【企画展資料の紹介⑤】—戦災復旧貸付金関係書類

緊急事態宣言の発出に伴い、4月26日(月)より新型コロナウイルス感染防止に努めるため、資料室を臨時閉室しております。開催しておりました企画展「戦時下の理系女子学生」については、展示パネルの内容を以下のリンクからもご覧いただくことが可能です。

1945年4月の空襲で施設の大部分を焼失した本学は、終戦後に授業や診療を再開するため、創立の地である大森と、新たに取得した習志野の土地で建物の新築・改築・修繕を余儀なくされ、莫大な資金を要することになりました。その時の関係資料がこの綴りにまとめられています。

空襲の後しばらくの間、焼け残った大森の本館(現・医学部本館)で午前・午後の二部制で授業が行われましたが、スペース不足の解消が喫緊の課題となりました。そのため、1946年9月に理学専門学校が、また同年11月に薬学科が習志野の旧陸軍騎兵連隊の跡地へと移転します。また、診療は学校近くの工場の社員寮を借りて、その一画で行っていたという記録があります。

実はこの資料をよく見ると、試験の解答用紙が裏紙として使用されていることが分かります。上の画像からも、少しだけ裏面が透けて見えるかと思います。戦後復興の過程だけでなく、当時の物資不足の様子も垣間見ることができる資料の一つです。


投稿者:スタッフ

記事一覧に戻る

Top