キャンパス今昔~寄宿舎暮らし

前回のキャンパス今昔ではバスの路線のことに触れましたが、実は専門学校時代の本校に通う生徒にとって、バスは必ずしも毎日利用する交通手段ではなかったかもしれません。
というのも、敷地内に寄宿舎があり、自宅から通学する生徒以外は原則そこから通うこととなっていたからです。

1935年に発行された『帝国女子医学薬学専門学校一覧』によりますと、学校の発展に伴って寄宿舎は増築を繰り返し、1935年時点では研精寮、北斗寮、星輝寮、成美寮の全四寮で計182室を数え、600名が入居可能な規模となっていたそうです。

それにしても気になるのはそこでの生活です。
生徒たちは寮で一体どんな風に暮らしていたのでしょう。

残念ながらあまり残されている資料は多くはないのですが、試みに上記『学校一覧』内の記述から伺ってみましょう。
同書掲載の「寄宿舎規程」によれば、寄宿舎でのタイムスケジュールは以下のようになっていたようです。

起床:6時
朝食:6時45分~7時45分
昼食:12時~13時
夕食:17時~18時
自習時間:19時~22時
就寝:22時30分

早寝早起きの健康生活……とは言うものの、真冬の朝6時はまだ日も昇らない頃合。寒い季節にはつらかったかもしれません。
ちなみに夜の三時間の自習時間中は、静粛に過ごし、他の部屋を訪問してはいけないという決まりになっているとのこと。中々ストイックですね。

写真は1930年発行の『財団法人帝国女子医学専門学校医学科薬学科附属病院概況』に掲載された、寄宿舎の食堂の風景です。
前掲『学校一覧』によりますと、寄宿舎では「食事の時は一斉に大食堂に集合してラヂオ聴きつ 〔ママ〕美味に親む」のだそうで、その光景は「寔に偉観を呈」すると評されています。
料理に舌鼓を打ちつつ気の置けない友人と楽しいおしゃべりを繰り広げる時間だったのか、それとも、美しい食事作法を身に着けるべく居住まいを正して粛々とテーブルに向かう場だったのか。興味は尽きません。

投稿者:スタッフ

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