宇多像は何代目か
2026年01月30日
資料室がある医学部本館には、正面玄関の入り口脇のところに胸像が一つ建っています。
これは創立者である額田兄弟の母、宇多氏の銅像です。
兄弟が女子専門学校を創設した動機の一つに、父なき後苦労して兄弟を育てた母への報恩の思いがあったと言われています。
そのため宇多氏は学校誕生の源となった人物の一人として、後には「校母」として崇敬されるようになりました。
1935年には学園創立十周年の記念として、その銅像が現在と同じ玄関前に建立されました。
本館に出入りする学生・教職員を見守るようなその設置位置は変わらないものの、宇多像自体には入れ替わりがあります。
『東邦大学50年史』によれば、年月の経過に依る損耗が激しくなったため、学園創立50周年を控えた1974年に、新しい胸像が制作されたということです。
それでは現在の宇多像は二代目なのかというと、どうもそうとは言い切れないようです。
専門学校時代の学校雑誌を繙きますと、戦時下の金属供出に応じるため、1943年6月に宇多像は撤去され、その数か月後に新たに制作された代替の胸像によって再建された、という記事を見ることができます。
つまり、宇多像は少なくとも1943年と1974年の二度再建されており、現在のものは三代目かそれ以降ということになるようです。
もし1943年の撤去・再建から1974年に至るまでの間、一度も入れ替えが無かったのであれば三代目で確定するのですが、この点についてはまだ確認ができていません。
医学部キャンパスを行き来する人にとってはなじみ深い宇多像ですが、じつは意外にもまだ分からない部分があるのかもしれません。
画像は1964年の大学案内の表紙です。
1974年に再建される以前の宇多像が写っています。
こちらが二代目(仮)ということになりますが、残念ながらこの画像からは詳細を確認することが難しいようです。
《史料・参考文献》
『帝国女子医学薬学専門学校一覧 創立十周年記念』帝国女子医学薬学専門学校、1935年11月、p4~6。
『高峯』第11巻第9号、1943年9月、p8。
『高峯』第11巻第10号、1943年10月、p8。
見学玄編『東邦大学50年史』東邦大学創立50周年記念事業委員会、p219。
投稿者:スタッフ
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