女性と理系教育
2022年05月24日今夏開催予定の企画展準備を進めており、創立者の考えに触れたり、学校設立の際の困難について調べたりする機会が多くあります。その最中目に留まったのが、今朝の朝日新聞朝刊に載った理系分野における女性の学生や研究者の増加を目指した政府の方策に関する記事でした。
東邦大学の前身である帝国女子医学専門学校が創立される以前の医学教育の状況を振り返ると、女性が医学を学べる学校は1900年に吉岡彌生先生によって創立された東京女医学校(後の東京女子医学専門学校)ただ一校のみでした。
長らく時を経て1925年に開校したのが帝国女子医学専門学校であり、その創立者となったのが額田豊・晉兄弟でした。学校設立のために政界や教育界の有力者たちを説得し、多くの私財を投じた兄・豊は、創立にあたって以下のような言葉をのこしています。
「私はより衛生とか医学の発達には男子と共に女子の力をかりたなら案外の成績を収め得ることが出来るのではないかと考へて居りました。すべての女子の力は表面には現はれないが世の大事業大事件の裏面には必ず女が隠れて居ると言ふ事は歴史の明示するところの事実であります。……」(原文ママ)
この言葉の背景には、豊がドイツ留学中に目にした女性たちの姿がありました。その詳細について『東邦大学三十年史』に記述があります。科学的な知識をもとに合理的な生活を送ることで、家事だけでなく教養や趣味にいそしんで快活に過ごすドイツの女性たちの様子を見て、日本でも女性への科学的な学問を組織立って教える場所をつくろうという考えを持つようになったそうです。また、兄弟が早くに父親を亡くしていたため、育ててくれた母親への恩返しの意味もありました。
帝国女子医学専門学校を設立した翌年1926年には看護婦養成所を、1927年に薬学科を設立し、順調に女性への理系教育の場を広げていきました。しかし、これに続いて理学専門学校を設立しようとした際、文部省側が容易に耳を傾けようとしなかったことが30年史から判っています。その例として……
「「科学的な頭なんか女子にある筈がない」だとか、「女子に理学の勉強などさせたら、女らしさを失つてしまう」とか、「志願者も恐らくないだろう」などと云うような、古めかしいそして無理解な説を固くとつて動かない者が多いのだから、全く始末に了えない。」(原文ママ)
といった記述があります。こうした言説を乗り越えて1941年に帝国女子理学専門学校が設立されるのですが、この経緯については2021年度の企画展「家庭科学研究所高等部と科学教育—東邦大学理学部の源流」で扱っていますので、以下のURLから詳細をご覧ください。
本学の歴史を見るだけでも、女性に対する理系教育が直面してきた壁がどれだけ厚いものであったかが、容易に想像できます。残念ながら、その壁は今日においてもまだ残っていることは現状を見て明らかです。様々なところで指摘されていることではありますが、理系分野における女性の割合が増加することで、より多様な視点から研究が進展していくことが期待されています。
投稿者:スタッフ
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