プレスリリース

メニュー

プレスリリース 発行No.1413 令和6年10月21日

腸を通ると発がん物質PAHsが半減
~ 東京湾の泥を食べて減らすイワムシの浄化力 ~

 東邦大学理学部生命圏環境科学科の齋藤敦子教授、大坂雄一郎大学院生、同理学部東京湾生態系研究センターの大越健嗣訪問教授、同薬学部薬品分析学教室の小野里磨優講師らの研究グループは、東京湾奥部の干潟底質(注1)に生息する環形動物のイワムシ(Marphysa sp. E sensu Abe et al. 2019)(注2)が、発がん性の環境汚染物質である多環芳香族炭化水素(polycyclic aromatic hydrocarbons:PAHs)(注3)を高濃度に含む還元有機泥(黒色で粘性の高い底質;注4)を摂取・排泄することで、PAHs濃度を急速に低下(2時間で半減)させることを明らかにしました。
 
 本研究成果は、2024年9月21日に英文学術雑誌「Marine Pollution Bulletin」にて発表されました。

発表者名

大坂 雄一郎(東邦大学大学院理学研究科環境科学専攻 博士後期課程2年)
小野里 磨優(東邦大学薬学部薬品分析学教室 講師)
大越 健嗣 (東邦大学理学部東京湾生態系研究センター 訪問教授、東洋食品研究所 研究主席)
齋藤(西垣)敦子(東邦大学理学部生命圏環境科学科 教授)

発表のポイント

  • 環形動物のイワムシは、難分解性の有機環境汚染物質の一つである多環芳香族炭化水 素(PAHs)を高濃度に含む底質(還元有機泥)を選択的に摂取・排泄しています。
  • イワムシ糞中でPAHs濃度は2時間で46 %低下したのに対し、還元有機泥中では2時間で8 %とわずかな低下しか見られませんでした。
  • PAHsが急速に低下するためには、還元有機泥がイワムシの消化管を通過する必要があることが明らかになりました。
  • 糞中でのPAHsの著しい分解には、イワムシの消化管内に存在する、微生物や酵素が 関係していると考えられました。
  • イワムシは、その摂食・排泄行動により、干潟環境の浄化に大きく寄与していると推測されました。

発表概要

 干潟底質に生息する底生生物は、巣穴形成や摂食行動等により底質環境中の物質循環に寄与していると考えられます。研究グループはこれまでに、東京湾奥部の干潟底質に生息する環形動物のイワムシ(Marphysa sp. E sensu Abe et al. 2019)糞中に、難分解性環境汚染物質であるPAHsが高濃度に含まれ、排泄から2時間でその濃度が半減する現象を報告してきました。また、イワムシ糞中のPAHsは干潟底質中に点在する還元有機泥(黒色で粘性の高い底質)に由来し、イワムシは、高濃度のPAHsを含む還元有機泥を、選択的に摂取・排泄していることを報告してきました。イワムシ糞中で見られる2時間でのPAHs濃度の半減は、一般的に知られている底質中でのPAHsの半減期(数週間から数か月)と比べて極めて高速といえますが、この分解活性がイワムシの消化管を通過することで付与されるのか、もともと還元有機泥に分解活性があるのかは不明でした。本研究では、ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)を用いて、糞及び還元有機泥中でのPAHs濃度の時間変化を調べ、統計解析による比較を行いました。その結果、このようなPAHsの高速な濃度低下は、還元有機泥中では起こらず、還元有機泥がイワムシの消化管を通過することで起こることが分かりました。これらの結果から、イワムシは、高濃度のPAHsを含む還元有機泥を摂取・排泄することで、東京湾の環境浄化に寄与していると考えられました。

発表内容

 多環芳香族炭化水素(PAHs)は、化石燃料の燃焼などにより排出される難分解性の環境汚染物質の一つです。PAHsの中には、ベンゾ[a]ピレン(図1)などのように、発がん性や内分泌攪乱作用のある物質も存在することから、環境中におけるPAHsの濃度や挙動の分析は、生態系の保全や人体への影響を評価する上で重要であると考えられます。研究グループはこれまでに、東京湾内に広がる千葉県市原市養老川河口干潟に生息するイワムシ(Marphysa sp. E sensu Abe et al. 2019, 図2, 文献1)糞中に高濃度のPAHsが含まれ、排泄から2時間で濃度が半減する現象を報告してきました(文献2, 3)。糞中のPAHsの起源は長い間不明でしたが、近年、本研究グループは、干潟表層の砂泥質(図3,Total PAHs濃度:50 ± 7 µg kg-dry−1)の数十倍のPAHsを含む還元有機泥(黒色で粘性の高い底質, 図4,Total PAHs濃度:1440 ± 260 µg kg-dry−1)の存在を見出しました(文献4)。養老川河口干潟底質は、基本的に砂泥質から構成されますが、その後、底質の広範囲を丁寧に調査した結果、還元有機泥はその表層から深層の広範囲に点在し、イワムシ巣穴の一部が還元有機泥を通過する様子も確認されました(図5,文献4,5)。また、炭素及び窒素の安定同位体比(δ13C及びδ15N)分析や粒度分析により、イワムシ糞と還元有機泥が同質であったことから、イワムシは還元有機泥を選択的に摂取すると考えられました(文献5)。したがって、イワムシ糞中の高濃度のPAHsは、イワムシが取り込む還元有機泥に元々由来すると考えられます。

 イワムシは、高濃度のPAHsを含む還元有機泥を摂取・排泄し、糞中でPAHs濃度は2時間で半減しますが、この高速な濃度低下は、イワムシが摂取する前の還元有機泥中でも起こるのか、又はイワムシの消化管内を通過することで起こるのか、という疑問が生じました。前者の場合、イワムシは還元有機泥を底質表層に移動させる役割(それにより、好気的分解が促進される?)を担い、後者の場合はそれに加えてPAHsの分解能を付与する役割も担うことになります。

 本研究では、「還元有機泥がイワムシに取り込まれ消化管内を通過することは、PAHsの高速濃度低下に必須であるか?」を調べるために、採取直後のイワムシ糞及び還元有機泥と2時間放置後の各試料について、ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)を用いて分析しました。イワムシ糞は干潟底質上に排泄された直後に、還元有機泥は底質を掘り返した直後に採取し、それぞれ試料を2つに分け、一方を即座にドライアイスで凍結させ、もう一方をプラスチックのタッパー上で2時間放置後に凍結させ、実験室に持ち帰りました。これらの試料を前処理後、GC-MSで3から5環の8種PAHsの分析を行いました。イワムシ糞及び還元有機泥中のPAHs濃度は、2時間の放置によりイワムシ糞ではTotal PAHsで約48 %の減少が見られたのに対し、還元有機泥では約8 %の減少に留まりました(図6, 7)。したがって、PAHs濃度の急速な低下には、還元有機泥がイワムシの消化管内を通過することが必須であると結論しました。また、これらの結果から、イワムシは、高濃度のPAHsを含む還元有機泥を、摂取・排泄することで、東京湾の環境浄化に寄与していると考えられました。

 イワムシ糞中でのPAHsの急速な濃度低下のメカニズムは現在不明ですが、イワムシの消化管内で付与される微生物や酵素が関係していると考えています。今後、イワムシ糞や還元有機泥の細菌叢の解析から、このメカニズムの解明を行っていく予定です。

発表雑誌

    雑誌名
    「Marine Pollution Bulletin」(2024年9月21日)
    208, (2024), 116977

    論文タイトル
    Changes in the concentration of polycyclic aromatic hydrocarbons in fecal pellets of Marphysa sp. E and reduced mud in the Yoro tidal flat, Japan

    著者
    Yuichiro Osaka, Mayu Onozato, Kenji Okoshi, Atsuko Nishigaki

    DOI番号
    10.1016/j.marpolbul.2024.116977

    論文URL
    https://doi.org/10.1016/j.marpolbul.2024.116977

用語解説

(注1)底質
河川、湖沼、海域等の水底の堆積物のこと。干潟では、潮の満ち引きにより底質の干出と水没が繰り返し起こる。

(注2)イワムシ(Marphysa sp. E sensu Abe et al. 2019)
東京湾奥部の干潟底質に生息する、環形動物門イソメ目イソメ科に属するイワムシ類(Marphysa spp.)の一種。近年我々の研究グループは、DNA解析と形態観察により、国内に分布するイワムシが5つの異なる種(Marphysa sp. AからMarphysa sp. E)に分類されることを見出した(文献1)。その内、本研究対象であるMarphysa sp. Eは、東京湾奥部の干潟底質に生息している。

(注3)多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons:PAHs)]
ベンゼン環を2つ以上持つ化合物の総称で、環境中に広く分布している難分解性の有機汚染物質である。
PAHsは、石油や石炭等の不完全燃焼や、オイル漏れ等によって環境中へ流出、拡散する。

(注4)還元有機泥
養老川河口干潟底質に広く点在する、黒色で密度と粘性の高い底質で、PAHsを高濃度(周辺の砂泥質の数倍から数十倍)に含んでいる。近年我々の研究グループは、この還元有機泥が陸上植物の分解により生じることを報告した(文献4)。

添付資料

ベンゾ[a]ピレンの構造
図1.ベンゾ[a]ピレンの構造
イワムシとイワムシの糞塊
図2.イワムシ(左、中;文献5)とイワムシの糞塊(右)
養老川河口干潟底質
図3.養老川河口干潟底質(砂泥質)

底質から掘り起こされた還元有機泥
図4.底質から掘り起こされた還元有機泥(図中の赤枠の部分)
イワムシの巣穴(スコップで掘り起こしたところ)
図5.イワムシの巣穴(スコップで掘り起こしたところ)
黒色の還元有機泥を通過している。
図6.イワムシ糞及び還元有機泥中でのPAHs濃度の変化
図7.イワムシ糞及び還元有機泥中のPAHs濃度の減少率
(参考文献)
1. Hirokazu Abe, Masaatsu Tanaka, Masanori Taru, Satoshi Abe, Atsuko Nishigaki, Molecular evidence for the existence of five cryptic species within species of Marphysa (Annelida: Eunicidae) known as ‘Iwa-mushi’ in Japan, Plankton and Benthos Research, 14(4), 303-314 (2019).

2. Mayu Onozato, Atsuko Nishigaki, Shigeru Ohshima, The fate and behavior of polycyclic aromatic hydrocarbons (PAHs) through feeding and excretion of annelids, Polycyclic Aromatic Compounds, 30, 334–345 (2010).

3. Mayu Onozato, Toshiyuki Sugawara, Atsuko Nishigaki, Shigeru Ohshima, Study on the degradation of polycyclic aromatic hydrocarbons (PAHs) in the excrement of annelids, Polycyclic Aromatic Compounds, 32, 238-247 (2012).

4. 大坂雄一郎,小野里磨優,西垣敦子,養老川河口干潟還元有機泥中の多環芳香族炭化水素の特徴, 分析化学,72巻4, 5号, 175–181 (2023).

5.Yuichiro Osaka, Satoshi Abe, Hirokazu Abe, Masaatsu Tanaka, Mayu Onozato, Kenji Okoshi, Atsuko Nishigaki, Sources of Polycyclic Aromatic Hydrocarbons in Fecal Pellets of a Marphysa Species (Annelida: Eunicidae) in the Yoro Tidal Flat, Japan, Zoological Science, 40(4), 292-299 (2023).
以上

お問い合わせ先

【本発表資料のお問い合わせ先】
東邦大学理学部生命圏環境科学科
教授 齋藤 敦子

〒274-8510 船橋市三山2-2-1
TEL: 047-472-5298
E-mail: atsuko[@]env.sci.toho-u.ac.jp
URL:https://www.lab.toho-u.ac.jp/sci/env/saito/index.html

※E-mailはアドレスの[@]を@に替えてお送り下さい。

【本ニュースリリースの発信元】
学校法人東邦大学 法人本部経営企画部

〒143-8540 大田区大森西5-21-16
TEL: 03-5763-6583  FAX: 03-3768-0660 
E-mail: press[@]toho-u.ac.jp 
URL:www.toho-u.ac.jp

※E-mailはアドレスの[@]を@に替えてお送り下さい。

関連リンク

※外部サイトに接続されます。