ハルナック・ハウスでの出会い—額田晉のヨーロッパ視察

1936年3月より、本学創立者のひとり額田晉は最新の研究施設や自身の研究内容に関する批評を求めてヨーロッパに半年間滞在しました。

その際、2カ月間滞在したのがドイツ・ベルリンの郊外ダーレムに位置するカイザー・ヴィルヘルム協会のハルナック・ハウス(Harnack Haus)でした。協会の初代総裁であったドイツの神学者アドルフ・ハルナックの名を冠するこの建物は、カイザー・ヴィルヘルム協会に国外から集った研究者のための宿泊施設を兼ねたクラブハウスとして機能していました。

晉はここでドイツの地方の医学校を卒業した女性に出会っており、この時のことについて1936年9月号の学内広報誌『高峯』の巻頭言で語っています。その女性は医師資格試験を受験するためにベルリンに来ていましたが、ハルナック・ハウスに滞在していた目的は受験とは関係なく、自身の研究に必要な誘導体をカイザー・ヴィルヘルム化学研究所で作るためであったといいます。

「ドイツ青年学徒の研究心の旺盛な事は此の例によっても知る事が出来ます。私はわが校の学生諸姉が自分から進んで研究する心持ちになられん事を切に希望します。学生諸姉の心持ちさへ向上すれば講義なぞは出来るだけ簡単にし本を読んで理解し得るだけにすればそれでよいのです。(原文ママ)」

記事の中で晉はこのように述べ、ドイツの若者たちを見習って自ら研究に励みなさい、と帝国女子医学薬学専門学校の学生たちに発破をかけていました。当時、晉は同校の校長を務めていたため、帰国後も学生たちにヨーロッパでの出来事について様々な場所で語っていました。

※画像は晉が家族に宛てた絵葉書に印刷されていたハルナック・ハウスです。

投稿者:スタッフ

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