一つの門、三つの看板

冒頭に掲げた写真は、往時の学校風景です。
場所はおそらく今の習志野キャンパス。

手前には、談笑しながら今まさに校門を出ようとする若い女性たち。左手奥にも、友人との楽しいおしゃべりに夢中なのでしょうか、鞄を持ったまま佇む3名の女性の姿があります。そしてよく見ると、中央には制帽をかぶった男性のように見える人物が、これも帰宅途中でしょうか、校門に向かって歩を進める様子が写っています。

校門にもご注目を。左右の門柱にそれぞれ縦長の看板が掛けられています。向かって左手の門柱の看板には「東邦薬科大学」、右手の門柱の方には「東邦女子理学専門学校化学生物学教室」と記されています。そして実は、さらにもう一枚看板があります。左手の門柱のさらに左側、木製の柵のように見える箇所の上部に、なにやら横長の長方形の物体が見えますね。画像が粗いため分かりづらいのですが、ここには「東邦女子医学薬学専門学校 薬学科 TŌHŌ WOMEN’S COLLEGE OF MEDICINE AND PHARMACY」と横書きで記されています。

女子専門学校として創始された本学は、戦後、共学の大学を設立します。1947年には東邦医科大学の予科、1949年には東邦薬科大学、そして1950年には東邦大学理学部が設立認可されます。それでは従来の女子専門学校はこれら共学の大学設立に伴い直ちに消えてしまったのかというと、そうではありません。1947年に東邦女子医学薬学専門学校、東邦女子理学専門学校と校名を変更して存続します。そして1951年に最後の卒業生を送り出し、20年以上に亘る女子専門学校の時代に幕を下ろします。

この写真は専門学校薬学科の1951年の卒業アルバム、すなわち専門学校最後の卒業生たちの卒業アルバムに掲載されているものです。
冒頭で述べたようにこの写真では二つの女子専門学校と一つの大学、計三つの看板が一つの校門に掲げられているのですが、それはこの時期、女子専門学校と大学が併存していたことを反映しています。男子学生とおぼしき人物が写っているのは、新設された大学は共学だったからでしょう。

戦後、時代と社会の変動を背景に学校が大きく変化してゆく、まさにその過渡期の様相をとらえた一枚と言えそうです。
校門を出ようとする女性は女子専門学校の生徒でしょうか。
飛躍に向けて大きく様変わりしてゆく母校で、最後の卒業生となった生徒たちは何を思いつつ過ごしていたのか。気になる所です。



《参考文献》
見学玄編『東邦大学50年史』東邦大学創立50周年記念事業委員会、1978年3月、巻末年表p610、612、614。



投稿者:スタッフ

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