展示案内
常設展示(2017年10月11日~)
額田記念東邦大学資料室では、医学部本館1階の展示室にて常設展示を行い、所蔵資料を公開しています。
また、不定期に企画展も開催しております。
また、不定期に企画展も開催しております。
展示構成
本資料室は現在実物資料の展示・パネル等での解説と併せて次のような展示構成となっております。
①草創期の本学
②大田区 大森・蒲田の地
③戦前の女子教育
④創立者 額田豊・晉兄弟
⑤女子専門学校時代の学生生活
⑥受難の時代
⑦新制東邦大学へ
帝国女子医学専門学校として大正時代に設立され、医学科単独からスタートし、薬学科・理学専門学校等が加わる過程は、女子への理科系高等教育の広がりを示し、本学が戦前より有数の理科系総合教育機関であったことをうかがい知ることが出来る展示構成となっています。
現在の本学は5学部を有する男女共学の理科系総合大学であり、また付属中高なども複数有する学校法人として戦後本学は発展を遂げました。
①草創期の本学
②大田区 大森・蒲田の地
③戦前の女子教育
④創立者 額田豊・晉兄弟
⑤女子専門学校時代の学生生活
⑥受難の時代
⑦新制東邦大学へ
帝国女子医学専門学校として大正時代に設立され、医学科単独からスタートし、薬学科・理学専門学校等が加わる過程は、女子への理科系高等教育の広がりを示し、本学が戦前より有数の理科系総合教育機関であったことをうかがい知ることが出来る展示構成となっています。
現在の本学は5学部を有する男女共学の理科系総合大学であり、また付属中高なども複数有する学校法人として戦後本学は発展を遂げました。
展示資料
創立者 額田豊・晉兄弟関連資料
本学が開学した大正14年頃は、高等教育機関に進学できる人数はわずかでした。
加えて女子には原則として大学に進学する権利がなかったため、男子に比べて女子への高等教育は更に遅れがちでした。
男子と女子が受ける教育カリキュラムの違いから、なかでも理科系分野は男子と比べて遅れが顕著といえる状況でした。
そのような時代の状況下で、女子の能力を正当に見抜き、理科系高等教育の場へとつないでいったのが創立者の額田兄弟です。
本資料室では兄弟それぞれにまつわる実物資料を展示し、日本で二番目の女子医学専門学校を設立した背景や、兄弟それぞれの当時の姿や思想をうかがうことができる構成となっています。
加えて女子には原則として大学に進学する権利がなかったため、男子に比べて女子への高等教育は更に遅れがちでした。
男子と女子が受ける教育カリキュラムの違いから、なかでも理科系分野は男子と比べて遅れが顕著といえる状況でした。
そのような時代の状況下で、女子の能力を正当に見抜き、理科系高等教育の場へとつないでいったのが創立者の額田兄弟です。
本資料室では兄弟それぞれにまつわる実物資料を展示し、日本で二番目の女子医学専門学校を設立した背景や、兄弟それぞれの当時の姿や思想をうかがうことができる構成となっています。
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左:豊 右:晉
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晉が使用していた聴診器
女子専門学校時代の学生生活関連資料
入学案内やアルバム等から、本学の前身である女子専門学校時代の学校生活をうかがい知ることができるように構成されています。
豪華な教授陣や、充実した教育カリキュラムなど、大学に進学することが許されていなかった当時の女子にとって本学は紛れもなく最高学府であったことを示す資料群を展示中です。
共学化された現在でも本学の女子比率は高く、前身機関である女子専門学校時代の伝統はしっかりと引き継がれています。
豪華な教授陣や、充実した教育カリキュラムなど、大学に進学することが許されていなかった当時の女子にとって本学は紛れもなく最高学府であったことを示す資料群を展示中です。
共学化された現在でも本学の女子比率は高く、前身機関である女子専門学校時代の伝統はしっかりと引き継がれています。
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創立当初の木造校舎
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「学友会会報」/「高峯」
女子専門学校時代の学校機関誌である「学友会会報」や「高峯」の複製を現在展示中です。
(原本は東邦大学医学メディアセンターが所蔵)
映像資料
本資料室では実物資料やパネル等の解説以外に映像資料も展示しています。
開学まもないころの映像などをご覧いただけます。
映像をご覧いただくことにより、かつての本学の様子や現在の本学に至るまでの歩みをより深く知っていただくことができる構成となっております。
開学まもないころの映像などをご覧いただけます。
映像をご覧いただくことにより、かつての本学の様子や現在の本学に至るまでの歩みをより深く知っていただくことができる構成となっております。