額田豊・晉兄弟
東邦大学の前身である帝国女子医学専門学校は、医師である額田豊・晉兄弟によって、大正14年(1925)に設立されました。
額田家は曾祖父・太仲の代から続く医者の家系で、代々岡山県で診療所を営んでいました。
額田家は曾祖父・太仲の代から続く医者の家系で、代々岡山県で診療所を営んでいました。

父である篤太は東京大学医学部別課で学んだ医師で、子供の教育にとても熱心でした。食道癌を患い、45歳の若さで亡くなりましたが、生前に近親者を招いた席上で「いかなることがあっても、遊学中の者を呼び帰すことはしないように」と話していたそうです。そのため、東京にいた豊と晉は父の死目にあうことができませんでした。

母である宇多も、子供の教育と健康に熱心な方でした。子供たちそれぞれの性格をよく理解しており、干渉がましいことはしなかったそうです。豊が突然帰省し、ドイツに留学したいと話したときも、また学校創立を計画したときも、すぐに賛成しました。
夫を早くに亡くし、内気でやさしく弱々しそうに見えた宇多でしたが、いざとなると雄々しく強く果断だったそうです。新しい学問や事業に深い理解と関心とを持ってわが子を激励していました。
夫を早くに亡くし、内気でやさしく弱々しそうに見えた宇多でしたが、いざとなると雄々しく強く果断だったそうです。新しい学問や事業に深い理解と関心とを持ってわが子を激励していました。
額田豊

- 明治11年(1878)3月23日 岡山県邑久郡にて誕生
- 大正14年(1925)4月 帝国女子医学専門学校、理事長に就任
- 昭和47年(1972)7月29日 逝去 享年94歳
額田晉

- 明治19年(1886)12月22日 岡山県邑久郡にて誕生
- 大正14年(1925)4月 帝国女子医学専門学校、校長に就任
- 昭和39年(1964)9月29日 逝去 享年77歳
額田豊・晉 著作リスト
- 東邦大学医学メディアセンターにて現物を確認できた著作を掲載しています。
- 刊行年の古いものから順に並んでいます。
- タイトル、著者名等は旧字や仮名遣いも含め、原則として原文のまま転記しています。
- 豊と晉のどちらにも関わるものは、両方のリストに掲載しています。
額田豊
額田晉