額田豊、ドイツ留学中の名簿をめぐるあれこれ

新年度が始まり、さっそくさまざまなお問い合わせをいただいております。調べ物をしながらスタッフも新たな発見をする日々です。

ここ最近はお問い合わせの対応をしながら、次回の企画展の準備を進めています。企画展タイトルや開催期間に関する情報はもう少々お待ちください。前回のブログの最後で匂わせ発言をしましたが、創立者の額田兄弟が海外でどのような経験をしてきたのかを紐解くべく、資料の海に潜り込んでいます。

とくにドイツ留学中の詳細が分かっていない兄・豊の行動について現在調べているのですが、留学先のブレスラウ大学(現・ポーランドのブロツワフ大学)とミュンヘン大学の教員・学生名簿のデジタルデータが公開されているのを見つけました。やった!

まずはブレスラウ大学の名簿から。ABC順にならぶ学生名簿の中から名字と名前のイニシャルを探したのですが見つからず……何回探してもいない。名簿はこれで終わりかと思いきや、次のページから聴講生の名簿が始まりました。ようやくそこにNukada Yutakaの名前を見つけました。正規学生として登録はしていなかったようで、聴講生としてブレスラウ大学に通っていたことが分かりました。

次にミュンヘン大学の名簿の中を探してみましたが、こちらには聴講生の名簿が載っていなかったこともあり、名前は見つかりませんでした。(学生の名簿にも載っていませんでした。)しかし、名簿の最後に掲載されている生徒数の表によると、聴講生が男女あわせて473人いたとのことです。豊はミュンヘン大学の様子について手紙で弟・晉に伝えていることもあり、やはりこちらでも聴講生の一人であった可能性があります。

企画展のパネルでこの件について書こうとすると、ほんの一行程度にしかならないのですが、名簿で豊の名前を見つけた際の興奮を忘れないように、ここに書き留めておこうと思います。ということで、今回は企画展作成の楽屋裏をお伝えしました。

※画像は1908年に豊がミュンヘンから晉に宛てた葉書です。現在も続くMüller'sches Volksbadという浴場の建物だそうです。

投稿者:スタッフ

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