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プレスリリース 発行No.886 平成30年6月14日

本学医学部解剖学講座船戸弘正教授が筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構のZhiqiang Wang研究員、Qinghua Liu教授、柳沢正史機構長/教授らと共同研究を行い、6月14日に筑波大学よりプレスリリースが配信されました。
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)プレスリリース
筑波大学プレスリリース

内容は以下のとおりです。

 「眠気」の生化学的な実体に迫る
~睡眠要求を規定するリン酸化蛋白質群の同定~

研究成果のポイント

  1. 「眠気」の正体を解く大きな手がかりとなる、80種類の脳内の蛋白質におけるリン酸化注1状態の変化を発見しました。
  2. この80種類の蛋白質では、覚醒時間の延長にともなってリン酸化が進行することから、脳内の睡眠要求を定量的に反映していると結論し、睡眠要求指標リン酸化蛋白質SNIPPs(Sleep-Need-Index-Phosphoproteins)と命名しました。
  3. 80のSNIPPsのうち69がシナプス注2の機能や構造に重要な蛋白質であったことから、SNIPPsは眠気の実体のみならず、眠りの機能においても重要である可能性が高いと考えられます。
  4. 本研究の成果により、眠気とは何か、眠りの機能は何かという2つの根本的な問いの解明が進むことが期待されます。

 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構のZhiqiang Wang研究員、Qinghua Liu教授、船戸弘正客員教授、柳沢正史機構長/教授らの研究グループは、2つの「眠気モデル」マウスの脳内のリン酸化蛋白質を網羅的に比較解析することで、眠気の実体や眠りの機能に重要な役割をもつと見られる80種類の蛋白質を同定しました。
 「眠気」とは何か、眠りの役割は何かなど、睡眠は未だ多くの謎に包まれています。「眠気モデル」の一つは、断眠させて眠気が強まったマウスです。もう一つの「眠気モデル」は、Sik3遺伝子に変異を持つSleepy変異マウス注3で、このマウスは覚醒中に速やかに眠気が強まります。この2種類のマウスの脳内で共通した生化学的変化を網羅的に解析したところ、80種類の蛋白質でリン酸化が進行していることがわかりました。断眠時間が長くなるほど、眠気の程度に応じてリン酸化が進行していることから、この蛋白質群を睡眠要求指標リン酸化蛋白質SNIPPs(Sleep-Need-Index-Phosphoproteins)と命名しました。このような、眠気の分子的実体に関する網羅的研究は世界初の試みです。
 SNIPPsの大部分は、睡眠によって回復することが知られているシナプスの構造や機能に重要な働きを持つ蛋白質です。そのため、今回の研究成果を足がかりに、眠気とは何か、眠りの機能は何かという2つの根本的な問いの解明が進むと共に、将来的には多くの人の睡眠の質向上や睡眠障害の治療法開発に発展することが期待されます。
 本研究は、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)、St. Jude Children’s Research Hospital、北京生命科学研究所、University of Texas Southwestern Medical Center、東邦大学による共同研究として行なわれました。

 本研究の成果は、6月13日(日本時間14日午前2時)に Nature誌オンライン版で公開されました。

研究の背景

 私たちは人生のおよそ三分の一を睡眠に費やします。誰もが毎日行なう身近な行動でありながら、睡眠は未だ多くの謎に包まれています。たとえば「眠気」は、誰もが日常的に体験する、睡眠に対する欲求です。眠気は覚醒時間が長くなるにつれて蓄積していき、眠ることで消えていきます。しかし、眠気をきたしている脳内では何が起こっているのか、その実体は全くわかっていません。これまで、その実体を明らかにしようと、眠らせない状態に置いた(断眠させた)マウスを用いた研究がなされてきました。しかし、断眠した脳と自由に眠っていた脳を比較する従来の実験では、「起きていた」ことと「眠っていた」ことによる差と、「眠い」「眠くない」による差とが原理的に区別できませんでした。さらに、眠りたいマウスに刺激を与え続けることで覚醒を強いるため、マウスに強いストレスがかかることが避けられず、眠気とストレス反応とを区別することができませんでした。
 このジレンマを解消するために、今回、本研究グループは、新しい発想に基づく解析を試みることにしました。

研究内容と成果

 本研究では、睡眠要求を決めるメカニズムを解明するために、船戸弘正客員教授、柳沢正史機構長/教授らのグループが2016年に報告したSleepy変異マウスを眠気モデルマウスの一つとして用いることにしました。Sleepy変異マウスは、昼夜の睡眠量が正常(野生型)マウスより大幅に増えているにも関わらず、野生型マウスより眠気が強いことが分かっています。また、Sleepy変異マウスは、SIK3と呼ばれる蛋白質リン酸化酵素の遺伝子変異をもっていることが知られています。このSleepy変異マウスと、断眠させたマウスの2種類の眠気モデルマウスを用いた実験ラインを組み立てました。断眠マウスについては、断眠による変化を見るために、6時間断眠させたマウスと、自由に睡眠覚醒させたマウスおよび6時間断眠後3時間自由に回復睡眠させたマウスとで脳内変化を比較しました。一方で、自由に睡眠覚醒をさせたSleepy変異マウスと、自由に睡眠覚醒をさせた野生型マウスとを比較しました。すると、2つの眠気モデルマウス両方において、脳内でのAMPキナーゼやプロテインキナーゼCといった特定のリン酸化酵素群による蛋白質のリン酸化が強まっていました。さらに、2つの眠気モデルマウスで共通してリン酸化状態が変化する蛋白質を網羅的に調べるために、質量分析装置を用いたリン酸化プロテオミクス解析注4を行いました。その結果、眠気に関わる80のリン酸化蛋白質を同定しました。
 次に、眠気の程度に応じて、これらの蛋白質のリン酸化状態が変化するかを調べるために、マウスを1時間、3時間、6時間と段階的に断眠させたところ、断眠時間に応じてリン酸化状態が進行していました。この結果から、これらの蛋白質群のリン酸化の進行が睡眠要求を定量的に反映していると結論できます。そこでこの蛋白質群を、SNIPPs(Sleep-Need-Index-Phosphoproteins ;睡眠要求指標リン酸化蛋白質)と名づけました。さらに、80のSNIPPsのうち69がシナプスの機能や構造に重要な蛋白質であることがわかりました。眠りの機能の1つは、シナプス可塑性注5の維持であるという学説があります。つまり、SNIPPsは眠気の実体、すなわち眠りの調節と、眠りの機能の両者において重要な役割を担っている可能性が高いと考えられます。
 Sleepy変異マウスでは、蛋白質リン酸化酵素SIK3の機能獲得型変異のために睡眠要求が増大することが知られていますが、その具体的な分子機構についてはわかっていませんでした。SIK3とSNIPPsの関係について調べるために、内在性の野生型SIK3蛋白質にFLAGタグを付加したマウスと変異型SIK3蛋白質にFLAGタグを付加したマウスを用いて、免疫沈降法と質量分析を組み合わせて、SIK3と脳細胞内で相互作用する蛋白質群を網羅的に調べました。すると、変異型SIK3は、野生型SIK3に比べ、SNIPPsとの親和性がより高く、これらをより強くリン酸化していることがわかりました。さらに、SIK阻害薬を脳に投与してSIK3の酵素活性を抑制すると、Sleepy変異マウスでも断眠した野生型マウスでも睡眠要求が低下することがわかりました。つまり、変異型SIK3蛋白質や断眠による睡眠要求の増大に、SNIPPsのリン酸化の進行が大きく関与していることが示唆されます。

今後の展開

本研究では、眠気を規定する脳内リン酸化蛋白質群を同定しました。その多くがシナプス蛋白質であることから、SNIPPsが睡眠要求の分子的実体であるだけでなく、睡眠の機能としての学習や記憶においても重要な役割を担っていると考えられます。SNIPPsの発見をきっかけに、睡眠の恒常性維持から睡眠の持つ認知機能的意義まで幅広い問題の解明につながることが期待されます。本研究の成果により、眠気とは何か、眠りの機能は何かという2つの根本的な問いの解明が進むと共に、将来的には多くの人の睡眠の質向上や睡眠障害の治療法開発に発展することが期待されます。

用語解説

注1) リン酸化
高エネルギーリン酸結合をもつアデノシン三リン酸(ATP)などの分子から、ターゲットとなる分子にリン酸基を転移する化学反応。生体内にある蛋白質はリン酸化されることによって、構造の変化が起こり、その機能のオン・オフあるいは強・弱が切り替わる。細胞周期、増殖、アポトーシス、シグナル伝達経路など細胞の多くの機能を調整する上で重要な役割を果たす。

注2) シナプス
神経細胞と神経細胞の接続部に存在し、電気信号を化学物質に変換することで、他の神経細胞に情報を伝えている。脳をコンピュータにたとえると、シナプスは個々のトランジスタ素子に相当する。

注3) Sleepy変異マウス
2016年に船戸弘正客員教授、柳沢正史機構長/教授らのグループによって報告された変異マウス。蛋白質リン酸化酵素であるSik3遺伝子の機能獲得型変異により、野生型マウスに比べて睡眠時間と睡眠要求が顕著に増加する表現型を持つ。

注4) リン酸化プロテオミクス解析 
質量分析装置を用いることで細胞組織内の全てのリン酸化蛋白質を網羅的・定量的に解析する手法。

注5) シナプス可塑性
神経細胞間の情報の伝達部であるシナプスの特性は、外からの種々のシグナル(例えば感覚刺激)に適応して刻々と変化する。記憶や学習にも重要な役割を持つと考えられている。

掲載論文

【題 名】 Quantitative phosphoproteomic analysis of the molecular substrates of sleep need
       リン酸化プロテオミクス解析による睡眠要求の分子基質の解析
【著者名】 Zhiqiang Wang, Jing Ma, Chika Miyoshi, Yuxin Li, Makito Sato, Yukino Ogawa, Tingting Lou, Chengyuan Ma, Xue Gao, Chiyu Lee, Tomoyuki Fujiyama, Xiaojie Yang, Shuang Zhou, Noriko Hotta-Hirashima, Daniela Klewe-Nebenius, Aya Ikkyu, Miyo Kakizaki, Satomi Kanno, Liqin Cao, Satoru Takahashi, Junmin Peng, Yonghao Yu, Hiromasa Funato, Masashi Yanagisawa, Qinghua Liu.
【掲載誌】 Nature
      DOI: 10.1038/s41586-018-0218-8

「本発表資料のお問い合わせ先」
東邦大学医学部解剖学講座微細形態学分野
船戸 弘正・教授
TEL:03-3762-4151 
Email: hiromasa.funato[@]med.toho-u.ac.jp
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