初代の校舎
2024年09月19日現在資料室がある医学部本館は、1929年に鉄筋コンクリート3階建ての建物として竣工しました。それから90年以上の時を経た現在でも、大学の教室等として現用されています。
なお本学の前身となった帝国女子医学専門学校の設立はさらに遡ること約4年の1925年です。すなわち当初は別の建物を校舎として使用していたことになります。
一体どんな建物だったのでしょうか。
冒頭に掲げた画像は1935年に刊行された『帝国女子医学薬学専門学校一覧 創立十周年記念』に掲載されたものです。「創立当初の校舎」というキャプションのもと、だだっ広い原っぱを前景に、奥の方に西洋館のような建物が建っているのが見えます。粗い画像であるため詳細は分かりませんが、スタッフにはなかなか瀟洒な雰囲気の建物のように感じられます。
この初代の校舎はその後どうなったかといいますと、1920年代の末には上記のように新しく鉄筋コンクリートの校舎が建設されるのですが、それに伴い解体処分されてしまった……という訳では必ずしもないようです。敷地の西の方に移動され、1935年位には家庭科学研究所の校舎として使用されていたもようです。
興味深いのはこの初代校舎、卒業生に「青い建物」と表現されているところです。一体何が青かったのか、穏当に考えれば屋根か外壁かと思われますが……さてはて。
残念ながらこの校舎については、カラー写真を見かけたことがありません。
いつまで使用され続けたのかは分かりませんが、おそらくカラー写真が登場する時代までは生き残らなかったと思われます。
戦時下の1945年4月、本学は空襲により多くの建物を焼失することとなります。仮にこの初代校舎が1930年代以降も長く使用され続けていたとしても、他の校舎と同様、この時に焼失したものと思われます。
《史料・参考文献》
『校報』第6号、帝国女子医学薬学専門学校、1933年11月、p7。
『学友会雑誌』第20号、1935年12月、p95。
見学玄編『東邦大学50年史』東邦大学創立50周年記念事業委員会、1978年3月、巻末年表p588、590、p592、p606。
投稿者:スタッフ
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