「学園だより」?

資料室の所蔵資料は一枚紙、冊子などの文書型資料が多く、モノ資料は少数派です。
冒頭に掲げた画像はその少数派資料の一つです。
といっても、大きなものでも長辺約11.5cmの、比較的小さなモノ資料です。

御覧の通り、「学園だより」「東邦大学」などの単語が浮き出た金属片ですが、なぜか文字が左右反転しています。
これは一体何に用いられた物品なのでしょうか。

『学園だより』というのは、かつて東邦大学が刊行していた月刊誌です。
1973年1月、いまだ学園紛争の余燼くすぶる学内で、学園から学生に向けた広報誌として創刊されました。
以降、1989年5月の第200号まで刊行を続け、翌6月からはより現代的なデザインへと紙面を改革し、名前も『TOHO University NOW』と改題しました。

改題前の最終号となった第200号を見ますと、第4号から第199号まで長期連載された幾瀬マサ先生の「薬草の花だより」を始め、各学部の先生方の協力のもと、多様な連載企画が展開されていたようです。

学生が参加する座談会の記事などもあり、1970年代前半から80年代末の約16年間にわたって、刻々と移り変わる学園の様子をうかがうことができる、興味深い資料となっています。

ところで画像の資料は一体何なのか、という話に戻りますと、画像中程のパーツにある、「第1号~第23号」という単語が手掛かりになるように思います。
図書館などで古い雑誌を探したことがある方はピンとくるかもしれません。
薄型の雑誌を保存する際、複数冊まとめて一つの冊子状に綴じ、外側に丈夫な装丁を施している場合がしばしばあります。
画像の資料はおそらくこの合本版の装丁に誌名などを印字するために用いられた、活字の一種ではないでしょうか。

誌名改題によって「学園だより」という単語が使用される事が無くなったために現用を退き、その後巡り巡って資料室まで辿り着いたものと思われます。

印刷もデジタルが基本となった現代では、こうした物品もまたおそらく珍しい存在でしょう。
印刷が完全にデジタル化する以前の時代の学園の、貴重な置き土産と言えるかもしれません。



《史料・参考文献》
浅田敏雄「「学園だより」十六年を顧みて」『学園だより』第200号、1989年5月、p7
浅田敏雄「学長21年の回顧」『TOHO University NOW』No.222、1991年7月、p8・9
編集部「お知らせ」『学園だより』第199号、1989年4月、p11
幾瀬マサ「「薬草の花だより」によせて」『学園だより』第200号、1989年5月、p8・9
『学園だより』第200号、1989年5月、p11~13


投稿者:スタッフ

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