清水藤太郎関係資料、整理作業真っ盛り
2021年06月16日
今年度のはじめ、習志野メディアセンターで長年保管されていた清水藤太郎先生に関係する資料が資料室に移管されました。本学の前身である帝国女子医学薬学専門学校の薬学科で初期より教鞭をとっていた人物であり、また薬史学の分野において世界的にも大変著名な研究者です。日本薬史学会の設立の際には、幹事の一人として携わりました。今回の資料は、清水先生が生前にメディアセンターに寄贈した資料でした。現在、資料整理を進めている最中ですが、学ぶべきことが多く、日々さまざまな文献を開きながら資料と向き合っています。
1886年、仙台に長尾家の長男として誕生した先生は、不自由のない幼少期を送っていましたが、家庭の事情によって旧制中学を中退し、一時は筆職人の見習いを経験しています。このとき姉は弟・藤太郎が勉強の得意なことを知っていたため、仙台医学専門学校の薬学科長の助手を新たな職として勧めました。そこから薬学の道を進んでいくこととなります。先生は、当時の研究者の経歴でよく見かける「旧制高校→大学」という王道のコースを進んだわけではありませんでした。しかし、自身の努力と周囲の協力によって、19歳のときに薬剤師資格を取得しています。
本学では1929年より教授として、薬局経営学や薬学ラテン語、調剤学などの講義を担当していました。終戦後に薬学科が大森から習志野へ移転した後も、引き続き本学で教鞭を執り続け、多くの学生たちから「トータロー先生」と慕われていたといいます。
※割愛しましたが、清水家の婿養子になった話なども含めて、天野宏・百瀬弥寿徳『まず薬局へおいでなさい—薬学の巨人 清水藤太郎』(みみずく舎、2014年)に詳細が記されています。
清水先生の生涯を振り返る際に驚くのは、大学教員として多忙な日々を過ごしながらも、大変多くの著書を世に送り出していたことです。まだ正確な数は把握できていませんが、現在清水先生の著書の多くは、自身が設立に携わった内藤くすり博物館(岐阜県)の図書館に所蔵されています。先生は自身の研究成果を「本」という形で後身たちに残していきました。
今回資料室が受け取った資料の中には、先生の研究の集大成『和漢薬索引』の原稿(上の画像)も含まれていました。先生の研究に対する情熱が伝わってくる、圧巻の資料です。いつか皆さまに展示を通してご覧いただける日が来ることを夢見て、今は丁寧に整理作業を進めていこうと思います。
投稿者:スタッフ
カテゴリー:資料について