額田晉の北京派遣

関東大震災から間もない1923年10月、アメリカのロックフェラー財団の招きによって、額田晉は北京協和医学院に向かいました。

関東大震災発生当時、晉は順天堂医院の医事研究会の学術指導者として内科診療の一部を受け持ち、さらに順天堂研究所の所長を務めていました。しかし、震災によって順天堂は甚大な被害を受けて研究所は閉鎖し、晉は研究場所を失うことになりました。

この時、帝大時代の恩師のひとり林春雄博士から北京行きの話が持ちかけられたといいます。震災によって研究場所を失った日本の研究者に対して、米・ロックフェラー財団が所有する北京協和医学院を一時的な研究場所として提供するという申し出があったのです。晉は10月に東京帝国大学医学部の講師に就任したうえで、晉を含めて北京に派遣される8名の研究員の団長として出発しました。

晉の北京行きについては、これまで資料室のブログ(2021年1月29日)で一度取り上げたのみかと思います。8月22日(月)~10月14日(金)開催予定の企画展「額田兄弟の外遊 天下ノ模範トモナリタク」では、本学創立者の額田豊・晉兄弟の海外経験について資料や写真とともに展示します。また、ご来室が難しい方にも展示内容がご覧いただけるよう、企画展パネルの文章も展示開始後に公開予定です。開催までしばしお待ちください。

※画像は北京医学専門学校で実施した講演後の集合写真です。前列中央のグレーのコートが晉、右隣に林春雄。(1923年)

投稿者:スタッフ

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