プレスリリース 発行No.734 平成28年11月4日
筑波大学プレスリリース
内容は以下のとおりです。
研究成果のポイント
- ランダムな突然変異を起こさせた多数のマウスをスクリーニングするフォワード・ジェネティクスという手法により、これまで全く知られていなかった、睡眠・覚醒を制御する二つの遺伝子変異(Sleepy、Dreamless)を発見しました。
- 覚醒時間が大幅に減少するSleepy変異家系ではSik3遺伝子変異を見出しました。SIK3タンパク質はリン酸化酵素*1で、睡眠・覚醒を制御する細胞内シグナル伝達系の解明につながる初めての発見です。
- 断眠させて「眠気」が強くなったマウスでは、SIK3のリン酸化酵素活性を制御するアミノ酸が強くリン酸化されていました。これは、SIK3が「眠気」の細胞内シグナル伝達経路を構成していることを示唆しています。
- レム睡眠*2が著しく減少するDreamless変異家系ではNalcn遺伝子変異を見出しました。NALCNタンパク質はイオンチャネル*3で、ノンレム睡眠とレム睡眠のスイッチング機構の初めての解明につながることが期待されます。
- Sik3遺伝子はショウジョウバエや線虫でも睡眠様行動を制御していることが明らかになりました。また、Dreamless変異マウスでは、レム睡眠の終止に関わるニューロンが含まれる領域の活動パターンが変化しており、レム睡眠の減少に関与していると考えられます。
睡眠覚醒制御の根本原理は、未だ謎に包まれています。東邦大学医学部解剖学講座船戸弘正准教授および筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構柳沢正史機構長/教授らの研究グループは、この謎に真正面から挑み、睡眠覚醒制において重要な役割を果たす2つの遺伝子を見出しました。
研究手法としては、具体的な作業仮説を置かず、ランダムな突然変異を入れた多数のマウスをスクリーニングする方法(フォワード・ジェネティクス)を採用し、覚醒時間が大幅に減少する Sleepy 変異家系と、レム睡眠が著しく減少する Dreamless 変異家系を樹立することに成功しました。そしてそれぞれの責任遺伝子(Sik3 および Nalcn)を同定し、その機能を詳細に明らかにしました。
Sik3 は、他の分類群の生物(ショウジョウバエ、線虫)でも睡眠様行動を制御していることを確認しました。また、Dreamless 変異マウスでは、レム睡眠の終止に関わるニューロンを含む領域の活動パターンが変化していることを発見しました。これらは、睡眠覚醒制御において中心的な役割を果たす遺伝子を世界で初めて見出した成果です。
今後、この結果を足がかりとして、睡眠・覚醒ネットワークの全容解明が進むとともに、将来的には睡眠障害の解決にもつながることが期待されます。
本研究は、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)、東邦大学、University of Texas Southwestern Medical Center、名古屋市立大学、The Jackson Laboratory、筑波大学生命科学動物資源センター、理研バイオリソースセンター、新潟大学、国立長寿医療研究センターによる共同研究として行なわれました。
本研究の成果は、11月2日(日本時間3日午前3時)に Nature 誌オンライン版で先行公開されます。
研究の背景
睡眠研究は、柳沢正史らにより1998年に発見された神経ペプチド・オレキシンが睡眠・覚醒制御において重要な役割を果たすことが明らかになったことにより大きく進展し、近年では睡眠・覚醒を切り替えるスイッチの回路についても知見が蓄積されつつあります。しかし、この睡眠・覚醒のスイッチをどちらに傾かせるかを決める要因や、一日の睡眠量を規定しているメカニズムについては全く分かっておらず、現代神経科学最大のブラックボックスとも言われています。本研究ではこれらの謎に挑むべく、フォワード・ジェネティクスによる探索研究のアプローチを用いました。
研究内容と成果
次に、これらの遺伝子変異が睡眠異常の原因となっていることを確実に証明するために、同定した遺伝子変異を再現したマウスをゲノム編集技術*6を用いて作成し、睡眠・覚醒行動を解析しました。その結果、Sik3遺伝子変異およびNalcn遺伝子変異を再現したマウスは、オリジナルのSleepy変異マウスおよびDreamless変異マウスとそれぞれ同じ表現型を示したことから、因果関係が実証されました。
Sik3遺伝子がコードするタンパク質SIK3はタンパク質リン酸化酵素で、中央部にプロテインキナーゼA認識部位がありますが、Sik3遺伝子変異ではこの認識部位が欠損していました。このSIK3プロテインキナーゼA認識部位は、ショウジョウバエや線虫でも保存されています。この認識部位が睡眠様行動に関与しているかどうかを検討するため、ショウジョウバエについては名古屋市立大学の粂和彦教授、線虫についてはWPI-IIISの林悠准教授と共同研究を行なった結果、これらの生物でもSIK3が睡眠様行動を制御していることが判明しました。これは、脊椎動物以外の幅広い動物種における睡眠様行動も、哺乳類と同じくSik3遺伝子を介した分子機構で制御されていることを意味しており、きわめて興味深い結果といえます。
また、断眠させて「眠気」が強まったマウスでは、断眠させていないマウスよりもSIK3のリン酸化酵素活性を制御するアミノ酸が強くリン酸化されていました。これは、野生型の動物においても、SIK3が「眠気」を表出する細胞内シグナル伝達経路の構成要素であることを示唆しています。Nalcn 遺伝子がコードするNALCNタンパク質は細胞膜イオンチャネルであり、遺伝子変異によって膜貫通部位のアミノ酸が1つ変化していることがわかりました。Dreamless変異マウスの脳幹部を電気生理学的に詳しく調べたところ、深部中脳核という場所にあるニューロンの活動が有意に増加していました。この脳領域にはレム睡眠の終止をもたらすニューロンが含まれることから、Dreamless変異マウスにおけるレム睡眠の減少が説明できます。
今後の展開
参考図

図1 Sleepy変異をもつマウスの睡眠図(ヒプノグラム)。6時間毎の睡眠(赤:レム睡眠、緑:ノンレム睡眠)と覚醒(青)を示す。Sleepy変異をもつ個体では覚醒時間が極端に短縮し、夜行性であるマウスが通常活動する夜間にも睡眠量が増加する。

図2 本研究で発見された2つの遺伝子が調節に関わる睡眠の各ステージ。SIK3はノンレム睡眠の必要量を決定づけるのに対し、NALCNはレム睡眠の終止に関わっていると考えられる。
用語解説
高エネルギーリン酸結合をもつアデノシン三リン酸(ATP)などの分子から、ターゲットとなる分子にリン酸基を転移する(=リン酸化する)酵素。キナーゼとも呼ばれる。ターゲットとなる分子の活性制御に関わっている。
注2) レム睡眠、ノンレム睡眠
急速眼球運動(Rapid eye movement, REM)を伴う睡眠をレム睡眠、伴わない睡眠をノンレム睡眠と呼ぶ。レム睡眠中は体の骨格筋が弛緩して休息状態にあるが、脳は活発に活動している。一方ノンレム睡眠は徐波(じょは)睡眠とも呼ばれる深い眠りの状態である。健常人における通常の睡眠では、眠りに落ちるとまずノンレム睡眠が現れ、その後レム睡眠とノンレム睡眠を交互に繰り返す。
注3) イオンチャネル
細胞の生体膜を貫いて存在するタンパク質。生体膜そのものはイオンを透過しないため、イオンチャネルは膜の内外にイオンを透過させるために必須である。細胞内外のイオンを流入・流出を行ない、細胞の膜電位を維持・変化させる役割をもつ。
注4) 連鎖解析
注目している遺伝子の染色体上の存在領域を絞り込むため、すでに位置がわかっている目印(DNAマーカー)との連鎖を手がかりとして統計学的に解析する方法。目的遺伝子とDNAマーカーの染色体上の距離が近いほど連鎖しやすい。
注5) 全エクソームシーケンシング
タンパク質をコードしているDNAの領域はエクソンと呼ばれる。全エクソームシーケンシングとは、ゲノム上のすべてのエクソン領域(エクソーム)について網羅的にDNA塩基配列を解析する方法である。ヒトやマウスでは参照できるゲノム配列が公表されているため、これらを比較することでどの遺伝子に変異があるのか検出できる。
注6) ゲノム編集技術
飛躍的に進展しつつある最新技術。部位特異的にはたらく核酸分解酵素(ヌクレアーゼ)を利用して、ターゲットとなる遺伝子を狙い通りに改変することができる。CRISPR(クリスパー)、ZFN、TALENなどさまざまなヌクレアーゼが用いられる。
掲載論文
「ランダム変異マウスにおける睡眠のフォワード・ジェネティクス解析」
【著者名】Funato H, Miyoshi C, Fujiyama T, Kanda T, Sato M, Wang Z, Ma J, Nakane S, Tomita J, Ikkyu A, Kakizaki M, Hotta N, Kanno S, Komiya H, Asano F, Honda T, Kim SJ, Harano K, Muramoto H, Yonezawa T, Mizuno S, Miyazaki S, Connor L, Kumar V, Miura I, Suzuki T, Watanabe A, Abe M, Sugiyama F, Takahashi S, Sakimura K, Hayashi Y, Liu Q, Kume K, Wakana S, Takahashi JS, Yanagisawa M.
【掲載誌】 Nature
DOI: 10.1038/nature20142
「本発表資料のお問い合わせ先」
東邦大学医学部解剖学講座微細形態学分野
船戸 弘正・准教授
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