額田文庫デジタルコレクション
漫游雜記 (マンユウ ザッキ)/ 獨嘯菴著

出版地・出版社 | 大坂 北田清左衛門 |
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出版年 | 明和1年 [1764] |
冊数・大きさ | 1冊, 27cm |
注記 | 奥付に、明和元年甲申九月吉日 剞劂 藤村善右衞門 書林北田清左衛門梓 とあり。 |
永富獨嘯庵(1732-1766)がその晩年に『吐方考』 『嚢語』などとともに出版した、臨床経験集である。巻頭には、医術の習得にあたっての心得が説かれているが、当時の医療に対する鋭い批判も散見される。本書に記された乳がん手術の可能性が、のちに華岡青洲に示唆を与えたとされる。
永富獨嘯菴(ながとみ どくしょうあん 1734-1766)は、実名は鳳介、昌庵または昌安を通称とした。故郷長門(山口)で儒学を学び、京都、福井で古医方、長崎では蘭学を学ぶ。31歳にして大阪で開業した。古方派の雄、吉益東洞にもライバルと目されていた存在であったが、35歳で早逝した。
なお、序文を寄せた亀井南冥、(諱(いみな)は魯)は永富独嘯庵の高弟であり医師、儒者、教育家として活躍した。福岡市の志賀島で発見された金印の研究でも有名である。
永富獨嘯菴(ながとみ どくしょうあん 1734-1766)は、実名は鳳介、昌庵または昌安を通称とした。故郷長門(山口)で儒学を学び、京都、福井で古医方、長崎では蘭学を学ぶ。31歳にして大阪で開業した。古方派の雄、吉益東洞にもライバルと目されていた存在であったが、35歳で早逝した。
なお、序文を寄せた亀井南冥、(諱(いみな)は魯)は永富独嘯庵の高弟であり医師、儒者、教育家として活躍した。福岡市の志賀島で発見された金印の研究でも有名である。
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