企画展—補足④K. K. Chenと額田晉 カニューレの帰還

明日14日まで企画展「額田兄弟の外遊 天下ノ模範トモナリタク」を開催中です。
展示中の内容についてはすでに資料室のサイト上で公開していますが、額田兄弟が海外渡航した時期の時代背景などについては、こちらのブログで公開していきます。
-------------------------------------------------

資料室では額田晉とK. K. Chen(陳克恢)の二人を繋いだガラス製のカニューレを所蔵しています。

額田晉が1923年に北京協和医学校に派遣された際、当時同校に所属していたChenと出会いました。北京滞在中に晉がChenに実験の手ほどきなどをした際に貸したのがこのカニューレだったのです。晉の回想によると、当時麻黄に関心を寄せていたChenに対して、長井長義や三浦勤之助、高橋順太郎による麻黄の研究について解説したといいます。後にChenは同じ時期に協和医学校で勤めていたC. F. シュミットと、アメリカに移ってから共にエフェドリンの効能について研究し、エフェドリンが医薬として使用される契機をつくった研究者としてこの二人の名が広く知られることとなりました。

Chenはインディアナ大学で教鞭を執った後、イーライリリー・アンド・カンパニーの研究部長となり、さらにはアメリカ薬理学会の会長などを務めました。その間もこのカニューレは彼の手元で保管されていました。

東邦大学医学部で薬理学の教授を務めていた伊藤隆太は、1964年に学生時代からの知人である菊地健三よりこのカニューレを手渡された。菊地がインディアナ大学薬理学教室のChenのもとで学んだ際、カニューレの返却を頼まれていたのです。しかし、晉はこの頃すでに胃がんのため病床に伏せており、カニューレの返却を知ることなく1964年9月に亡くなりました。

その後、カニューレは1984年に設置された東邦大学資料館(2004年閉鎖)に収められました。本資料室はこの資料館の所蔵資料を引き継いでおり、晉の北京時代を象徴する資料として今回の企画展において展示するに至りました。

※画像はK. K. Chenより返却されたカニューレ。

投稿者:スタッフ

記事一覧に戻る

Top