展示ウラ話—その5 家庭科学研究所高等部と高良とみ

2022年1月18日~3月18日まで開催中の企画展「家庭科学研究所高等部と科学教育—東邦大学理学部の源流」について、「展示ウラ話」シリーズとして企画展に関するあれこれを綴っています。展示の詳細については、ブログの下にあるリンクからご覧ください!
-------------------------------------------------------------

「学科は学科で無味乾燥だし、実習科目と言ってもままごとみたいだし…(中略)…日本の女子教育って、どうしてあんなに尼寺みたいなんでしょうね。全く日本の女学生は可哀想だと思います。これは私が新しい学校を始めようと思いついた原因の一つです。」(原文ママ)

『婦女新聞』の第1764号(1934年4月1日)に掲載された記事でこのように述べたのは、帝国女子医学薬学専門学校の敷地内に新設された家庭科学研究所の所長を務めた高良とみでした。彼女は日本女子大学校(現・日本女子大学)を卒業後、心理学の研究のためにアメリカに留学し、博士号を取得して帰国した女性として当時よく知られた存在でした。

資料室で展示中のパネルで高良とみについて簡単に紹介していますが、スペースの都合上書ききれなかったことがあります。家庭科学研究所高等部において彼女が実践した教育方法は、ジョン・デューイの教育理論に大きく影響を受けたものであったということです。

冒頭の『婦女新聞』の記事の最後で、「それからデューイのプロジェクトメソッドにより、何か具体的の目的のある教育をします」(原文ママ)と述べており、その例として栄養学を学んで病院の台所を預かることなどを挙げています。実際、高等部の生徒たちは病院食とまではいきませんでしたが、高等部に併設された「ナースリースクール(託児施設)」に通う子どもたちの昼食を用意していました。

高良とみは、抽象的な教え方ではなく、具体的な事例を通じた女子教育が必要であると考えており、従来の「ままごと」と評したような実習からの脱却を図ろうとしていた痕跡が見られます。

〈参考文献〉
高良とみ『高良とみの生と著作 女性解放を求めて 1925-35』3巻, p.396-402, ドメス出版, 2002年.

※上の画像は1934年の帝国女子医学薬学専門学校医学科の卒業アルバムに写る高良とみです。

投稿者:スタッフ

記事一覧に戻る

Top