プレスリリース 発行No.1581 令和8年2月12日
新しい(新奇)体験がささいな記憶を長期化する鍵-セプチン5
東邦大学の上田(石原)奈津実准教授、滋賀県立総合病院臨床研究センターの谷垣健二専門研究員、University of Texas Health Science Center at San Antonioの廣井昇教授、藤田医科大学の宮川剛教授、富山大学の高雄啓三教授、名古屋大学の木下専教授らの研究グループは、「新しい場所に行った」「初めての体験をした」といった新奇体験の一定の時間窓内(直前直後)に起きた、普段なら忘れてしまうような出来事が翌日(24時間後)まで記憶に残る現象(行動タグ付け)に注目しました。その結果、22q11.2欠失(注1)関連の神経精神疾患とも関連が示唆される細胞骨格タンパク質セプチン5(以下、Septin-5)(注2)を欠損したマウス(Septin5−/−)は、基礎的な海馬依存性の空間・物体記憶については概ね正常である一方、弱い学習(5分の物体学習)で形成された不安定な記憶が一定の時間窓内の新奇体験によって長期記憶へ固定化される「行動タグ付け」については、選択的に成立しないことを見出しました。
本研究は、Septin-5が「記憶を作る」一般機構ではなく、新奇体験をきっかけに記憶を長く残す仕組みに関わる可能性を示すものです。こうした仕組みの理解は、強い体験と日常の出来事の記憶が結びついてしまう外傷後ストレス障害(PTSD)(注3)などの病態理解にも、将来的に手がかりを与える可能性があります。
本研究成果は、2026年2月3日に米国の神経科学分野の学術誌「Molecular Brain」に掲載されました。
本研究は、Septin-5が「記憶を作る」一般機構ではなく、新奇体験をきっかけに記憶を長く残す仕組みに関わる可能性を示すものです。こうした仕組みの理解は、強い体験と日常の出来事の記憶が結びついてしまう外傷後ストレス障害(PTSD)(注3)などの病態理解にも、将来的に手がかりを与える可能性があります。
本研究成果は、2026年2月3日に米国の神経科学分野の学術誌「Molecular Brain」に掲載されました。
発表者名
上田(石原)奈津実(東邦大学理学部生物分子科学科 准教授)
福枡 直人(研究当時:名古屋大学大学院理学研究科)
藤井 一希(富山大学学術研究部医学系 助教)
腰髙 由美恵(富山大学研究推進技術本部研究基盤部門 技術専門職員)
谷垣 健二(滋賀県立総合病院臨床研究センター 専門研究員)
平本 豪志(University of Texas Health Science Center at San Antonio Instructor)
Gina Kang(University of Texas Health Science Center at San Antonio Senior Research Associate)
廣井 昇(University of Texas Health Science Center at San Antonio Professor)
宮川 剛(藤田医科大学システム医科学研究部門 教授)
高雄 啓三(富山大学学術研究部医学系 教授)
木下 専(名古屋大学大学院理学研究科 教授)
福枡 直人(研究当時:名古屋大学大学院理学研究科)
藤井 一希(富山大学学術研究部医学系 助教)
腰髙 由美恵(富山大学研究推進技術本部研究基盤部門 技術専門職員)
谷垣 健二(滋賀県立総合病院臨床研究センター 専門研究員)
平本 豪志(University of Texas Health Science Center at San Antonio Instructor)
Gina Kang(University of Texas Health Science Center at San Antonio Senior Research Associate)
廣井 昇(University of Texas Health Science Center at San Antonio Professor)
宮川 剛(藤田医科大学システム医科学研究部門 教授)
高雄 啓三(富山大学学術研究部医学系 教授)
木下 専(名古屋大学大学院理学研究科 教授)
発表のポイント
- Septin5欠損マウスは、T迷路(注4)、バーンズ迷路(注5)、物体位置記憶(注6)などの基礎的な海馬依存性の空間・物体記憶では概ね正常でした。
- 一方で、弱い学習(5分の物体学習)だけでは24時間後に記憶が残らない条件において、学習30分後の新奇環境探索(10分)により野生型マウスで長期記憶が成立する「行動タグ付け」が、Septin5欠損マウスでは選択的に成立しませんでした。
- 短期記憶(学習30分後)は両群で同程度であり、差が現れたのは“新奇体験によって記憶が長く残る(固定化される)”段階でした。
- 本研究は、Septin-5が「記憶全般」に必須というより、新奇体験をきっかけに弱い記憶を長期記憶に変える仕組みに関与する可能性を示すものです。
発表内容
研究の背景
普段なら忘れてしまうような出来事でも、その直前や直後に「新しい場所に行った」「初めての体験をした」といった新奇体験があると、長く覚えていることがあります。動物実験でも同様に、弱い学習でできた不安定な記憶が、新奇体験によって長期記憶へ変わる現象が報告されており、「行動タグ付け(behavioural tagging)」と呼ばれます。
Septin-5は、ニューロンのシナプス前終末(注7)に多く、神経伝達物質の放出に関わる仕組みを調節するとされるタンパク質で、ヒトの22q11.2欠失関連の神経精神疾患との関連も示唆されています。研究グループは、「Septin-5が記憶全般に必要なのか」それとも「新奇体験をきっかけに記憶が長く残る段階に選択的に必要なのか」を明らかにするため、Septin5欠損マウスで海馬依存性の課題を体系的に検討しました。
研究の内容
本研究では、まず行動試験の解釈を妨げるような体力・運動機能に大きな異常がないことを確認したうえで、海馬依存性の空間・物体記憶課題を評価しました。
1) 基礎的な空間・物体の記憶は保たれる
T迷路(自発交替/強制交替)、バーンズ迷路(学習と1日後・1か月後のプローブ)、物体位置記憶のいずれでも、主な指標においてSeptin5欠損マウスと野生型マウスの間に大きな差は認められませんでした。
2) “新奇体験で弱い記憶が長期記憶に変わる”行動タグ付けに選択的な障害
確立された行動タグ付けプロトコル(5分の物体学習 → 30分後にテスト/または新奇体験 → 24時間後にテスト)を用いて検討しました。
普段なら忘れてしまうような出来事でも、その直前や直後に「新しい場所に行った」「初めての体験をした」といった新奇体験があると、長く覚えていることがあります。動物実験でも同様に、弱い学習でできた不安定な記憶が、新奇体験によって長期記憶へ変わる現象が報告されており、「行動タグ付け(behavioural tagging)」と呼ばれます。
Septin-5は、ニューロンのシナプス前終末(注7)に多く、神経伝達物質の放出に関わる仕組みを調節するとされるタンパク質で、ヒトの22q11.2欠失関連の神経精神疾患との関連も示唆されています。研究グループは、「Septin-5が記憶全般に必要なのか」それとも「新奇体験をきっかけに記憶が長く残る段階に選択的に必要なのか」を明らかにするため、Septin5欠損マウスで海馬依存性の課題を体系的に検討しました。
研究の内容
本研究では、まず行動試験の解釈を妨げるような体力・運動機能に大きな異常がないことを確認したうえで、海馬依存性の空間・物体記憶課題を評価しました。
1) 基礎的な空間・物体の記憶は保たれる
T迷路(自発交替/強制交替)、バーンズ迷路(学習と1日後・1か月後のプローブ)、物体位置記憶のいずれでも、主な指標においてSeptin5欠損マウスと野生型マウスの間に大きな差は認められませんでした。
2) “新奇体験で弱い記憶が長期記憶に変わる”行動タグ付けに選択的な障害
確立された行動タグ付けプロトコル(5分の物体学習 → 30分後にテスト/または新奇体験 → 24時間後にテスト)を用いて検討しました。
- 5分学習の30分後(短期記憶)は、両群で同程度でした。
- 5分学習のみでは、24時間後(長期記憶)は両群とも成立しませんでした。
- ところが、5分学習の30分後に10分の新奇環境探索を加えると、野生型マウスでは24時間後に明確な記憶が成立した一方、Septin5欠損マウスでは不成立で、野生型マウスとの間に群間差も認められました。
以上より、Septin5欠損マウスでは「記憶そのものが作れない」わけではなく、新奇体験をきっかけに弱い記憶を“長く残る記憶へ変える”段階が特にうまく働かない可能性が示されました。
意義・今後の展開
本研究は、Septin-5の新奇体験による記憶の長期化(固定化)に関わる可能性を示すものです。このような「強い体験と日常の出来事の記憶が結びつく」現象の理解は、外傷後ストレス障害(PTSD)などでみられる強い体験と日常の出来事の記憶が結びついてしまう病態理解にも、将来的に手がかりを与える可能性があります。
発表雑誌
雑誌名
「Molecular Brain」(2026年2月3日)
論文タイトル
Impairment of novelty-dependent hippocampal behavioural tagging in Septin5-deficient mice
著者
Natsumi Ageta-Ishihara*, Naoto Fukumasu, Kazuki Fujii, Yumie Koshidaka, Kenji Tanigaki, Takeshi Hiramoto, Gina Kang, Noboru Hiroi, Tsuyoshi Miyakawa, Keizo Takao, Makoto Kinoshita
DOI番号
10.1186/s13041-026-01276-4
論文URL
https://doi.org/10.1186/s13041-026-01276-4
「Molecular Brain」(2026年2月3日)
論文タイトル
Impairment of novelty-dependent hippocampal behavioural tagging in Septin5-deficient mice
著者
Natsumi Ageta-Ishihara*, Naoto Fukumasu, Kazuki Fujii, Yumie Koshidaka, Kenji Tanigaki, Takeshi Hiramoto, Gina Kang, Noboru Hiroi, Tsuyoshi Miyakawa, Keizo Takao, Makoto Kinoshita
DOI番号
10.1186/s13041-026-01276-4
論文URL
https://doi.org/10.1186/s13041-026-01276-4
用語解説
(注1)22q11.2欠失
ヒトの22番染色体の長腕(q)にある「22q11.2」領域の一部が欠ける(微小欠失)ことで起こる遺伝性疾患です。この領域には複数の遺伝子がまとまって存在するため、欠失によってそれらの働きが一度に低下し、さまざまな症状が現れることがあります。
(注2)細胞骨格タンパク質セプチン5(Septin-5)
細胞骨格セプチンを構成するセプチンファミリーに属するGTP(グアノシン三リン酸)結合タンパク質です。
セプチンは、細胞分裂や細胞の形状維持など、多様な細胞機能に関与しています。Septin-5はこれまでの研究でニューロンにおいて顕著に発現していることが報告されており、遺伝学的には、Septin5を含むヒト22q11.2領域のコピー数変動が多様な神経精神疾患と関連付けられています。マウスのSeptin5欠損個体では社会行動などの異常が報告されています。
(注3)外傷後ストレス障害(PTSD)
災害や事故、犯罪被害などの強い外傷体験をきっかけに発症しうる精神障害です。
体験に関するつらい記憶が繰り返しよみがえる(フラッシュバック)、強い警戒心が続く、関連する状況を避けてしまう、といった症状がみられることがあります。恐怖に関わる学習・記憶や情動の調節に関係する神経回路が、症状の背景にあると考えられています。
(注4)T迷路
T字型の迷路を用いて、直前に入った通路とは反対側を選ぶ性質(交替行動)を指標に、直前の情報を一時的に覚えて使う記憶(作業記憶)や空間記憶を評価する試験です。
自発交替は自由に選ばせたときの交替率を、強制交替は一度進む方向を制限した後に反対側を選べるかを測定します。
(注5)バーンズ迷路
円形の台の外周に複数の穴があり、そのうち1つが逃避箱につながっている装置を用いる試験です。
マウスは周囲の目印(手がかり)を使って逃避穴の位置を学習します。学習の進み具合に加え、後日のプローブ試験(逃避箱を外した状態で、どの位置を重点的に探索するか)により空間記憶を評価します。
(注6)物体位置記憶
複数の物体を配置した環境に慣れさせた後、テストで物体の位置を一部だけ入れ替えるなどして、位置が変わった物体への探索が増えるかを指標に評価する試験です。
「どの物体か」だけでなく「どこにあったか」という位置情報の記憶(空間情報)を反映すると考えられています。
(注7)シナプス前終末
ニューロン同士の連絡点であるシナプスで、信号を送る側のニューロンの先端部分を指します。
ここには、情報を渡すための化学物質である神経伝達物質を入れた小胞(シナプス小胞)が多く存在し、刺激に応じて神経伝達物質が放出されることで、次のニューロンへ情報が伝わります。
ヒトの22番染色体の長腕(q)にある「22q11.2」領域の一部が欠ける(微小欠失)ことで起こる遺伝性疾患です。この領域には複数の遺伝子がまとまって存在するため、欠失によってそれらの働きが一度に低下し、さまざまな症状が現れることがあります。
(注2)細胞骨格タンパク質セプチン5(Septin-5)
細胞骨格セプチンを構成するセプチンファミリーに属するGTP(グアノシン三リン酸)結合タンパク質です。
セプチンは、細胞分裂や細胞の形状維持など、多様な細胞機能に関与しています。Septin-5はこれまでの研究でニューロンにおいて顕著に発現していることが報告されており、遺伝学的には、Septin5を含むヒト22q11.2領域のコピー数変動が多様な神経精神疾患と関連付けられています。マウスのSeptin5欠損個体では社会行動などの異常が報告されています。
(注3)外傷後ストレス障害(PTSD)
災害や事故、犯罪被害などの強い外傷体験をきっかけに発症しうる精神障害です。
体験に関するつらい記憶が繰り返しよみがえる(フラッシュバック)、強い警戒心が続く、関連する状況を避けてしまう、といった症状がみられることがあります。恐怖に関わる学習・記憶や情動の調節に関係する神経回路が、症状の背景にあると考えられています。
(注4)T迷路
T字型の迷路を用いて、直前に入った通路とは反対側を選ぶ性質(交替行動)を指標に、直前の情報を一時的に覚えて使う記憶(作業記憶)や空間記憶を評価する試験です。
自発交替は自由に選ばせたときの交替率を、強制交替は一度進む方向を制限した後に反対側を選べるかを測定します。
(注5)バーンズ迷路
円形の台の外周に複数の穴があり、そのうち1つが逃避箱につながっている装置を用いる試験です。
マウスは周囲の目印(手がかり)を使って逃避穴の位置を学習します。学習の進み具合に加え、後日のプローブ試験(逃避箱を外した状態で、どの位置を重点的に探索するか)により空間記憶を評価します。
(注6)物体位置記憶
複数の物体を配置した環境に慣れさせた後、テストで物体の位置を一部だけ入れ替えるなどして、位置が変わった物体への探索が増えるかを指標に評価する試験です。
「どの物体か」だけでなく「どこにあったか」という位置情報の記憶(空間情報)を反映すると考えられています。
(注7)シナプス前終末
ニューロン同士の連絡点であるシナプスで、信号を送る側のニューロンの先端部分を指します。
ここには、情報を渡すための化学物質である神経伝達物質を入れた小胞(シナプス小胞)が多く存在し、刺激に応じて神経伝達物質が放出されることで、次のニューロンへ情報が伝わります。
添付資料
図1.新しい体験が「弱い記憶」を長期化する現象(行動タグ付け)と、セプチン5(Septin5)欠損マウスでの選択的な障害
弱い学習で形成された不安定な記憶は、それ単独では24時間後に残りにくい一方、一定の時間窓内に「新しい体験(新奇環境探索)」が加わると長期記憶へ変わることがあり、これを行動タグ付けと呼びます。
本研究では、Septin5欠損マウスはT迷路、バーンズ迷路、物体位置記憶などの基礎的な空間・物体記憶は概ね正常である一方、行動タグ付け(弱い学習+新奇体験)による記憶の長期化が選択的に成立しないことが示されました。
弱い学習で形成された不安定な記憶は、それ単独では24時間後に残りにくい一方、一定の時間窓内に「新しい体験(新奇環境探索)」が加わると長期記憶へ変わることがあり、これを行動タグ付けと呼びます。
本研究では、Septin5欠損マウスはT迷路、バーンズ迷路、物体位置記憶などの基礎的な空間・物体記憶は概ね正常である一方、行動タグ付け(弱い学習+新奇体験)による記憶の長期化が選択的に成立しないことが示されました。
以上
お問い合わせ先
【研究に関するお問い合わせ】
東邦大学理学部生物分子科学科
准教授 上田(石原) 奈津実
〒274-8510 千葉県船橋市三山2-2-1
TEL/FAX: 047-472-5022
E-mail: natsumi.ageta-ishihara[@]sci.toho-u.ac.jp
URL: https://www.lab.toho-u.ac.jp/sci/biomol/mbb/index.html
※E-mailはアドレスの[@]を@に替えてお送り下さい。
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