1913年の卒業式
2024年08月31日卒業式で合唱曲を歌ったことがある方は少なくないと思います。スタッフもその一人です。
学校が遠ざかるにつれて色々な記憶がだんだんと薄れていくのに、歌った唱歌のフレーズだけはふとした瞬間に蘇るので不思議なものです。
画像は1913年3月に行われた、東京女子高等師範学校の卒業証書授与式次第です。
冒頭の校歌から始まり、卒業証書授与を間に挟んで唱歌、そして式の終わりにも唱歌という構成になっています。
いつ頃生じた慣習なのかは分かりませんが、この時期にはもうすでに卒業式のプログラムで合唱が重用されるようになっていたのかもしれませんね。
東京女子高等師範学校は、現在のお茶の水女子大学の前身となった学校です。
他校の卒業式式次第がなぜ東邦大学の資料室にあるのかと言いますと、実は額田晉先生の妻、賀古かつら氏が卒業生だからです。
同封の第二十四回卒業者氏名表にて、付属高等女学校卒業者の項にその名前が見えます。
卒業者氏名表以外にも、学校の詳細な構内図を印刷した紙などが一緒にまとめられていますので、これらの資料は、ひょっとしたら式に参観する保護者に配布されたものだったのかもしれません。
ところでこの卒業者氏名表には、女性科学史上の著名人が複数記載されています。
一人は研究科修了の牧田らく(敬称略、以下同)。
研究科を修了したこの年、日本で最初の女子大学生の一人として、東北帝国大学理科大学数学科に入学しました。また、1916年には同大学を卒業し、日本で初めて理学士号を持つ女性の一人ともなりました。
もう一人は理科卒業の辻村みちよです。
1932年に国内では女性として初めて農学博士号を取得しました。緑茶の成分の研究が著名で、戦後はお茶の水女子大学の教授も務めています。
おそらくたまたまではあるのですが、これら女性科学者の先駆けとなった女性たちと、後にその配偶者が医学、薬学、理学女子専門学校を設立することとなった賀古かつら氏とが共に一枚の紙、ある年の卒業者一覧に記載されていることに、興味を惹かれます。むしろそれが偶然の結果であることこそに、時代の趨勢のようなものが映して出されていると言えるかもしれません。
1910~1920年代以降、女性と科学をとりまく状況が少しずつ、しかし大きく変化していくのを予感させる一枚……と嘯いてみたくなりますが、やや大きく構えすぎて、さすがに我ながら牽強付会の気がしないでもありません。
資料室では額田家ゆかりの人びとの資料も所蔵しています。
折に触れてご紹介できたらと思います。
《参考文献》
志賀祐紀「金山らくの数学に対する思い—兵庫県立美術館所蔵資料から—」『東北大学史料館紀要』第9号、2014年3月。
山西貞「お茶の研究で日本初の女性農学博士……辻村みちよ」岩男壽美子・原ひろ子編『科学する心—日本の女性科学者たち—』日刊工業新聞社、2007年11月、p23~29。
山下愛子編著『近代日本女性史④ 科学』鹿島研究所出版会、1970年9月、p71~87、p156~163。
投稿者:スタッフ
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