もう一つの校章

資料室では常設展の一部として専門学校時代の校旗を展示しています。
飾り房の付いた縦長の旗で、展示中の資料としては最大サイズのものとなります。
布地の中央には「帝国女子医学薬学専門学校」の文字。そしてその上、布地の頂上部分には、一見船の錨のようにも見える、線が絡まり合った複雑なマークが戴かれています。

このマークは専門学校時代の校章です。
「Teikoku Medical School」の頭文字、TMSを組み合わせたものと言われています。
愛好されたモチーフだったのでしょう、専門学校時代の資料を見ていると、たびたびこのマークに遭遇します。

このマークとは別に、実は専門学校時代の校章はもう一つ存在しました。

理学専門学校の設置などにより従来の校章が不適切となったとして、1943年、新しい校章の図案が公募されています。
帝国女子医学薬学専門学校の医学・薬学二学科と帝国女子理学専門学校との全てで共通する図柄を用い、従来通り色の違いにより学科の区別を行う事など、いくつかの条件が示された上で、全校生徒を対象に図案の募集が行われました。

その結果決まった新しい校章が冒頭の画像です。
「帝」の文字と、額田家の家紋のひとつである「鯉の上睨み」を組み合わせたものだそうです。
アルファベットをアレンジした曲線的で複雑なデザインから、漢字をメインに押し出したシンプルな意匠へ。
元の校章とは大きく雰囲気が変わりました。

ちなみに公募の際の条件には、「文字ハ全部日本字ヲ使用シ欧字ハ使用セザルコト」という項目も含まれていました。
推測ではありますが、ひょっとしたら戦争の影響により、ローマ字の使用が忌避されるようになっていたのかもしれません。

戦後この校章がどうなったかは、現時点では把握できていません。
校名自体が「帝国」から「東邦」へと変わることを踏まえると、「帝」の字をあしらったこのマークは、おそらく比較的短期間の使用で終わってしまったのではないかと思われます。



《史料》
『高峯』第11巻第7号、1943年7月、p4
『高峯』第11巻第11号、1943年11月、p8
『高峯』第12巻第1号、1943年12月〔ママ〕、p6、p1

投稿者:スタッフ

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