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プレスリリース 発行No.683 平成28年6月7日

東邦大学薬学部・理学部のグループによる研究論文
「日本列島太平洋沿岸の底質と二枚貝に含まれる多環芳香族炭化水素:津波と火災の影響」が
米国のオンライン科学誌「PLOS ONE」に掲載

 東邦大学薬学部の小野里磨優助教(薬品分析学)、理学部の齋藤敦子准教授(分析化学)および大越健嗣教授(海洋生物学)のグループは、2011年の東北太平洋沖地震と津波により、オイルタンクや市街地、船等で多数の火災が発生した東北地方から東京湾にかけての7つの地点で、2013年9月から11月にかけて、地域沿岸部の底質(砂や泥)と貝に含まれる多環芳香族炭化水素(たかんほうこうぞくたんかすいそ、Polycyclic Aromatic Hydrocarbons、PAHs)(注1)の濃度を調べ、国際的な基準(United States Environmental Protection Agency guidelines)に照らして安全性の評価を行った結果、採集した食用サイズの貝類3種(アサリ、マガキ、ムラサキイガイ)に含まれる上記物質の濃度は非常に低く、食用として安全であることを確認しました。
 この内容は、米国のオンライン科学誌「PLOS ONE(プロスワン)」に、2016年5月27日(現地時間)に掲載されました。
 
 地震・津波から5年が経った現在も、東北地方でのアサリ生産はほとんど回復しておらず、潮干狩り場はすべて閉鎖中、また、出荷を自粛している福島県では、アサリがいても採れない状況が続いている中、本研究の結果はPAHsについての安全性を示し、今後の養殖生産の再開と拡大へ結びつく成果のひとつと考えられます。
 
研究の詳細は次頁以降のとおりです。

「要約」

 2011年の東北太平洋沖地震と津波により、東北地方から東京湾にかけてオイルタンクや市街地、船等で多数の火災が発生しました。また、津波により多くの車が流され、海中に没しました。タンク、船、車から流出した油やその燃焼物はその後どうなったのでしょうか。また、それらは土壌や生物に取り込まれ濃縮されることはなかったのでしょうか。
 東邦大学薬学部の小野里磨優助教(薬品分析学)と理学部の齋藤敦子准教授(分析化学)および大越健嗣教授(海洋生物学)のグループは、これらの地域沿岸部の底質(砂や泥)と貝に含まれる多環芳香族炭化水素(たかんほうこうぞくたんかすいそ、Polycyclic Aromatic Hydrocarbons、PAHs)(注1)の濃度を調べました。PAHsは、化石燃料やその燃焼物により生じる有機汚染物質の一つで、中でもベンゾ[a]ピレンは強い発癌性や変異原性を示すことが知られています。国際的な基準(United States Environmental Protection Agency guidelines)に照らして安全性の評価を行った結果、2013年に採集した食用サイズの貝類3種(アサリ、マガキ、ムラサキイガイ)に含まれる上記物質の濃度は非常に低く、食用として安全であることが確認されました。また、底質中のPAHs濃度は過去のデータ(2002年)の約半分であることも明らかになりました。

「解説」

 炭素と水素を含む化合物が不完全燃焼すると、多環芳香族炭化水素が生成されます。100種類以上存在するPAHsの内、ベンゾ[a]ピレンやベンゾ[a]アントラセンなど一部のPAHsは強い発がん性や催奇性を示し、これらを摂取することは健康リスクを伴うことが報告されています。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに続く複数回の津波は様々な被害をもたらしました。その中で、岩手県の山田町や宮城県気仙沼市では市街地が火災に見舞われ、千葉県ではオイルタンクが爆発炎上し、11日間燃え続けました。また、津波で多くの船や車、プロパンガスのボンベ等が流され、火災を起こした他、海中に没したものも少なくありませんでした。PAHsは化石燃料そのものにも含まれています。火災や燃料の流出により環境中に放出されたこれらの物質はその後どうなったのでしょうか。
 
 小野里助教と齋藤准教授は、震災前から東京湾沿岸域の底質(砂や泥)に含まれるPAHsの濃度や、生物への取り込みと排出過程におけるPAHsの動態変化について調べ、環形動物のイワムシが底質中のPAHs濃度を低下させ、環境浄化に寄与している可能性があることを初めて報告し、注目されていました(文献1)。また、大越健嗣教授は、地震前から宮城県や福島県沿岸に生息する貝類について研究を行い、地震前の現場環境について多くの知見を持っていました。また、地震直後の2011年4月から現地に入り、月1回の調査を継続しており、地震・津波の海洋生物への影響について検討しています(文献2)。津波の影響でアサリの貝殻の模様が変化することを発見したことは広く知られています(注2)。
 
 地震・津波により沿岸環境は大きな攪乱(かくらん)を受け、水産生物の生産は一時的にストップしましたが、その後、瓦礫除去が進み、防潮堤などの大規模工事の進行と共に、貝類の養殖も再開されはじめました。しかし、環境中のPAHs濃度や生物濃縮(注3)の有無、さらに食用としての安全性は不明でした。そこで、研究グループは2013年に青森県から東京湾までの7地点で底質と食用二枚貝のマガキ、アサリ、ムラサキイガイを採集し、それらのPAHs濃度を測定し、国際基準United States Environmental Protection Agency guidelinesのデータと比較しました。
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 研究グループによる測定結果のまとめを図に示します。東北地方沿岸部の底質中から検出されたΣPAHs濃度(測定対象とした、8種類のPAHs濃度の合計)は、20.5-1447 μg kg-1-dryで、多くの地点で東京湾内と同程度でした。比較的高いPAHs濃度が検出された1地点を含め、今回の調査地点すべての底質中PAHs濃度はERL(注4)を下回っていました。
 また、貝類から検出されたΣPAHs濃度は、134-450 μg kg-1-dryで、宮城県で採集したアサリ中のΣPAHs濃度(259-342 μg kg-1-dry)は、東京湾に生息するアサリよりもわずかに高濃度でした。しかし、これらのアサリ中のPAHs濃度は生息地底質中のPAHs濃度を反映してはおらず、底質からアサリへのPAHsの移行は大きくないことが分かりました。

 マガキとアサリ、ムラサキイガイは世界中で養殖され、食用に供されており、また、ムラサキイガイはマッセルウオッチ(注5)の対象生物となっていることから、地震・津波後のPAHsの挙動については世界からも知見が求められていましたが、これまでほとんど知られていませんでした。本研究の結果は、(1)東北地方太平洋沿岸と東京湾での底質環境中や、そこに生息する生物中でのPAHsの種類と濃度を明らかにし、さらに(2)その濃度は低く、国際的な基準からみても安全であることを示しています。
 
 小野里助教と齋藤准教授は東京湾の干潟で2006年から継続的にPAHs濃度を定量し、地震直後のタンク火災で一時的に増加したPAHsが10か月後には地震前と同レベルまで減少したことも報告しています(文献3)。PAHs濃度の低下には干潟に生息する好気性微生物やイワムシのような底生生物(ベントス)が関わっている可能性があります。
 
 本研究は、地震・津波後に底生生物の生息できる環境を再生させ維持していくことが汚染物質の除去につながる可能性があることも示しています。
今後の展望
 地震・津波から5年が経った現在、東北地方でのアサリ生産はほとんど回復していません。また、潮干狩り場もすべて閉鎖中で漁協には問い合わせや早期開設の要望が相次いでいます。さらに、福島県では出荷を自粛しており、アサリがいても採れない状況が続いています。その中で、本研究の結果はPAHsについての安全性を示し、今後の養殖生産の再開と拡大へ結びつく成果のひとつと考えられます。今後、沿岸では津波防波堤の建設をはじめ様々な工事が継続され、大規模な掘り起しや埋め立てなどが行われる予定です。環境や生物中のPAHsの濃度についても継続的なモニタリングが必要と考えられます。
 
文献1
Mayu Onozato, Atsuko Nishigaki, Shigeru Ohshima (2010)
The fate and behavior of polycyclic aromatic hydrocarbons (PAHs) through feeding and excretion of annelids. Polycyclic Aromatic Compounds, 30: 334–345
 
文献2
Kenji Okoshi (2015)
Impact of repeating massive earthquakes on intertidal mollusk community in Japan. In: H-J. Ceccaldi et al., editors. Marine productivity: Perturbations and Resilience of Socio-ecosystems. Springer; 2015. pp. 55–62. DOI 10.1007/978-3-319-13878-7_6.
 
文献3
小野里磨優・西垣敦子 (2013)
火災後の干潟底質中での多環芳香族炭化水素の濃度変化. 分析化学,  62巻1号, 25-30

「掲載論文」

米国オンライン科学誌「PLOS ONE(プロスワン)」
電子版2016年5月27日(現地時間)
DOI: 10.1371/journal.pone.0156447

タイトル:“Polycyclic Aromatic Hydrocarbons in Sediments and Bivalves on the Pacific Coast of Japan: Influence of Tsunami and Fire”
著者名:Mayu Onozato*, Atsuko Nishigaki and Kenji Okoshi
*corresponding author

(邦訳)「日本列島太平洋沿岸の底質と二枚貝類に含まれる多環芳香族炭化水素:津波と火災の影響」
著者名: 小野里磨優*・齋藤(西垣)敦子・大越健嗣

「用語解説」

(注1)    多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons、PAHs)
PAHsは、ベンゼン環を2つ以上持つ化合物の総称で、環境中に広く分布している有機汚染物質である。PAHsは、石油や石炭等の不完全燃焼や、オイル漏れ等によって環境中へ流出、拡散する。
 
(注2)
 朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/eco/TKY201106040559.html
 
(注3)    生物濃縮
生物が環境中の化合物等を体内に取り込み、それが食物連鎖を介して濃縮していくこと。最終的には、環境中での濃度よりも高濃度に生物体内へ蓄積してしまうこと。
 
(注4)    ERL(Effects-range low)
生物学的に10%の確率で悪影響が生じる濃度のこと。生物への悪影響がほとんど検出されない濃度とも言われる。
 
(注5)    マッセルウオッチ
世界的に分布するムラサキイガイを含むイガイ科の貝類を使って長期間継続して化学物質のモニタリングを行うこと。

以 上

「本ニュースリリースの発信元」

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