「今日の人間は未完成」—額田晉が見つめた世界
2022年03月10日東邦大学の建学の精神には、「自然・生命・人間」という本学創立者のひとり額田晉(ぬかだすすむ)の著書のタイトルが掲げられています。晉が学生時代から長年育んでいた思想「科学的人生観」の集大成といえる本です。
晉は終戦後、自身が所長を務める千葉県・稲毛の額田医学生物学研究所の中に「世界観研究会」を設立し、定期的に晉を中心として「科学的人生観」の思想追及のための研究会が開催されていました。ここには当時の卒業生や付属中高の生徒も参加していたといいます。以下では、会報誌『世界観研究会』で連載されていた記事の中から「今日の人間は未完成—これからの生き方—」の冒頭部分を紹介します。
「昨今の世界の動きをみていると、大国は原子力兵器をもって互にいがみ合っているし、毎日のニュースは、およそ暗いことばかりだ。全くこの世も末だといいたくなる。いくら今日の人間が未完成だとはいえ、もっと楽しい人間らしい社会をつくり上げることはできないものだろうか。
これまで偉大な宗教は、仏教にしても、キリスト教にしても長年にわたって人々の心を善の生活へ導いてきたのであるが、それにもかかわらず、この有様だ。それでは一体どうしたらよいのか。
わたくしの考えはこうだ。たとえてみると、同じ富士山へ登るにも、吉田口もあれば御殿場口もあるように、いくつかの道がある。だから私は、これまでの宗教とは全く別の道、すなわち今日のように科学が発達した時代だから、科学の立場から人生の根本に横たわる問題を考えてみようと思うのである。」
(原文ママ)
この文章は1964年1月に会報誌に掲載されたものです。この頃の時代背景を振り返ると、1962年のキューバ危機によって米ソ間の緊張が一時的に高まりを見せたものの、翌年には両国間にホットラインが開通し、さらに部分的核実験停止条約が調印された時期でした。晉はいわゆる「雪解け」と呼ばれる時期にこの文章を書いたことがわかります。
晉の死後、息子の煜氏は回想記の中で「何と素朴なことを、臆面もなく一大新思想のように云えるものだと、高校生だった私は思い、この感じは今の世界観に至るまで少しも変わっておりませんが、しかし、こういう一見当り前のことを、むきになって一途に説くということは根本的に大切なことでありながら、常人には照れくさくて出来ないことでありますから、そういう意味でも特異な存在だったと思います。」と父親について振り返っています。
晉が見つめ続けた世界は、「自然・生命・人間」という建学の精神となって現在も受け継がれています。
※画像は1963年、研究会で使うポスターを晉自らが筆を執って作成している様子です。
投稿者:スタッフ
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