるヌタウナギを手にしたときには、すでに公表論文として、ヌタウナギの染色体数は36本であるとの記録がありました。染色体が動原体部分でくびれていない団子状であることにまず驚きましたが、肝臓からの染色体数を観察して論文の記録と同じであることを確認し(図1- a)、研究は追試(前に公表された論文が正しいことを後から確かめる研究)に終わるかに見えたのです。ところが一緒に作業していた学生に念のため精巣からの染色体標本を作っておくように指示し、その結果を顕微鏡下に見て驚きました。染色体数が多いのです。なんと52本の染色体が数えられました(図1- b)。これが脊椎動物における染色体放出現象発見の糸口となりました。先の論文では、材料として得たのが全て雌であったため、卵巣が生殖細胞系の染色体観察に適さず、生殖細胞系の染色体数を調べるすべがなかったのです。偶然の采配が私たちに思わぬ発見をもたらしたのです。しかし、あの時、学生に精巣からの染色体標本作成を指示しなかったなら、この発見につながることはなかったことになります。図1-cは近年開発された方法(FISH法)を用いた図で、放出されるDNAの1種(EEEb1)が精原細胞分裂像のどこにあるのかを、プローブ(EEEb1)を光らせることによって示しています。体細胞ではプローブと相補的な部分が放出されているため、プローブが二本鎖として染色体に付くことができず、同じ処理をしてもシグナル(光っている部分)は認められません。
図1 ヌタウナギの体細胞分裂像(a)と精原細胞分裂像(b)ならびにFISH像(c)
(a & b:中井康晴氏、c:久保田宗一郎氏撮影)
その2: 大きくて数の少ないヌタウナギの染色体
ヌタウナギで染色体放出を発見し、当然次に近縁種ではどうかと興味が移ります。一般に近縁種では、ゲノムサイズ(1倍体のDNA量)も染色体数も互いに近い値になります。たとえばヒトとゴリラではゲノムサイズはほとんど同じで、染色体数もヒトは46本、ゴリラは48本です。ヌタウナギと同じ円口類のメクラウナギの染色体標本を顕微鏡下に観察すると、極めて少数の染色体しか観察されませんでした。染色体標本を作るときに一部の染色体が壊れて失われることがあります。この標本もそれであろうと疑いましたが現実の姿だったのです。わずか14本が体細胞の染色体数(ヌタウナギでは36本)であり、16本(同52本)が精原細胞の染色体数です(図2- a & b)。染色体数の少ないメクラウナギの方が体細胞のもつDNA量はむしろ多いということも解りました。また、メクラウナギでは、生殖細胞系の細胞(予定始原生殖細胞)から始原体細胞ができるときに、一番大きな1対の染色体(全体の約30%)が放出されていることが解りました。
図2 メクラウナギの体細胞分裂像(a)、と精原細胞分裂像(b)
(中井康晴氏撮影)
その3: 血液のがん、慢性骨髄性白血病(CML)に特有の小型(Ph)染色体
がんが染色体異常を誘発するのか、染色体の異常が発がんのはじめなのかについての長い論争の後、ほとんどの場合が前者であるとの結論が固定されつつあった1970年代に、後者の場合もあるという例に挙げられたのが血液のがんである慢性骨髄性白血病(CML)に特有の Ph 染色体です。このPh染色体はフィラデルフィアで発見されたのでこの名があり、CML のほとんどがこの染色体異常をもちます。
図3 CMLの末梢血培養による分裂像(a)、Rバンド分染法による分裂像(b)、図3-bの写真を切り取って、バンドパターンを指標に相同染色体ごとに対として並べた核型(c)、矢印は転座染色体を示す。
Ph 染色体はヒトの最小の染色体よりもさらに小さな染色体で(図3-a)、はじめは染色体の一部がなくなって捨てられている(欠失)と考えられていましたが、 Rowley, J.D. (1973) が Nature に22番と9番の転座であるとする論文を公表したのです。この時代は染色体分染法という新しい技術(Qバンド法、Rバンド法、Gバンド法など)が開発され(図3-b & c)、各分野の研究員が新技術を用いた研究を活発に展開した時代でした。私は一例の CML から染色体の写真を得て核型を作り、机の前の壁に貼ってありました(図4)。その写真には3つの染色体異常が明確に示されてあったのです。一つは、 Ph 染色体(22番)で、白血病の増悪期をしめす2本となって存在しました。他に、これも増悪期の特徴である8番染色体のトリソミー(3染色体性)、もう一つは9番の1本の長腕が長いことでした。研究室は、8番染色体が3本になるのは何故かを追っていましたので、時間ができたら9番の長腕が長いのを調べてみようと思っていました。そんなある日、私の先生が Rowley の論文の載っている発刊したばかりの Nature を手に研究室に入ってこられ、興奮気味にPh 染色体は転座であると話されたのです。私は即座に壁の写真の意味するところを知り、それは22番と9番の転座ではないですかと応じたのです。先生はまだ論文を見ていない私の発言に、何故それがわかるのかと怪訝な顔をなさいましたが、壁の写真を見ながらの説明に納得されたのです。新しい事実に肉薄しながら取り落とした苦い経験となりました。
現在は、転座することによって22番上の bcr 遺伝子に9番上の abl 遺伝子がつながってキメラ遺伝子となり、これが作る通常より大きな分子量を持ったタンパク質が発がんに関与することが解っています。
図4 壁に貼ってあったCMLのQバンド分染法による核型
その4: 染色体数が1倍体に近い細胞(近半数体)
ヒトの体細胞で、病的状態(急性リンパ性白血病:ALLと慢性骨髄性白血病:CML)とはいいながら、ほとんど1倍体の細胞2例を扱ったことがあります。前者は培養系に移された細胞で、2n=27で14番,18番,21番,Xが2本あり、他は全て1本でした(図5)。後者は、同じく2n=27で、8番,10番,12番,21番が2本で他は全て1本であり、9番と22番にはCML特有の転座(その3参照)による Ph 染色体と9番長碗が長くなっているのが観察されました。近半数体は極めてまれな例といえます。
ヒトの体細胞は、2倍体で染色体数は46本あるのが正常です。常染色体の増減は成体に多大な影響を及ぼし、染色体数が多い個体としては、21番目がトリソミー(1本多く3本ある)のダウン症候群などいくつかあります。しかし、常染色体のモノソミー(1本足りない)は多くの場合細胞の存在すら許されません。近半数体は23対の染色体のうち約17対がモノソミーとなっています。病的状態としてもなぜ存在できるのでしょうか。近半数体の場合は、出来上がった過程は2倍体から多数の常染色体が抜け落ちた(?)としても、結果的に1倍体に少数の常染色体が付加したものとなり、細胞として存在できる状態になったと考えた方が良さそうです。非常にまれですが、3倍体(3n=69)や4倍体(4n=92)の子供が出産されることが記録されています。これらのことは、倍数性(1倍体、3倍体など)より異数性(少数の染色体の増減)の方が成体に与える遺伝子量効果(遺伝子の増減が成体に及ぼす影響)は大きいことを示しているようです。
図5 ALLより得られた近半数体細胞の核板と核型(Rバンド)、この
細胞は20番が2本となっていて2n=28である。
染色体放出はカイチュウの仲間で見つかってから、すでに100年以上たち、その生物学的意義は久保田先生や他の研究者によって少しずつ明らかにされています。しかし大部分はいまだ解明されていません。生物学の分野には若い人たちの活躍の場は、有り余るほどにあります。地道な活動の先にすばらしい予期せぬ出会いがきっと君を待っています。