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プレスリリース 発行No.1566 令和7年12月5日

デュアルコム分光を用いた新しいガス温度測定法を開発
~ 多成分ガスを非接触・高精度に温度推定する新技術 ~

 東邦大学理学部物理学科の中嶋善晶准教授と武子尚生大学院生らの研究グループは、デュアルコム分光法を用いて気体の温度を高精度に推定する新しい手法「Integral Log Rotational-State Distribution Thermometry(ILRDT)」を開発しました。従来、特定分子に限定されていた回転状態分布温度測定(RDT)の適用範囲は、本手法によって大幅に拡張し、複数分子の温度を校正なしで独立に推定できます。
 これにより、燃焼場、環境計測、産業プロセス等多様な現場での非接触・高速ガス温度測定の実用化が期待されます。

 本研究成果は、アメリカ光学会(OPTICA)学術誌「Journal of the Optical Society of America B」に2025年11月26日に掲載されました。

発表者名

武子 尚生(東邦大学大学院理学研究科物理学専攻 博士前期課程2年)
内山 竜成(研究当時:東邦大学大学院理学研究科物理学専攻 博士前期課程2年)
髙星 拓海(東邦大学大学院理学研究科物理学専攻 博士前期課程1年)
洪 鋒雷(横浜国立大学理工学部 教授)
中嶋 善晶(東邦大学理学部物理学科 准教授)

発表のポイント

  • デュアルコム分光法(注1)により得られる吸収線スペクトル(注2)から「積分吸光度(注3)」を対数変換して解析する新手法(ILRDT)を開発し、従来法では困難だった分子種の違いによる制約を解消しました。
  • アセチレン(12C2H2)とシアン化水素(H13CN)の2種類のガスに対し、相対誤差0.6%未満で独立に温度推定することに成功しました。
  • 非接触・高速・校正不要の気体の温度測定を実現し、燃焼診断、環境モニタリング、化学プロセス制御など社会的ニーズの高い領域での活用が期待されます。

発表概要

 ガス温度は、エネルギー・環境・燃焼工学など多様な産業分野で重要な計測対象ですが、既存の分光法による温度測定法は、分子固有の物理パラメータへの強い依存が課題でした。特に従来の回転状態分布温度測定(RDT)(注4)はアセチレンでのみ高精度に動作し、多分子への適用が困難でした。

 今回開発したILRDTは、吸収線ごとの積分吸光度を対数変換して線形解析するという独自の手法により、分子固有の強度因子や濃度・圧力の影響を抑制し、校正を必要としない温度推定を実現しました。実際にデュアルコム分光装置を用いてアセチレン(12C2H2)とシアン化水素(H13CN)の吸収スペクトルを取得し、ILRDTによって解析を行った結果、両分子に対して温度293 K付近を相対誤差0.6%未満で推定することに成功しました。

 本手法は、多成分ガスの温度を独立かつ高精度に評価できる点で革新的であり、燃焼器やプロセス制御など過酷環境における非接触温度モニタリングへの応用が期待されます。

発表内容

 ガス温度測定は、航空宇宙工学、燃焼診断、環境計測、化学プロセス管理など、多くの工学・産業領域において欠かせない基盤技術ですが、従来の接触式温度計は、応答速度・耐環境性の面で限界があり、特に高温・高速フロー・有害ガス環境では利用が困難でした。そのため、レーザーを利用した非接触温度測定法が近年注目されています。
 その中でも分子の吸収線強度に基づいて温度を推定する回転状態分布温度測定(RDT)は、校正不要の自己完結型測定手法として高い潜在力を持ちます。しかし、RDTは分子ごとに異なる遷移モーメント(注5)、核スピン多重度(注6)、Herman-Wallis因子(注7)などの影響を強く受け、現実的にはアセチレンなど一部の分子にしか適用できないという制約がありました。

 本研究では、この問題を解決するため、吸収線の積分吸光度(Integrated Absorbance)を遷移指数mで割り、その対数を回転量子数(注8)に対し線形フィッティングする新しい解析法ILRDTを開発しました。対数変換によって吸収強度に含まれる濃度・圧力・遷移モーメントなどの分子固有因子が定数項に集約され、温度依存成分のみが傾きとして抽出されます。これにより、分子種に依存しない温度推定が可能となりました。

 実験では、デュアルコム分光システム(図1)を用いてアセチレンとシアン化水素の近赤外吸収スペクトルを同時取得しました(図2)。各吸収線をVoigt関数(注9)で高精度にフィッティングし、積分吸光度(図3)を求めた後ILRDTを適用しました(図4)。その結果、アセチレンでは293.2±0.8 K、シアン化水素では292.8±1.0 Kが得られ、いずれも温度計Pt100の参照値293.1±0.1 Kと良好に一致しました。相対誤差は0.6%未満であり、複数の分子に対して同一手法で高精度温度推定が可能であることを実証しました。

 これらの結果から、ILRDTはデュアルコム分光法との組み合わせにおいて、将来の燃焼装置内部のリアルタイム温度監視、環境ガスの高精度モニタリング、産業プロセス制御など、幅広い社会基盤技術に貢献することが期待されます。

 本研究は、横浜国立大学との共同研究であり、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成事業(官民による若手研究者発掘支援事業JPNP20004)の支援を受け行われました。

発表雑誌

雑誌名
「Journal of the Optical Society of America B」(2025年11月26日)
 Vol. 42, Issue 12, pp. 2875-2882 (2025)

論文タイトル
Integration log rotational-state distribution thermometry for multi-component gas temperature measurement using dual-comb spectroscopy

著者
Naoki Takeshi* Ryusei Uchiyama, Takumi Takahoshi, Feng-Lei Hong, and Yoshiaki Nakajima*

DOI番号
10.1364/JOSAB.576771

アブストラクトURL
https://doi.org/10.1364/JOSAB.576771

用語解説

(注1)デュアルコム分光法
2本の光周波数コム(等間隔の多数の波長成分を持つレーザー)を干渉させて、高分解能かつ広帯域のスペクトルを高速取得する分光技術。機械式スキャンを必要とせず、精密計測に適する。

(注2)吸収線スペクトル
分子が特定の波長の光を吸収したときに生じる「吸収線」の集合。
分子のエネルギー準位構造を反映しており、温度・濃度・圧力の推定に利用される。

(注3)積分吸光度
吸収線の面積を波数(あるいは周波数)方向に積分した量。
吸収強度を表す基本物理量で、分子の濃度や温度、遷移強度に依存する。

(注4)回転状態分布温度測定(RDT)
分子の回転準位の分布(ボルツマン分布)を利用して温度を推定する手法。
吸収線強度が回転量子数に依存する性質を利用する。

(注5)遷移モーメント
分子があるエネルギー準位から別の準位へ遷移する際の「遷移の強さ」を表す量。
吸収線の強度を決める主要因。

(注6)核スピン多重度
分子を構成する原子の核スピンに由来する準位の縮退度。
吸収線強度に影響し、分子種ごとに値が異なる。

(注7)Herman-Wallis因子
分子の振動-回転相互作用による吸収線強度の補正係数。
回転量子数に依存して吸収線強度を変化させるため、精密分光では重要となる。

(注8)回転量子数
分子の回転運動のエネルギー準位を表す量子数。
吸収線の位置や強度はこの回転量子数Jに依存する。

(注9)Voigt関数
ガウシアン分布(ドップラー広がり)とローレンツ分布(圧力広がり)の畳み込みで定義される関数。
分光で観測される吸収線形状を最もよく表すモデルの一つ。

添付資料

デュアルコム分光システムの実験構成図

図1.デュアルコム分光システムの実験構成図
2台の光コムは、Rb発振器およびCWレーザーを基準とした位相同期により、繰り返し周波数とキャリア包絡位相差を精密に制御している。各光コムはEr添加光ファイバ(EDFA)で増幅された後、偏光素子(H1, H2, PBS)を介して合波され、アセチレンおよびシアン化水素セルへ入射する。透過光はPBS2で分離され、InGaAsバランス検出器で干渉信号として検出される。

アセチレンおよびシアン化水素のデュアルコム分光による透過スペクトル

図2. アセチレン(黒線)およびシアン化水素(青線)のデュアルコム分光による透過スペクトル
本スペクトルはデュアルコム分光により一括取得され、後続のVoigtフィッティングおよび積分吸光度解析に用いられ、ILRDTによる温度推定の基礎データとして機能する。

Voigt関数による吸収線フィッティング

図3.Voigt関数による吸収線フィッティングの例
黒点は測定された吸収スペクトル、赤線は Voigt 関数で再現したフィッティング曲線である。各図の下段にはフィッティングの残差(Residuals)を示しており、ノイズレベルに収まる良好な一致が得られていることが分かる。これらのフィッティングから求めた積分吸光度が、ILRDT による温度推定のための基礎データとして用いられる。

ILRDT に基づく線形フィッティング結果と温度推定

図4.ILRDT に基づく線形フィッティング結果と温度推定
(a)はアセチレン、(b)はシアン化水素の解析結果である。縦軸は、積分吸光度を遷移指数 m で割った値の対数 ln(αₘ/|m|)、横軸は回転量子数 J に基づく回転量 J(J+1)である。赤は R ブランチ、青は P ブランチを示し、奇数・偶数の回転量子数(アセチレンのみ)は別プロットとして示している。黒線は線形フィッティング結果であり、測定点が高い直線性を示していることが分かる。これらの傾きから求められた温度は、12C2H2で 293.2 ± 0.8 K、H13CNで 292.8 ± 1.0 K となり、参照温度と良好に一致した。本図は、ILRDT が複数分子に対して適用可能であることを示す主要な結果である。

以上

お問い合わせ先

【本発表資料のお問い合わせ先】
東邦大学理学部物理学科
准教授 中嶋 善晶

〒274-8510 船橋市三山2-2-1
TEL: 047-472-1343
E-mail: yoshiaki.nakajima[@]sci.toho-u.ac.jp
URL: https://comb-laser-1550.labby.jp/

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