企画展—補足③『社会及国家』から読み解く米国留学
2022年10月04日
現在、企画展「額田兄弟の外遊 天下ノ模範トモナリタク」を開催中です。
展示中の内容についてはすでに資料室のサイト上で公開していますが、額田兄弟が海外渡航した時期の時代背景などについては、こちらのブログで順次公開していきます。
-------------------------------------------------
額田晉は大学卒業後にドイツ留学を志していましたが、第一次世界大戦の開戦によって留学先の変更を余儀なくされました。この時、欧米留学の事情を入手するツールとなったのが、晉が旧制一高や大学時代の同窓生とともに参加していた結社「一匡社」の同人雑誌『社会及国家』でした。
「一匡社」は1913年に①国民の国家的及社会的活動の正当な範囲を探求・主張し実行すること、②国運の振興に努力し国民殊に青年の志気を鼓舞することを目的として結成された団体です。社の創設メンバーや雑誌の記事投稿者の中には津島壽一(後の大蔵大臣)や藤井啓之助(外交官、チェコスロヴァキア公使)、谷崎潤一郎など各分野で足跡を残した人物が含まれていました。
第一次世界大戦開戦の1914年8月当時、晉の親しい友人で一匡社メンバーの杉田直樹(後に東京府松沢病院副院長、名古屋医科大学教授)は、まさにドイツに留学中でした。当初、日本は局外中立の姿勢をとっていましたが、同盟関係にあったイギリスからの協力要請によってドイツに宣戦を布告するに至りました。
この時、文部省は現地の混乱から留学生を保護するべく、ドイツ国内の日本人に対して即刻ロンドンへの退避を命じていました。杉田はドイツからの脱出経緯や、その後に一度帰国してから渡ったアメリカの留学事情について、『社会及国家』に何度も寄稿していました。
第一次世界大戦下に敵対関係となった日本とドイツは、外交や学術交流などが一時的に断絶し、ドイツ留学を目指していた医学関係者の多くは留学先をアメリカに変更せざるを得ませんでした。明治期以降、ドイツ医学と師弟関係にあった日本医学は、第一次世界大戦を機にアメリカ医学へと接近していきました。
次第に、杉田の他にも一匡社のメンバーがアメリカに留学し始め、現地のメンバーから寄せられる情報量も増加していきます。晉も『社会及国家』を通じてアメリカにおける留学事情を目にしていたと思われ、自身がアメリカへ渡った後も雑誌に動向を伝えていました。
〈参考文献〉
小関有希「雑誌『社会及国家』解説・総目次 一高・帝大同窓生というネットワーク」『リテラシー史研究』リテラシー史研究会, 10号, 2017年, p.1-18.
杉田直樹「独逸落ち(一)-(大尾)」『社会及国家』一匡社, 1914-1915年.
※画像は晉が留学時に乗船したサイベリア丸の一等船客。晉は上から2段目、左から3番目。(1918年)
投稿者:スタッフ
カテゴリー:資料について