企画展—補足②「学校医学」と「自然療法」 豊による大気安静栄養療法の実践
2022年09月14日現在、企画展「額田兄弟の外遊 天下ノ模範トモナリタク」を開催中です。
展示中の内容についてはすでに資料室のサイト上で公開していますが、額田兄弟が海外渡航した時期の時代背景などについては、こちらのブログで順次公開していきます。
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1920年、豊が鎌倉に開設したサナトリウム「額田保養院」では「大気安静栄養療法」が実践されていました。サナトリウムは結核患者の療養施設として認識されていますが、元はアルコール依存や薬物依存、不眠、神経疾患も治療する場所でした。日本で結核の特効薬「ストレプトマイシン」が流通し始める1950年代以前、額田保養院において「大気安静栄養療法」に則った生活を患者に実践させ、健康を取り戻す取り組みが行われていました。
豊が留学していた頃のドイツでは、「学校医学Schulemedizin」と「自然療法Naturheilkunde」が対峙していました。「学校医学」とは、大学の医学部で修業した医師らが、薬剤や手術など外から身体に介入する方法で局所的に患部のみを処置し、病因を除こうとするものです。そのアンチテーゼとなった「自然療法」は、薬剤を用いずに人体に備わっている自然治癒力を尊重し回復に導くものでした。
ヨーロッパでは工業化によって、19世紀頃より急激に都市部での消費活動の増大や大衆文化が発展しました。その反動から、ドイツを中心に反近代的な思想をもとに自然回帰を目指す「生改革運動」が展開され、裸体文化や菜食主義、禁酒禁煙、衣服改革などが普及していきます。これに伴い、日光浴や空気浴、水治療などを中心とした「自然療法」も同時に各地で興隆を見せたのです。
なお、豊はドイツ帰国から5年後の1914年に「医化学研究所」の開設を試みていたことが判明しています。研究所開設の目的は、日本中の民間療法を集めて科学的な根拠の有無について研究することでした。研究所が開設したことを示す資料は残っていないものの、この発案からはドイツ留学中に「自然療法」を目撃したであろう豊ならではの民間療法への眼差しを読み取ることができます。
しかし明治期以降、ドイツ留学を経た医師たちが日本に取り入れたのはいわゆる「学校医学」が中心であり、代替療法としての「自然療法」は欧米ほどには根付かなかったようです。
〈参考文献〉
竹中亨『帰依する世紀末 ドイツ近代の原理主義者群像』ミネルヴァ書房, 2004年.
森貴史『ドイツの自然療法 水治療・断食・サナトリウム』平凡社, 2021年.
※画像は1920年に豊が鎌倉で開業した「額田保養院」。現在も同じ場所に医療医療財団法人額田記念会額田記念病院があります。
投稿者:スタッフ
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